出典:EPGの番組情報
ねほりんぱほりん「復興活動から離れた人」志半ばで被災地を去った理由とは?[解][字]
モグラに変身した山里亮太とYOUがブタに変身した顔出しNGのゲストからねほりはほり聞き出す赤裸々トーク人形劇。今回は震災の復興活動から離れた2人の女性がゲスト。
番組内容
「被災地のため、何かできないか?」東日本大震災以降、そんな思いから多くの人が復興活動に携わってきた。その活動が現地で頼りにされたり、成果が認められてメディアから注目されたりすることも。しかし、なかには道半ばで復興活動から離れた人たちもいる。復興を願う気持ちがなくなったわけではない。でも、行動する気力が失われてしまった。そこにはどんな葛藤があったのか?3月11日の夜に耳を傾ける。
出演者
【出演】山里亮太,YOU,【語り】石澤典夫ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
趣味/教育 – その他
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
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- 復興活動
- 友達
- ボランティア
- 結構
- 手伝
- 当時
- ギャル
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(ニュース)
「学校のグラウンドには 『SOS』と
大きく書かれています」。
あの時 思いませんでしたか?
コンビニで
おつりを募金したり。
被災地の産品を購入したり。
被災地へ旅行したり。
そして 被災地では
「復興」を目指して
多くの人たちが活動を続けてきた。
しかし この11年の間には
復興活動から…
そこには どんな葛藤があったのか。
その思いに耳を傾ける。
あ。 え?
YOUさん 朝ドラ…。
これが放送中は
もう多分 完結してるかな。
だから 11月は
外歩いてると
安子を いじめやがってっていって…
びくびくしながら。
お疲れさまです 皆さん。
ありがとうございます。
さあ 今日なんでございますけど
「復興活動から離れた人」。
ああ~。
で 今日はですね 東日本大震災から
ちょうど11年の日ということで。
そうだよね。
どういうきっかけで離れたのかとか
そういうお話を聞ける
ということになりますけど。 はい。
(玄関チャイム)
あっ ありがとうございます。
どうもどうも。
いらっしゃいませ~。
ようこそお越しくださいました。
(2人)よろしくお願いします。
今回のゲストは 2人。
震災後 福島で起業したマドカさんと
高校時代に 熱心に
ボランティア活動をしていた エミさんです。
今回ですね お二人の話を
それぞれ順番に聞いていくということに
なっております。 わかりました はい。
まずは じゃあ マドカさん。
はい。
マドカさんは 震災当時は
どういう状況だったんですか?
地震があった時は
スーパーで買い物をしてたんですよ。
商品が バーッと落ちてきたり
天井が落ちてきちゃったりして。
そうなんです。 え~!
まあ でも けがもなく
家族も無事でっていう感じでした。
あっ 本当。
その復興活動に関わる
きっかけって何ですか?
もともと福島で会社に勤めていて
イベントの企画とかを
やっていたんですけど。 あ そうなの。
震災があった夏に
全国的に
節電キャンペーンってあったの覚えてます?
その時に 会社とか工場とか
事業所向けに節電してください
っていう お願いをする企画を
国がやってたんですよ。
うんうん。
それの福島担当だったんですよ。
ああ。
福島で この状況で節電してくださいって
お願いするのって難しくなかったですか?
難しかったです とっても。
私は 国側の人として訪問してるので。
(マドカ)…とか
行く先々で怒られましたし…
(マドカ)…って
言われたりとか。
そう。 もう板挟みみたいな感じです。
そうですよね。
だけどね 生活もかかってるし。
そうですよね。
生きてくうえでは やらなきゃいけない。
でも なんかもう
こんなのやっても意味ないなと思って
仕事が一区切りついたところで
会社を辞めました。
で 仕事辞めて どうしたんです?
また イベントの制作とか
企画とかっていう仕事に就きました。
あ 本当。 うん。
東京の割と大きなところだったので
いろんな仕事があって。
で その中でも いちばん最初に
連れていかれた打ち合わせが
福島第一原発関係の
メーカーで。
(マドカ)ハハハ~ みたいな。
えっ!?
そんなテンション!?
テンション的には すごい軽くて。
あ そう。
うわ~。
マジで?
それ聞かされんの やだね。
(マドカ)その会議の中に 1週間前に
福島から やって来た人がいるって
思ってないんですよ。
ど どうなったんすか それで。
それなら もっと 福島のためになることが
したいなと思って
仕事を辞めて
福島に帰ることにしました。
戻ったんだ。
で 起業
したんですけど。
自分で。
県外の人たちが 福島に触れやすくなる
きっかけを作りたいなと思って。
商品のパッケージを考える会社を
つくりました。
なるほど。 どうでした? その会社の方は。
大体1年ぐらいたった時に
いろんな大手企業から
コラボの話をもらえるようになって。
ああ すごいじゃない。
売り上げも 2年で
大体5倍ぐらいになったりとか。
え~ すごい。
すごいすごいすごい。
福島が どんどん
全国に広がっていくっていうのは
すごくうれしかったですね。
で その商品を作る中で
大手広告代理店の方と
とあるキャッチコピーを考える機会が
あったんですけど
やってもやっても
しっくりこないんですよ。 うんうん。
(マドカ)でも 相手は
大手広告代理店のコピーライターだし
なんか文句言えないよな~
とか思いながらも
でも ここで
負けてはいけないぞと思って…
(マドカ)…って
お願いしたんですよ。
(笑い声)
そう言ったら すぐに来てくれて。
いろんなところ ご案内して。
で そしたら 帰ってから書いたコピーが
ものすごく すばらしくて。
ああ~。
へえ~ 変わるんだ。
うん。 その方も 福島に行かなかったら
書けなかったって言ってくれたし
伝わったなって。
あ それは よかったね。
あとは 若者が これから 福島を
支えていくことになると思うので
若者の声を聞くイベントを
企画することから始めて
福島の情報発信を
していこうと思いました。
すごいな。
どういった声が集まるんですか?
結婚の約束してたんだけど
福島出身だからっていって
破談になっちゃったっていうこととか。
自分も不安だったけど
年下の子たちとかが
これから どうなっていっちゃうんだろう
とか ここで暮らしていいのかな とか
そういう不安をかかえる
この社会って なんなの? って思って。
うん。
これはもう 国だ
国を変えないといけないって
思ったんですよね。
へえ~。 はあ~!
それで
国を変えるってのは
選挙でしかないから
ちゃんと考えて投票してかなきゃ
いけないんだなと思って。
いやもう 偉い。
私なんて ぶっちゃけね
行ったことなかったわけよ 若い時とか。
でも 本当 やべえなとか思って
選挙に行くしかないんだよね マジで。
そうなんですよ。
マドカさんは もともと
ちゃんと選挙とか行ってたんですか?
一応 行ってたんですけど
ポスターを見て イケメンだなって人に
入れたりしてました。
それまで じゃあ 社会を変えよう
なんていうタイプではなかったんだ。
全然なくて 私 パリピだったんですよ。
パリピだったの?
はい。 イエーイみたいな。
毎晩 飲んで タクシーに無理やり
乗せられて 帰されて みたいな。
そんな子が。
国を憂うようになりました。
はい。
どういう活動されたんですか?
例えば 要望書を国に出したりとか
あとは 議員さんと会って
私たちが感じていることを
聞いてもらったりとか。
大体…
(マドカ)…って言うんですよ。
言うよな。
めっちゃうれしい! 絶対 変わる!
って思うんですけど…。
思うね。
あんまり変わんなかったですよね。
(笑い声)
震災後 会社を立ち上げたマドカさん。
仕事の合間を縫って
若者たちの声を聞いたり
福島のことを知ってもらうための
被災地ツアーを企画運営したり
復興をテーマにしたトークイベントに
出席したりと 精力的に活動していった。
なんかこう 一見 順風満帆というような
感じなんですけども
実際きついこととかも あったんですか?
結構 メディアとかに取り上げてもらうことが
多かったんですけど
だんだん ちょっと重荷になってきて。
もともと私パリピなのに
復興のリーダーとか言われちゃうし。
えっ そんなつもりないんだけどな~
っていうところが ちょっと増えてきて。
なるほど。
うん。 それで Twitterとか見てると
「またマドカかよ。
もうおなかいっぱい」とか
あと「痩せろ」って書かれてたりとか。
99の褒め言葉も
1個の そういう言葉で
全部ね 消されるぐらい傷つくからね。
そうなのね 亮太。
繊細っす みんな。 ね~。
平気なふりね みんなするけど
そりゃ傷つくよね。
ね~。
そっか。
他 きついこととか ありました?
ありました。 社会を変えるためには
選挙が やっぱり大事だって
思ってたんですけど
2014年に もっともっと
投票率 上げたいと思って
若い子たちが 気軽に政治の話が
できるようなイベントとかやって
頑張ったんですけど
投票率 あんまり変わんなくて。
ああ~。
がくっときましたね~。
なんか あんなことがあったから
気持ちが止まってしまうというか
もうちょっと
目の前の御飯のことだったり
そっちに
意識は行ってた可能性はあるけどね。
難しいですね。
会社の経営
若者の声を聞く
被災地ツアーの
企画運営など
ふるさとのためにと
奔走してきたマドカさん。
しかし 震災から
5年がたった頃から
心境の変化が
生まれてきたという。
でも そんな いろいろ のしかかってくる
中で 息抜きとか できてました?
震災のあとに
復興に向けて頑張るぞ みたいな
企業の方たちも含めて
もう仲間みたいになってって
大体20~30人ぐらいのグループが
あったんですよ。
みんなで飲みに行ったりとか
福島の現状を話したりとか
そこでは何でも話せるし
そういうのは とっても楽しかったですね。
そっか
強い思いと パリピ精神が見事合致して
最高の時間を過ごせたんだ そこで。
そうなんです。
ああ よかった。
でも
震災から5年過ぎたぐらいで
皆さん 部署異動になったとか
転勤になったとかで
1人離れ 2人離れ みたいな感じで。
言うても会社の人だからね。
(マドカ)そうなんです。
今2~3人ぐらいしか。
そうですよね。
そうですよね。
私としては
「個人として福島で活動します」とか
何なら 「会社を辞めて
福島で活動していきます」
みたいなことも期待したんですけど
そういうことは一切なくて。
そうか。 でも やっぱ それって
こっちの東京で
じゃあ 家族がいて…
多分 苦しかったと思います
離れることは。
そうね。
もっと やりたかったって
思ってるかもしれないし。
そういうことが積み重ねていくことで
やっぱ こう
自分も 復興から離れるって
なっていくんですか?
そうですね。
突然 会社に行けなくなっちゃって。
ああ もう体が?
うん。
会社まで行くんですけど
もう車から降りれなくって。
もう ただただ泣いて
気づくと夕方なんですよ。
えっ 朝だったのに みたいな。
うわ~。 マジか~。
なんかこう ゴールがないというか
どこまで行ったら
復興なのかっていうのが
わかんなくなってきた
時期だったんですよね。 確かに。
ずっと それにね 携わってるとね。
なんか 私 調子悪くなったことを
仲のいい友達にすら
言えなかったんですよ。
そしたら 仲のいい友達も
私にすら言えなかったって言って。
みんな。
結構な人数が うつになって
潰れちゃってたんですよ。
なんかさ あの時って
誰も何も
言いだせないみたいなことには
なりやすい状態だったかもしれないね。
そうですね。
その後 医師から
うつ病と診断されたマドカさん。
夫に相談したところ
一旦 活動から離れることを提案された。
マドカさんは 仕事やボランティアをやめ
福島を離れた。
離れてみて いかがでした?
最高でした。
あ そう。 あ そう。
自分でも気づいてなかったんですけど
福島にいる時は 常に 誰かに
見られてるかもしれないなと思って
気を張ってたんですよね。
だから あんまりこう
ダルダルの格好で外に出られないし
まあ ダルダルだとしても
ちょっと高いダルダルとか。
ハハハッ。
わかります?
私もね 割と そうなの だって。
(笑い声)
でも今は 本当のダルダルで
買い物 行けるんですよ。
うん そうね それは じゃあ
心は よかったね
本当に。
よかったです。 はい。
これから復興に関わっていこう
っていう可能性は?
やっぱり いま活動している人たちの
動向は気になるし
会いたいなっていう気持ちも
あるんだけど
ああ でも まだ やっぱり
会えないかもって思ったり
離れちゃった罪悪感とか。
そんなの やめてよ。
そうよ。 だって そこまで
積み重ねたことが… ねえ!
そんなのないわよ あ~た。
ないない。
はい。
最近さ 韓国ドラマ見るんだけどさ
口悪い薬屋のばばあ…
くそばばあなんだけど
「何だよ~!」とか言ってんだけど
めっちゃ優しいの。
だから なんか いっつも
かわいくて元気なマドカとか疲れるから
なんか あの人あんまり愛想ないけど
すごい実は優しいよね みたいな。
そっちに変えなさい。
そうですね。
無理はしなくていいってことですね。
うん。
はい。
♬~
そうね~。
そうよ。
(ノリコ)頑張れば頑張るほど
そういう目で見るし
何か いろいろ
やってくれるのかなって
期待されることとか 何年もあったし。
ああ~。
なんか そういったところでの…
震災から5年が過ぎた頃。
ノリコさんは ふるさとを離れ
県外へ移住しました。
こんばんは ウシ澤です。
こちらを ご覧ください。
東北で復興に携わる民間団体に
活動するうえで感じている課題について
聞いた アンケートの結果です。
回答で特に多かったのが
「人員確保」と「資金不足」。
また 調査した団体によると 最近では
「新型コロナの影響で
地域の人たちとの活動が進まず
困っている」という声も
上がっているとのこと。
続いて話を聞くのは
東北沿岸部出身のエミさん。
中学生の時に被災。
自宅は 津波で流されました。
大変な状況の中で 復興に関わる
きっかけって何だったんですか?
中学校に避難していた時に
物資を運ぶ お手伝いみたいなのを
町の人たちが やってて。
私たちも中学生で
「手伝います」
みたいな話になったんですけど
「いや 中学生は子どもだからいいから」
みたいな感じで
何もできない時間が すごく続いて
それが すごいモヤモヤしていてですね
なんか やりたいのになっていう
そこが きっかけになってます。
なるほどね。
そのあと どういうふうに
復興に参加していったんですか?
親戚の家に避難をして
近くにある避難所に
まあ お手伝いみたいな形で
物資を仕分けたりとか
あとは ちっちゃい子どもたちが 避難所に
いたんですけど 一緒に遊んだりとか。
偉いねえ。
ねえ。
当時って みんな暗い顔してたし。
そりゃまあ そうですよね。
勉強も部活もできないんで 何すれば
いいか わかんなかったんですよね。
ああ なるほど。
ホントだよね。
そしたら なんか やることを
見つけないと みたいなのって
そこは 結構 必死になってましたね。
どうでした? 実際に関わることができて。
自分は中学生だけど まちの一員に
なれたなっていうような感じがして
すごく達成感 ありましたね。
手伝いたい助けたいって気持ちが
かなったっていう…
あとは なんか ボランティアで
特に こっちに来てる方って
キラキラ見えるっていうか。
(2人)へえ~。
(エミ)
仕事を辞めて こっちに来たりとか
いろんな経験をしてらっしゃる方が
すごく多く来てたので
自分の周りの大人たちと全然違う世界で
生きてる大人たち。
その人たちと友達になれたっていうのが
自分の中でも
すごくこう楽しかったんですよね。
なるほど。 この避難所の手伝い以外の
この復興活動とかっていうのは なんか…。
そうですね まあ 徐々に まちづくりを
提案するような プロジェクトに
参加させてもらったりとか。
はいはい はいはい。
あとは 実際に自分の被災の経験を
いろんなところで
お話しする語り部っていう活動を
させてもらってました。
どうです? 本格的に活動始めて。
本当に なんか 刺激的というか
今まで行ったこともない県とかに
行くことができますし。
そうだよね。
まあ そこのイベントで
お話をさせてもらうと
自治体さんの お偉いさんとか
有名大学の教授とか
すごくお褒めの言葉を言われるんです。
(エミ)…みたいなことを
すごく言われるんですよ。
だから 承認欲求が満たされまくりで。
アハハハー!
はあ~!
そっか。 いろんな人と
知り合いました? その時は。
そうですね。 当時
Facebookが はやり始めた時で
高校生だったんですけど
500人くらい友達作ってて。
え~! すごいねえ。
なので
Facebookを
いかに更新するかみたいなところが
今度 私の中で目的になっていっちゃって。
はいはいはい。
行かなくてもいいようなイベントに
わざわざ顔を出したりとか
復興で新しくできた施設とかに
足を運んで
写真を撮って 投稿したりとか…。
ああ なるほどね。
(エミ)常に スケジュールをうめなきゃ とか
とにかく何かやってなきゃ みたいなのが
当時は すごいありました。
エミさんの高校時代の
1週間のスケジュールが こちら。
放課後は 子どもたちへの学習支援や
まちづくり会議
土日は語り部。
自由に使える時間の大半を
ボランティアに費やしていた。
え でも 高校生でしょ その時。
はい。
遊びたい! みたいに
ならなかったんすか?
ないです。
へえ~。
大人の人との関わりがあるからこそ
高校の同級生って そんなに なんか
重要性が感じられなかったっていうか。
でも なんか その年ってさ 彼氏とかも
同級生とか なんか 3つ下みたいな
ばかなのかな みたいな。
(笑い声)
あんじゃん。
そう… ですね。
じゃあ 同級生と 恋愛が
とかっていうのは なかったですか?
一応
高校の時に 彼氏は いた…。
同い年ですね。
いたんですけど いろんなところで 復興の
リーダーみたいな扱いをされるので
いい子でなきゃいけないっていうのが
あって
チャラついたこととかは
あんまり できないし
デートとかも誘われるんですけど…
(エミ)結構ドライな恋愛をしてました。
なるほどな~。
そんなね 地元のラブホとか
行ってる場合じゃなかったのよ~。
オブラート使ってたのに。
(笑い声)
YOUさん すぐ剥がすんだから。
ごめんなさ~い。
その後 エミさんは
地元の復興に役立ちたいと…
どうでした? 地元を離れてみて。
ああ うんうん。
テレビで
仮設商店街が出来ました みたいな
震災関係のニュースが
少ないなっていうことに
すごい驚いたんですよね。
ああ。
温度感が違うな とは。
それは なんか
何だ東京 おかしくね? っていう…。
やっぱり みんながみんな
震災っていうのに対して
興味 持ってることじゃないんだ
というのは
ちょっと寂しい感じもしましたね。
活動は高校を卒業してからも
続けたんですか?
そうですね。
語り部の活動の他に
大学で 被災地支援の
ボランティアサークルみたいなのが
大学にありまして
それは 参加してました。
ああ~。
どうでした?
私が入った時って もう震災から4年とか
5年とか たっている中で
率先して こう ボランティアに
行きたいっていう人って
徐々に徐々に減ってっちゃってて
「集客が全然できてないじゃん」
「中止じゃない?」みたいなのが
結構それは
悲しかったっていうか。 なるほどね。
ボランティアサークルの中では
被災地は ふざけちゃいけない
ボランティア以外じゃ行っちゃいけない
みたいな空気感が
すごいあって。
あ そうなんだ。
本当は もっとこう気軽に
自分の地元に来てほしいんですよね。
それが ちょっとズレてるなって感じて
そのサークルは やめちゃったんですけど。
そっか。
それと同時に
語り部の活動も
ちょっと やめちゃいましたね。
それ やめた時
どんなお気持ちでした?
SNSで 復興活動から離れるっていう
内容の宣言をしたんですけど
「今までお疲れさま」みたいなこととか
「頑張ったね」っていうコメントは
あったんですけど
「もっと続ければいいのに」
みたいな感じで
引き止めるような言葉が 誰もなくて。
へえ~。
あっ 求められてなかったんだ
みたいな感じで。
そんなことないけど。
いやあ~ ねえ!
なんか それ 難しいとこですよね。
求められてなかったっていうよりも
多分 引き止めるのって
すごいなんか 無責任な行動な感じが
しちゃうんですよね 僕なんかは。
まあ でも私は 割とその承認欲求のために
やってた部分があるから…。
そうかそうか
その意味でな。
でも そうか。 それが あって
ストーンッて そこで気持ち終わって。
まあ 区切りは結構ついたっていうか。
じゃあ やめました 本来やってたことを
やめて 時間ができた。
他 なんか楽しいこととか見つけました?
いちばん楽しかったのは
ガールズバーのバイト。
(笑い声)
急に来ましたね。 おもろ。
ないです 大丈夫です。
中野じゃないってことですね じゃあ。
あっ 違います。
ああ 大丈夫。
どこら辺が楽しかったですか?
(エミ)今まで
いい子ちゃんで やってきてて
それから こう
タガが外れたっていうか 解放されて。
やべぇニオイしか しねぇんだけど。
(笑い声)
なんか タガが外れてね
お酒飲んだときってさ
私とか特にやばいから。
こんなエミちゃんのタガが
外れるっていうのは もう
おばちゃんは
心配でしかないよ。
あの~ 本当 多分
お酒が もともとすごい好き…。
う~わ。
(笑い声)
そのタガが外れたってなると 恋愛も
またガラッと変わったんじゃないすか?
そうですね。 ほら やっぱり。
ガールズバーで知り合った男性と
恋愛をしてたんですけど
20個くらい年離れた…。
彼は あの 当時
ギャンブル依存症を
抱えてらっしゃって。
アハハハッ。
(笑い声)
どうなんすか そういうときって 震災から
離れることってのは できたんですか?
う~ん 考えてはいるんですよ ずっと。
そっか。
ガールズバーのバイトで出会った子が
私の中では印象に残っていて
同じ年ぐらいの バチボコのギャルが…。
(笑い声)
バチボコのギャルが…
…みたいな感じで聞いてくれて…
(エミ)…みたいなことを言ったら
ガラッと態度が変わって…
(エミ)真剣な表情で聞いて。
バチボコのギャルが。
バチボコのギャル…
そうよ。
勝手に そういう子たちって
震災とか興味ないって思ってて
本当は こういう人たちに
私は 経験を
話したかったんじゃないかな
っていうふうに思いましたね。
ちなみに ガラッと違うその世界に行く
きっかけ 何だったんすか?
それは 私が高校 卒業する時
友達が水商売をするらしい
みたいなのが うわさであって
田舎なんで すごいこう
そういうのって
嫌われるっていうか。
なんかね 古い考えで ちょっとね。
「うわ 友達やめようかな」みたいなことを
言ってる子がいて。
そのくらい こう 拒絶反応が
すごかったんですよね。
まあ でも私は ボランティアで
いろんな大人の人と会ってて
仕事の価値観っていうのも
当時の友達たちと全然違かったので
何で そこまで拒絶するのかな
っていうのが すごく不思議で。
でも 実際に 自分が
水商売をしたことはないので
それで まあ やろうっつって。
なんか いいねえ!
アフリカとか行くわ なんつって
行っちゃいそうだよ なんか。
確かに その行動力からね。 ねっ!
じゃあ
復興活動への関わりっていうのは
これから どうしていこうとか
あったりするんですか?
まあ 今後は
地元のためじゃなくて自分のため。
で 自分のためが ゆくゆくは地元のために
なるんじゃないかなっていうので
考え方を変えて
やっていければなと思ってます。
なんか これ やりたい
みたいの あるんすか?
将来 地元に帰って
地元の人たちが みんなで こう集って
お酒を楽しく飲めるような場所が
つくれたらな というふうに思ってます。
お酒が すごい好き なので…。
(笑い声)
これ お二人に
お伺いしたいんですけども
今も復興のニュースを目にすること
あると思うんですけど
どんなこと 思います?
エミさん いかがですか?
そうですね。 私の地元にも
地元に残って
活動をしてる方がいるので
そういう方は 本当に尊敬しますし
本当に まちをよくしてくれて
ありがとうっていう気はありますね。
じゃあ マドカさん。
ああ 頑張ってるなあって思いますし
と同時に
どうか無理しないでって思いますね。
そこですよね。
実は いろんなプレッシャーで
押し潰されそうな人とかも
いるってことを
周りの人も思わなきゃ駄目ですね。
うん。 そうだね。
聞き応えがありましたね。
ございました。
今日は お二人 本当 貴重なお話を
どうもありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。
(カエルD)ありがとうございました。
そっか~。
偉いぞ みんな
真っすぐ大きくなって。
(笑い声)
エミちゃん ちょっと…
確かに。
(笑い声)
めっちゃかっこいいよ なんか。
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