出典:EPGの番組情報
NHKスペシャル「逆境 その先へ “最強”日本バドミントン」[字]
東京五輪で金メダルを期待されるバドミントン桃田賢斗と福島・廣田(フクヒロ)ペア。コロナ感染、交通事故、延期による気持ちの揺れ…困難と戦い続けた1年半の記録。
番組内容
ともに世界ランキング1位、男子シングルスの桃田賢斗とフクヒロペア。金メダルに最も近いと言われる選手たちはコロナ禍で苦闘を続けてきた。桃田は交通事故に巻き込まれて生命線の目を痛め、コロナにも感染、引退を考えるほどに追い込まれた。フクヒロペアの福島も五輪延期でモチベーションが維持できず、築いてきたコンビネーションを失いかけた。その逆境を越えつかんだ新たな境地とは…「頂点」を目指す挑戦に迫った。ジャンル :
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
オリンピック開幕まで あと5日。
日本の金メダル候補たちが
その胸の内を明かした。
スマッシュの初速が
300キロを超えるバドミントン。
この「最速の球技」で
共に世界ランキング1位。
男子シングルス 桃田賢斗。
女子ダブルス 福島由紀と廣田彩花の
フクヒロペア。
新型コロナの感染拡大による
オリンピック延期は
選手たちに かつてない試練を与えてきた。
桃田の突然の感染。
そして 遠征先での事故。
選手生命の危機に立たされた。
一方のフクヒロペア。
選手年齢のピークを迎えていた
福島にとって
1年の延期は あまりにも大きかった。
コロナ禍のさなか
逆境と向き合い続けた選手たち。
葛藤の末に たどりついた
新たな境地とは…。
最強 日本バドミントン。
1年半の記録。
♬~
オリンピックイヤーとなるはずだった
2020年の元日。
私たちは
新型コロナの感染拡大が始まる前から
取材を始めていた。
桃田とフクヒロペアは
必勝祈願に臨んでいた。
桃田賢斗は 25歳。
2018年から
世界ランキング1位の絶対王者。
高い技術で シャトルを自在に操り
人々を魅了してきた。
派手な印象の桃田と対照的なのが
フクヒロペア。
専用の練習場がなく
岐阜県の体育館を転々としてきた。
フクヒロペアの大黒柱は
福島由紀 26歳。
感情表現豊かで 強気な性格。
後輩の廣田を引っ張ってきた。
廣田彩花は 25歳。
性格は おっとり マイペース。
黙々と練習に取り組む。
世界ランキング上位を
日本勢が占める中
女子ダブルス黄金期の担い手として
期待されてきた。
金メダルが手の届く位置にいた選手たち。
しかし その後 3人の競技人生は
反転していく。
1月13日 桃田が遠征先のマレーシアで
交通事故に巻き込まれた。
車は大きく損傷し 運転手が死亡。
2列目に乗っていた桃田は
全身を強打し 病院に搬送された。
桃田さん!
大丈夫ですか!?
幸いに 長期の入院は必要ないと
診断された桃田。
この3週間後に 練習を再開した。
ところが ある違和感に気付く。
シャトルが視界の端に来た時のことだ。
精密検査を行った結果
手術が必要だと伝えられた。
眼窩底骨折。
眼球がおさまる くぼみ
その下の骨が折れていた。
このけがは 桃田の最大の武器を
奪いかねないものだった。
桃田の持ち味は
シャトルを正確に捉える力。
時速300キロ以上の速さで放たれる
スマッシュも
打ち返す。
得意なプレーは
ミリ単位でシャトルを操る
ヘアピンショット。
わざとシャトルをネットに当てて
落とすこともできる。
僅かな風の影響をも受ける
重さ5グラムのシャトル。
その軌道を見極める目が
桃田の生命線だったのだ。
2月 手術のあと
実家で目のリハビリを続けていた桃田。
この日まで
ラケットを握ることすらできなかった。
桃田は 選手生命の危機に
立たされていた。
3月 フクヒロペアは
ある国際大会に向かっていた。
全英オープン。
この大会を制すれば
オリンピックも制するといわれる大会だ。
このころ
コロナの感染が広がりつつあった。
毎朝の検温を徹底し 試合に臨む。
「フロム ジャパン
ユキ フクシマ! サヤカ ヒロタ!」。
決勝。
強豪 中国ペアを相手に フクヒロペアは
最大の持ち味を発揮する。
攻撃を引っ張るのは 福島だ。
その位置は 福島が後ろで 廣田が前。
福島が スマッシュで
ゲームを組み立て…。
廣田が ネット際で とどめを刺す。
抜群のコンビネーションで
相手を圧倒した。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
食べよう。
おいしそう。
廣田さん おいしい?
(笑い声)
しかし オリンピックへの道のりが
ここから狂い始める。
(サイレン)
(せきこみ)
世界中で コロナの感染が爆発的に拡大。
都市封鎖や
外出制限に踏み切る国も出始めた。
バドミントンの国際大会も相次いで延期。
フクヒロペアの
出場する予定だった大会は
全てなくなり
実戦を積む機会を失った。
そして 2人が緊急帰国した1週間後。
東京オリンピックの1年延期が決定した。
はい。 お願いします。
延期決定の10日後
福島がインタビューに応じた。
初めての緊急事態宣言が
解除されたばかりの6月。
おはようございます。
おはようございます。
3か月ぶりに 福島と廣田を訪ねた。
福島は 以前のように
明るく輪の中心にいた。
頂きます。
フフフフ。
しかし プレーするその姿は
オリンピックの延期前とは異なっていた。
簡単なミスを繰り返し
精彩を欠くプレーが続いていた。
前回のリオオリンピックでは
代表入りを逃し
スタンドから見つめるだけだった福島。
27歳 年齢的にピークで迎える
この年の東京オリンピックに
かけてきたのだ。
直後のインタビュー。
その辺り ちょっと気にしているのかなと
ちょっと 若干思って。
大丈夫?
競技人生の集大成になるはずだった
2020年のオリンピック。
結成から7年 フクヒロペアは
最大の試練を迎えていた。
一方 事故で けがを負った桃田。
オリンピックの1年延期によって
復帰にかける時間が出来ていた。
手術した目は ほぼ完治し
調整は順調かに見えた。
ところが
この日 気になるプレーがあった。
決して速くないショットを捉え切れない。
桃田は 私たちに打ち明けた。
本来の感覚を取り戻せないでいた桃田。
1か月後の7月 福島県を訪れていた。
はい チーズ。 OKです。
中学 高校の6年間を過ごした
原点とも言える場所だ。
寮生活を送りながら
強豪校で腕を磨いてきた桃田。
2011年 忘れられない経験をしていた。
東日本大震災。
どうぞ。
これは当時のまま?
寮は 福島第一原発から
およそ10キロにあった。
避難のため 部員全員が ばらばらとなり
バドミントン部は
解散の危機に追い込まれる。
♬~
その時 ある夫婦に手を差し伸べられた。
寮の管理人 荒木春恵さんと信彦さん。
自らも被災する中 桃田たちのために
新たな寮と練習場所を
用意してくれたのだ。
当時の桃田の映像が残っている。
地震から僅か1か月半後には
バドミントンに打ち込める環境を
取り戻せていた。
その後も
桃田は福島の人たちに見守られてきた。
頂きます。
高校卒業後 初心を見失った桃田。
違法賭博に手を出し
代表を確実にしていた
リオオリンピックの出場権を失った。
そんな桃田に言葉をかけ続けたのが
福島の荒木さん夫婦だった。
この日 桃田の姿は母校の体育館にあった。
後輩たちと練習を共にしていた。
一度は 選手生命の危機に立たされた桃田。
ひたすらシャトルを拾い続ける
基礎練習を繰り返していた。
♬~
女子ダブルスの金メダル候補
フクヒロペア。
大黒柱 福島の調子が上がらないでいた。
♬~
コートには ある練習に
一人打ち込む廣田の姿があった。
コート後方からのスマッシュ。
これまで 福島が担ってきた要のプレーだ。
スマッシュから
得意の前へ出る動きを繰り返す。
克服しようとしていたのは かつて
福島を支え切れなかった苦い経験だった。
オリンピックで
金メダルを争う最大のライバル
ナガマツペアとぶつかった試合。
崩れたのが福島だった。
後方からのスマッシュで ミスを連発する。
廣田が もり立てたい場面。
しかし 後方のプレーで
苦戦を強いられる。
得意の前に出ることすらできない。
フクヒロペアは その持ち味を封じられ
敗れ去った。
廣田は 福島と出会った小学生の頃から
その背中を追い続けてきた。
高校時代に対戦した映像が残っている。
1学年後輩の廣田は
福島に勝ったことがなかった。
ペアを結成して以来
廣田は 福島に依存してきた。
7年間指導してきた今井監督は
2人の形に変化が必要だと感じていた。
廣田が
後方のプレーに自信を持つことが
一つのカギを握ると考えたのだ。
コロナ禍で自粛生活が続く中
廣田は 気持ちを
奮い立たせようとしていた。
iPad見ながら。
心に響いた言葉を書き写し続ける。
これまでペアを支えてきた福島のために
新たな2人の形を模索していた。
…努力はしてました。
去年12月 桃田とフクヒロペアは
オリンピックの試金石となる大会に
臨むことになった。
世界ランキング上位の選手が集まる
全日本総合選手権。
おはようございます。
共に 決勝に駒を進めていた。
コロナ対策のため 無観客での開催。
事故で 目をけがした桃田にとって
およそ1年ぶりの公式戦となった。
(場内アナウンス)「ただいまより
男子シングルス決勝を行います」。
「ラブオール プレー」。
(拍手)
試合の序盤。
桃田がミスを繰り返す。
おっと これは珍しいですね。
そうですね。
シャトルを正確に捉える本来の動きは
戻り切っていなかった。
第1ゲームを奪われ
後がなくなった桃田。
休憩中
観客のいないスタンドを見上げていた。
第2ゲームの冒頭。
桃田のプレーに変化が現れた。
体を投げ出し
シャトルに食らいつき始める。
これも拾う。
あまり強打はしません。 桃田。
これも拾う。
拾う桃田。
お~ いいショットですが よく取る。
これも拾った。
桃田が打ち返した球数は
これまでの試合で最も多い854球。
葛藤の末にたどりついたのは
愚直なプレーだった。
♬~
最後は 相手が力尽き倒れ込むほどの激闘。
逆転で勝利した。
♬~
優勝インタビューで 桃田は こう語った。
(拍手)
(場内アナウンス)「ただいまより
女子ダブルス決勝を行います」。
続いて フクヒロペアが 決勝に臨んだ。
オリンピック延期で
モチベーションを失った福島。
その福島をもり立てようとしてきた廣田。
決勝の相手は ナガマツペア。
オリンピックで金メダルを争う
最大のライバルだ。
真価を問われたのは 第2ゲームだった。
高さとパワーで勝るライバルに
押され始める。
崩れたのは 福島だった。
ラッキー。
その時。
廣田が これまでにない姿を見せた。
このあと
廣田が繰り返してきた練習が実を結ぶ。
苦手としてきた後方でのプレー。
福島の代わりに スマッシュを繰り返す。
そして 得意の前へ。
この僅か30秒間のプレーに
2人がたどりついた
新たな境地が隠されていた。
視点を自由に動かせる
最新の映像技術でひもとく。
廣田が後方に回る。
そこで 攻めの姿勢を貫いていた。
狙ったのは相手の間。
どちらが返すか迷うため
守りにくい場所だ。
一方の福島。
後方の廣田を心配するそぶりは一切ない。
ひたすら 前を向き続ける。
福島が飛びついた一瞬を捉え
前に出る廣田。
この時 既に 福島と連係して
ポイントを奪う道筋を描いていた。
目をつけたのは 右側 この選手の動き。
僅かに中央へ移動している。
その逆側に
空いたスペースを見つけていた。
そして なぜか 体を右に傾ける。
意識していたのは…
見えないはずの後ろの福島だった。
空いたスペースに
スマッシュを打たせるため
コースを空けていたのだ。
2人の狙いは
最後のプレーまで重なっていた。
この日 フクヒロペアは
コロナ禍で手にした新たな2人の形で
頂点に立った。
おいしいです。
新型コロナの感染拡大に
終わりは見えていない。
選手たちは かつてない状況の中で
オリンピックに挑むことになる。
今年に入り コロナに感染した桃田。
事故で けがをして以来
積み上げてきた調整のやり直しを
強いられている。
桃田のもとには 一通の手紙が届いていた。
中学時代から支えてくれていた
福島の夫婦からだった。
「本当に たくさんの困難を乗り越えて
頑張ってきたね。
コロナ禍での開催 素直に大喜びできず
複雑な気持ちですが…」。
オリンピックの延期に直面し
葛藤を続けてきたフクヒロペア。
今 世界の頂点を目指す以上の意味を
見いだそうとしている。
お願いします。
開幕まで あと5日と迫った
東京オリンピック。
逆境をこえた その先に。
選手たちは どんな風景を見るのだろうか。
♬~
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