徹子の部屋 漫画家・ヤマザキマリ[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 漫画家・ヤマザキマリ[解][字]

~型破り!ヴィオラ奏者の母がつないだイタリアとの縁~漫画家・ヤマザキマリさんが今日のゲストです。

◇ゲスト
世界各国で暮らしてきた異色の経歴の持ち主。個性的な発言でコメンテーターとしても大人気の漫画家、ヤマザキマリさんがゲスト。
◇番組内容
近年はイタリアに居を構え、日本と往復する生活だったが、コロナ禍でイタリアに帰れなくなり1年8カ月…14歳下のイタリア人の夫とは完全に別居状態になってしまったという。今日はイタリアでの親戚づきあいや、姑とのつきあい方など、日本人妻としての苦労話がポンポン飛び出す。また、札幌交響楽団の創設メンバーでヴィオラ奏者だった母のおおらかで逞しい子育てエピソードや、イタリアとの縁をつないだ母への想いなどを語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  1. イタリア
  2. 子供
  3. 日本
  4. 大変
  5. 漫画
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  7. お風呂
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  9. イタリア人
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  12. お母様
  13. フフフフ
  14. 仕事
  15. 学校
  16. 全部
  17. 美人
  18. ヤマザキマリ
  19. ローマ
  20. 詩人

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

(黒柳)お風呂に入っていた
古代ローマ人が

現代日本に突然タイムスリップ。

奇想天外な この漫画で

世界的な有名人におなりになり
もうすぐ10年。

8カ国語に翻訳されているそうで
ございますが…。

漫画家のヤマザキマリさんです。

最近は
コメンテーターとしても大人気。

今日は破天荒だった
お母様のお話も伺います。

どうぞ こちらに
おいでくださいませ。

よろしくお願いします。

『ヴィオラ母さん』も
読ませて頂きました。

ありがとうございます。
どうも。

ヤマザキマリさんです。
はい ヤマザキマリでございます。

お母様は元ヴィオラ奏者で
破天荒だったそうでございます。

クイズの時も
ご一緒しましたよね?

そうですね。 2度ほど
お隣に座らせて頂きました。

ヤマザキマリさんといえば
今もう 漫画 執筆だけでなく

個性的な発言で

コメンテーターとしても
引っ張りだこです。

そして なんといっても
世界的に有名になったのは

2012年の『テルマエ・ロマエ』。
お風呂に入る…。

これは 映画では
阿部寛さんが主演なすって。

古代ローマ人が
現代日本にタイムスリップして

お風呂の技術を持ち帰って
生かす話で。

これが8カ国語に翻訳されていた
というわけでございます。

世界各国でお暮らしになっていた
異色の経歴をお持ちなんですけど

どこが一体 一番お長い?

一番長いのは
イタリアでしょうかね。

イタリアが もう 私…

17歳から
イタリアに移り住んでますので。

あっ そんなに。
はい。

そのあと ほぼ日本には戻らず…

短期間だけ戻ってた時間は
ありますけども。

そのあと 今度
中東のシリアだったり

あと ポルトガル
それから アメリカ。

で またイタリアに戻って。
ええ。

で 今は また ちょっと
日本に しばらく…。

イタリアに帰れない状態に…。

あっ そう。
今 旅ができない状態ですよね。

そうです。
人によって 色々でしょうけど

イタリア人の性格っていうのは
どんなもの?

イタリア人の性格ですか?
もう とにかくですね 大げさ。

全部 盛る。

で 思った事が全部 口に出ている。
フフフフ…。

そして
思ってもみないような事でも

盛り付けられるので

例えば 年がら年中ね…
例えば ご夫婦だったら

ご主人は奥様に
「アモーレ ミオ」とかね

「愛してるよ」って言わないと
奥さんが やっぱり…。

「普段は10回なのに 今日は
3回しか言ってくれないわね」

みたいな感じで怒っちゃうので。
ちょっと 色々

大変だったりしますけれども。
なるほど。

でも ご主人はイタリア人?
はい。

それで 14歳年下でいらっしゃる。
はい そうなんです。

あっ この方ですか?
この方ですね。

私 イタリアで
ご飯 食べてる時に

席が ちょっと
隣り合わせになったんですよ

イタリア人の夫婦と。
はい。

もう この… 英語もできるの。
そのおばさんがね

もう ずーっと座ってから
しゃべってるんですけどね

それが もうね
「今日 朝 起きた時から

黒い猫 見たからね 私は どうも
今日は いい事がないと

思ってたのよ。 あなた
どう思うの?」とかって…。

旦那さん
なんにも言わないで黙ってるの。

「ちょっと ボーイさん ボーイさん
早く来てちょうだいよ」

「お塩だってないのよ」とかって
もうね…。

負けてらっしゃいませんけどね

今の感じだと。
いえいえ こんな感じ。

もうね とにかく
人がしゃべってる事…

しゃべり終わらないうちに
かぶってくるんですよ。

そうですよね。
そうなんです。 だから こっちは

自分が言いたい事を
大声で貫いていかないと

駄目なんですよ。
聞いてもらえない。

でも そのノリで
日本に帰ってくると

「ヤマザキさん しゃべりだすと
弾丸みたいで もう…」

みたいな感じで ちょっと
みんな 引かれちゃうんですけど。

なるほど。 イタリアは…。

で ご主人は こうやって
帰ってらっしゃる時は

お一人で あちらで?

ええ。
もう ずっと1年8カ月ほど

ほったらかしな状態に
なっちゃってますけども。

大変ですね。
ええ。 でも 元々ですね…

だから 私も日本とイタリア
行ったり来たりだったりとか

あと 海外旅行なんかも

割と 一緒に行くよりも
みんな バラバラに行った方が

気が楽なんで。
あっ そうね。

だから あんまり
つかず離れずな夫婦というか

家族全体 そうです。

あんまり いつも一緒にいようね
って感じじゃないです。

普通 イタリア人っていうのは
いつも結束してなきゃいけない…。

みんなね。 ご飯なんか食べる時も

映画なんか見てると
すごいですよね。

みんなで… 全部で一緒になって
ご飯食べて。

そうなんですよ。
全員 集まらないと

食べないみたいなね。
そうそう。

で 食べ始めると
みんな ワーッて

ベチャクチャ
しゃべりながらやるから

もう大変です 本当に。
そうですよね。

一日の消費カロリーが
日本にいる時の

多分 3倍から5倍ぐらい
あるかなっていうぐらい…。

じゃあ 日本では ちょっと
穏やかな生活ができる?

はい。 大変 穏やかに
過ごさせて頂いています。

でも ご主人とは
テレビ電話でお話しすると

ケンカになる?

まあ 最近 向こうが
黙るようになりましたね。

あっ そうなの。
あんまり なんか言うと

ちょっと マリが
激しい事になるからと思って

おとなしい感じで…。
でも そういう時の

ケンカの原因っていうのは
なんなんですか?

まあ 些細な事ですね。

この間 テレビ電話で
フッと私の部屋が映ったんですよ。

もうね 段ボールだらけの
物置みたいになってたんですよ。

で 私が 「ちょっと悪いけど
もう一回 私の部屋

戻ってくれない?」って聞いたら

「やだ」って言うんですよ。
フフフフ…。

どうなってるんだろうと思って。
そういう事がね 理由で。

これ 私の部屋なんですけど。
今 ここに 段ボールが

たくさん積み重なっているような
状態ですね。

そうなんですか。

私 仕事してますけど
この時は まだ。

でも イタリアの部屋って
いうのは天井が高いですね。

高いですね。
で これ 住んでる家

実は もう築500年ぐらい
経ってましてね。

もう インフラが
辛うじて機能してる

みたいな感じなんですけど。

でも いいですよね なんかね。
ええ。

イタリアでは 大体
毎週末 親族が集合すると。

今は どうなんでしょうね。
今 もちろん できませんけども

土日は私が どんなに漫画の
締め切りがあろうとなんだろうと

行かないと 親族中のひんしゅくを
買うんですよ。 特に お姑から。

でも これ みんな
親戚なんですか? いっぱい…。

これ 少ないぐらいです。
ひどい時は この4倍ぐらいかな。

ハハハハ…!
その準備を

私 全部
やらなきゃいけないんですね。

お皿を40個 並べるとか。

それを片付けなきゃいけない
洗わなきゃいけない。 大変です。

そういう時
男の人は やらないんですか?

男の人は やるような…

他のところでは親切なんですけど
いざという時は

そういうところはやらないですね。
やらないのね。

あんまり 頭にいかないみたい
そういう事 やろうっていうのが。

なるほどね。
いいんです もう。 はい。

大変…。 フフフフ…。
フフフフ…。

それで ああいう時にでも
何しろ…

ご飯 作るのは やっぱり 女の人?
そうですね。

男の人でも やっぱり
マニアックなね

料理 作るの好きなんだ
っていう人もいますけど

そういう人は凝っちゃって
やっぱり 何品も作れないので。

そうですよね。
で 女の人が 「私がやるわよ」って。

結局 女の人がね
全部 やっちゃうんですよ。

だから イタリア男たちは
みんな ちょっと甘ったれて…。

妻もだんだん お母さんみたいに
なっていくわけですね。

それで 私 日本人の妻ですから

やっぱり イタリア女みたいには
激しくないわけですよ。

日本では私 激しい女の部類に
入ってるんですけど

イタリアに行くと
「本当におとなしいわね マリは

思った事 言わなくて」って
言われるんですよ 私が。

普段 日本だと 本当に

物言う漫画家とか
言われちゃうんですけど。

「物言う漫画家」?
物言う漫画家って

言われちゃうんですけど。
でも イタリアだと

割と静かめなんですけども。

でも やっぱり うちの夫は
非常に静かな人なので。

あっ そう。
ええ。 イタリア人にしてみれば

割と物静かな…
イタリア人に思われないタイプ

っていうんですかね。
じゃあ 静かに暮らそうと思えば

静かに暮らせる。

まあ そうですけど でも
家族がくっついてますからね。

ハハハハ…! そうか。

大体 お母さんっていうのがね
ドカドカやって来て

「ちゃんと あなた
私の息子の好きな料理

作ってあげてるの?」
みたいな感じになりますから。

やっぱり…
本当に そうなんですか。

いや もっと すごいのは
だから 漫画の仕事って…。

お姑 一番 右側に映ってる

眼鏡かけた
颯爽とした人なんですけど。

私 漫画家ですからね
やっぱり お仕事がある…。

締め切りなんかあると

土日でも やっぱり やらなきゃ
いけないじゃないですか。

そうするとですね やっぱり…。

イタリアでは 7日目っていうのは
絶対 仕事…

要するに 日曜日は
仕事しちゃいけないんですよ。

だけども どうしても
絵とか描いちゃうとですね

お姑から電話かかってきて

「頼むから
仕事しないでちょうだい」って。

「うちの息子にプレッシャー
かけないでちょうだい」

とか言われて。 夫が寝てる間に

コソコソ
漫画 描いたりするんですけど。

徹子さん 今日 私 ちょっと
お見せしたいものが…。

なんですか?

ちょっと 描いてまいりました。
あら!

いかがでしょう?
あら 美人。

美人かしら?
すごい美人。

ちょっと 普段の漫画風に
描いてみたんですが。

でも すごく美人。 いいんですか?

そんなに奇麗に
描いて頂いちゃって。

いや 私 ずっと
イタリアにいる間は

油絵をやってたんですけども
似顔絵師として

たくさんの方たちの似顔絵を
描いてまいりましたので。

あっ そう。 すぐ私ってわかる。

わかるっていうのも失礼な…。
まあ ヘアスタイルがね。

でも ちょっと美人だと思った。
目と目が…。

もっと美人に描こうと思えば
描けるんですけど。

今度 ゆっくり
じっくり描かせて頂きます。

これ のちほど差し上げます。
いいんですか?

どうも ありがとうございました。
わざわざ お煩わせして。

とんでもございません。
生業でございまして

私の仕事でございますから。
でも 顔っていうのは

面白いですか?
描いてらっしゃると。

面白いですね。
ずっと 私 アカデミアっていう

美術学校で
油絵をやってたんですけど

専攻が肖像画だったので。
ええー。

そうなんです。
で 肖像画っていうのは やっぱり

「人の顔ばっかり描いて
面白いのか?」って

よく言われるんですけど
人の顔って やっぱり

宇宙みたいに奥が深いんですよ。

その人が やっぱり 刻んできた
色々なレイヤーがね

表情の中に入ってるので
描き応えがあって。

ただ 海外だとね やっぱり

皆さん 肖像画を飾るっていう
習慣があるからいいんですけど

日本だと あまり 皆さん
肖像画っていうのは…。

ヤマザキマリさんは
ご出身は東京ですけど

お育ちになったのは
北海道でらして。

お母様は元ヴィオラ奏者で
札幌交響楽団で

ヴィオラを弾いてらした
創立メンバー。

そうです。
あっ そうで…。

小さい時から クラシックは
ずっと聴いてらした?

そうですね。
あっ そうですか。

たまに だから オーケストラに
連れていかれて

いつも留守番…。 うちの母は
夫が早くに亡くなったので

シングルマザーで
私と妹2人を…。

こちら 母ですけれども。
育てまして。

でも やっぱり いつも
コンサートって

夜の時間帯なので
小さい子供たち2人を

ほったらかしにしとくのが
不安だったみたいで

時々 コンサートに
連れていくんですけど。

それがね すてきな… まあ
楽しい曲ならいいんですけど

私と妹が まだ小学校に上がる前に
難しい…

なんか シベリウスとかいうね
そうした… すごい難しいのを

ずっと2人で聴いてると…。
可愛い… こういうのが。

モジモジしちゃうんですよ
もう 嫌で。

早く終わんないかなと。
そうすると うちの母は

舞台の上から楽器弾きながら

指揮者 見ないで
私たち 睨んでるんですよ

こうやって ギーッと。
ハハハハ…!

もう それ 怖くて ねえ。
今に間違えて オーケストラ

辞めさせられるんじゃ
ないだろうかって

ずっと私と妹で いつも
おびえ上がってましたけれども。

フフフフ…。 すごいわね。
お母様 弾きながら

そっちの方 見る…。
弾きながら睨んで…。

あんたたち ちゃんとしなさい!
っていうのを目力でですね…。

で もう やっぱり
大変だったと思うんですよ

女手一つで…。
ねえ。

当時 やっぱり
女の人が楽器一本でね

食べていこうっていうのは
一筋縄じゃなかったと思うので。

しかも 北海道なんていうのは
縁もゆかりもない土地だったんで

そこまで やっぱり
勘当状態で東京から出ていって

それで 自分なりに音楽的な開拓を
していったわけですけども。

普通は 子供たちは
こう育つんだっていうのが

もう ないわけですよ
彼女の頭の中に。

あっ そう。
北海道の大自然がすばらしすぎて。

あと やっぱり 音楽が
ものすごく好きな人だったので

自分がハキハキと
楽しく音楽をやってる姿を

子供に見せれば
それで教育になるだろうと。

で いいね コンサートがある時は
学校 休ませるんですよ。

「あんたたち 今日 学校
行かなくていいよ」って言って。

「今日は学校行く代わりに
コンサート行きなさい」って

言って。 あと お天気がいい時も

「今日 休んじゃいなさいよ。
お天気いいから

一緒に どこか行こうよ」
みたいな感じの人で。

いいですよね でもね。
いいです。

ただ 一度 私がね
まだ物心ついて間もない頃に

絵描きさんになりたいと。
絵を描くのが好きというか

本能的に空白があると
ついつい絵を描いちゃうと。

それで 「絵描きさんになりたいな」
って言った時に

母がやった事はですね
「あら そう」って言って

ある日 外から
本を1冊 買ってきたんですね。

で 見たら『フランダースの犬』って
書いてあるんですよ。

で 「それ 読んでごらんなさい」
って言われて 読んだんですよ。

そしたら
ご存じかと思いますけど… ねっ。

ルーベンスが…。
ルーベンスの絵の前で

貧しい少年と犬が
非情の死を遂げるわけですよね。

そうそうそう。
飢え死にしちゃうわけですよ。

で それをパタンと閉じた時に
母が

「ねっ。 絵描きさんやるって
大変でしょ?」

って言うわけですよ。

だけど 私ね 納得がいかなくてね。
その時ね

母親に読めって言われた
もう1冊の本がね

『シンドバッドの冒険』
だったんですよ。

圧倒的に この… ねっ。
ルーベンスの絵の前で

寒さに凍え死んだ子供は
要領が悪いだろうと。

そうね。
こんなに おなかがすいてて

寒かったら どこか行けばいいのに
なんで こんな所で

ずっと誰かが助けてくれるの
待ってるんだ

っていう話をしたわけですよ
母に。

そしたら 母は もう諦めたと。

この子は どうにでもなれ
みたいなね。

まあ どうにかなるだろう
という事で 14歳ぐらいの時に

1人でヨーロッパ旅行に
行かされてですね。

14歳で?
14歳で。

言葉だって全然わかんない?

わからない。 わからないけど
自分が行くはずだった…

この時のあれですけど。

自分が行くはずだった旅行を

行けなくなったから 「あんた
代わりに行ってきてちょうだい

学校休んで」って言われて。
それ すごいわね。

でも 口実なんですよ。
っていうのは 最後に…

要するに フランスとドイツに
旅立ったんですけど

「パリに寄って ルーヴル美術館
見てこい」って言うんですよ。

「私は 『モナ・リザ』が
すごく好きなんだけど

自分で見に行けた事がないから

代わりに あんた見に行って」って。
それは要するに 私が

「絵の道に進みたい」って
学校の先生に言った時に

「お前 それじゃ食っていけないぞ」
って言われて

落ち込んでた時期だったんですね。

ところが やっぱり
ルーヴル美術館に行って

たくさんの絵を見る事で
お金になってもならなくても

やっぱり
美術をやってた人たちがいたから

こういう美術館があるんだ。

それで すっかり勇気が戻って
それがきっかけとなって

イタリアに
留学するようになりました。

あっ そうですか。

じゃあ お母様のそのお言葉は
よかったわけですよね。

そうですね。 破天荒な母の
その言葉のおかげですけど

破天荒すぎちゃって…。
これ 17歳の時に

行ったばっかりの私ですけど
なんにもわかってないですね。

でも よくだまされませんで…。

いや だまされまくりますよ
このあと。

これ まだ
だまされまくってない… 前です。

このあと 怒濤の…。

もう 何せ 絵描きですからね
私の志望は。

お金がないわけですよ
さっきのネロじゃないですけど。

で 一緒に… この時
私が付き合った彼氏がですね

詩人ですよ。

でも そうやって
付き合ってた詩人の人と

11年間 一緒にいたんですけど。
そんなに長く?

そうです。 11年目にですね
実は結婚をしてないんですけど

ちょっと
子供ができてしまいましてね。

ええ。
私 子供ができた事をきっかけに

その詩人の人と
別れる事にしたんですよ。

普通は みんなに
「それ 反対だろ」

って言われたんですけど…。
あら 可愛いね。

そう。 可愛かったんですよ。
デルス君。

デルス君。
で 11年間ね

詩人の面倒を
見てきましたと。

でも これからは
もっと小さい

もっと無防備な人間が
できたので

こっちの方を優先に
させて頂きますっていう事で

詩人の方とは
ちょっと お別れして。

で この時に やっと
漫画を描き始めたのかな。

それで収入はどうなったんですか。
だから もう 慌てて

漫画はお金になるって聞いたんで
初めて漫画描いて この時。

子供に おっぱいやりながら
漫画描いてですね。

で 応募してみたら 辛うじて
一番下の賞に引っかかって。

それで ああ 漫画いけるんだ
と思って

この時から漫画を描き始めた…。
賞金をもらえて?

はい。 だけど まあ すぐに
とんとん拍子にいかないんで

十足のわらじ状態で
イタリア語 教えたりとか

温泉のリポーターしたりとか
色んな事をして。

大変ですね。
はい 大変です。 子育てのために。

でも その子 連れて
日本に帰ってらしたら

お母様は なんておっしゃったの?
母ですか?

内緒にしてたんですよ。 そしたら
「あら やだ」って言ったあとに

「まあ 仕方ないわ。
孫の代までは私の責任だ」って

言い切ったんですよ。
すっげえ親だなと思って。

で 当時 バイオリンをね
たくさんの子供たちに

教えてたんです。 いつも
子供 抱えながらバイオリン…。

「はい ボーイング もう一回!」
みたいな感じで教えてましたけど。

だから うちの子供は 強烈な
女2人を見て育っちゃったんで

かなり静かな 諦観した子供に
なりましたけどね 今。

そうですか。
はい。 そんな事がございまして。

そこまでは随分…
相当のあれですよね。

はい。 でも そのあとですね
さっき 徹子さんに

14の時に 私 旅したって
言いましたけど。

その時に
私 家出少女と間違えられて

ベルギーのホームでですね

変なおじさんに
つきまとわれたんですよ。

で そのおじいさんがですね 私に

「お前は家出少女か」って言われて
「そうじゃない」って。

「この旅は
母から“行け”と言われたので

フランスとドイツを旅してるんだ」
って言ったら 急に怒りだして。

「そんなね
ヨーロッパを1カ月も旅して

イタリアに来てないのは
けしからん!」って

怒りだしたんですよ その人。
話を聞いたら

イタリア人だったんですよ。
フフフフ…。

「全ての道はローマに通ずだ」って。
「書いとけ 紙に」って言われて。

仕方ないから 紙に英語で書いてね
「全ての道はローマに通ず」。

それで 家に帰ってから 母に

こんなおじいさんに会って
怒られたから 手紙書いてくれと。

で その母が そのおじいさんに
「申し訳ございませんでした」

「うちの娘が
大変ご迷惑をおかけして」

っていう事で その2人が
仲良しになったわけですよ。

ええ。
そしたらですね

そのおじいさんが 結局
きっかけとなって

私をイタリアに呼んで
17でイタリアに行きましたと。

で そのあと
そのイタリアのおじいさんは

10年後ぐらいに
亡くなるんですけど。

そのおじいさんは
何をしてた人なの?

そのおじいさんはですね
あとで話 聞いたんですけど

どうも
ドイツとフランスに愛人がいて

行く途中で
私に会ったらしいんで…。

それ なんで
そんな話を知ってるかというと

私が結婚した
今の14歳年下の人っていうのは

そのおじいさんの孫なんです。
ええー! あっ そうなの。

そうなんです。
ええー 面白い。

なので
ご縁なんだなっていう事で。

そのおじいさんがいたから

それがきっかけで
イタリアに行って…

マルコじいさん
っていう方なんだけど。

その人のお孫さんがベッピーノで。
でも 私が おじいさんに

「家出少女だろう」と
言われた時は14ですから

この人は
0歳だったわけですよね。

なるほどね。
こんな事になるとは

全く思ってもみなかった
という。

人生 不思議でございますね。
ねえ。

で まあ 高校に入ってから

私 普通のエスカレーター式の
学校だったんで

そのまま大学行こうと思ってたら
そのおじいさんに

やっぱり 活を入れられて。

「あんなね 危険な旅を冒してまで

“絵で生きていきたい”って
言ったのに やっぱり お前は

安泰な道を選ぶのか?」
みたいな事を言われて。

そりゃ安泰の道 選びたいですよ。
だけど まあ 若いうちはね

「失敗してなんぼよ!」って
うちの母に言われて。

「人間はね 失敗とかね
辛酸をなめてね

やっと成熟するのよ!」
って言われて。

「辞めちゃえ 学校」って言われて
辞めさせられたんですよ 高校。

相当すごい家だわね。

でも まあ 相当…
そういうお母様で育ったらば

自立心も何もつくでしょ。
自立心もつきましたし

もう 本当に 苦労も辛酸も
散々なめましたんで

あんまり動じない人間には
なりましたね。

お母様の口癖があるんですって?
ええ。 「なんとかなるわよ」と

「大した問題じゃないわよ」って
この2つ。

「まあ 大した問題じゃない。
なんとかなる」って

いつも これです。 ずっと。
そしたら

そうなってきます? 今のところ。
ええ。 私も それが

最近 私の口癖にも
なりつつありますし…

はい。 いい言葉だと思います
この2つは。

でも それにしても
『テルマエ・ロマエ』が

これだけ大ヒットした
っていうのは いい事です…

よかった事ですよね。
そうですね。

だから これも やっぱり

さっきも言いましたように
シリアだったりとか

中東に長く暮らしてて

お風呂のある生活がね
なかなか できなかったんですよ。

枯渇感が…。

お風呂に入りたいっていう思いで
いっぱいになるんですよ。

そうすると ふと気が付くと
紙にですね

お風呂に入ってる おじいさんの
絵とか描いてるんですよ。

ハハハハ…! 本当?

その お風呂に入ってる
おじいさんを描いてると

自分も入ってる感じに
なるんですよ。

ああー しみるわ 湯
みたいな気持ちになってきて。

で 気が付いたら
ああいう漫画ができてた。

へえー。
だから やっぱり 枯渇感とか

足りないものがあるっていうのは

大事な事かもしれないですね。
ああいう所には

銭湯みたいなものは
あるんですか?

いや もう ヨーロッパには
ございませんでしてね。

やっぱり ない。
お風呂に入る習慣っていうのが

日本みたいに根付いてませんから。

ところが
2000年前はあるわけですよ。

うん。 そうですよね。
2000年前の人たちは

毎日 銭湯行ってたわけですよ。

ええー。 どうして 今
入らなくなっちゃったんでしょう。

今 入らなくなっちゃったんです
色々ございましてですね。

昔は こうね 一区画にですね…

ローマの繁栄期っていうのは
ローマの街だけで1000軒もの…

1000軒もの風呂屋があったんです。
へえー。

なのに それが
一遍になくなったのは

なんでかって言いますと
まあ 戦争ですよね。

戦争があった時に やっぱり

強い人たちは
何を考えるかっていうと

まず
インフラを破壊するわけですよ。

で インフラが
機能できなくなると

やっぱり
どんなに大国であっても

うまく
稼働していかなくなっちゃう。

それで
水道が供給されなくなって

要するに 浴場にお水が…。
お風呂が来ない。

そして お風呂を
沸かせなくなってしまった。

それと あと キリスト教が
やっぱり 力を持つようになって

キリスト教世界では
やっぱり 人前で

自分の裸を見せるっていう事は
けしからんっていう事で。

そういった事もあって
お風呂っていうのは

衰退しちゃったんです。
非常に やっぱり

ローマと日本の共通項
っていう事に

イタリアに長く暮らしていると
気が付いてくる事があって。

なので 今ね 古代ローマの人が

日本に来たら
絶対楽しいと思うんですよ。

あっ そうですか。
だって こんなに

温泉も いっぱいあって
銭湯も いっぱいあってね

楽しいに
決まってるじゃないですか。

味覚も似てると思うんですよ。
あっ そう。 食べ物。

生のお魚とか魚醤とか好きなんで。

だから そういう発想から
ああいう漫画ができた

っていう事なんですけどね。
なるほどね。

漫画をお描きになる
きっかけになった息子さんも

今 もう26歳におなりになってね
随分…。

さっき
可愛らしかったんですけど

今 もう 魚釣って…。
こんな大きいんですか?

こんな大きいです。 私が
すっとこどっこいなもんですから

諦観した息子に育ちまして。
フフフフ…。

この子はこの子で
世界転校を

たくさん
繰り返してるわけですよ。

イタリアのフィレンツェで
生まれて

そのあと 日本に
一時 戻ってきて。

で それから
シリアに行って

それから
ポルトガルに行って

小学校は
ずっとポルトガル。

そして
中学校 卒業してから

今度 高校 アメリカ。
で 大学もアメリカ。

で 今 いったん 日本に
帰ってきてるんですけども。

とにかくですね
世界の学校を

転々と こう 変わっていく中で

国語と歴史の授業内容が
全部 変わるんですよ。

そしたら うちの子供に

「いい加減にしてくれないかな?
世界転校」って言われて。

で まあ… でも 唯一ね
音楽をやってるんですけど。

あっ そうなの。
チェロやってるの?

そう。 チェロが弾けて あとね
算数? 数学が得意なんですよ。

この2つは世界万国…。
そうですね。 共通。

共通なので それで まあ

なんか生業にして
生きていってちょうだい

みたいな感じで。
いい加減な感じで

育てちゃいましたけども。
そうなんですか。

ヴィオラ母さんの生き方が
子供に影響を与えた

っていう事になります?
ええ。 ヴィオラ母さんみたいに

しちゃいけないと
思ったんですけど

気付いたら なっちゃってましたね
やっぱりね。

ご自身の子育てのエピソードを
お書きになったご本が

最近 出たんですって?
さようでございます。

私ね 子供の写真とか 動画を

なかなか
撮らない人間なんですけど

記録… 文章に残す方が やっぱり
面白いなと思ってる方で。

後書きを
うちの子供が書いたんですよ。

えっ 自分で?
サプライズで。

そしたら 私が 綿々と

「うちの子供はね
忍耐強くて本当に偉い」って。

そしたら 後書きで

「本当に うちの母は無謀で
もう 本当に不条理で

どれだけ
怒りたかったかしらないけど

ずっと我慢を通してきた」
みたいな事が全部書いてあって。

早く言いなさいよみたいな。
でも 最終的には やっぱり

「そういった
不条理な親を持ったおかげで

自分は色んな事が学べて
もう 世界 どこに行っても

1人で生きていける勇気が
できました」みたいな事が…。

すごいですね。
書いてありまして。

フウー よかったなと
思いましたけど。

おかげさまで。 はい。 でも まあ
たくましい子供にはなったんで

何になっても かまいませんし。
そうですよね。 でも 随分ね…。

じゃあ その子は 1人で
生きてた時もあるんですか?

ええ。 もう ずっと
1人暮らしをしてましたし。

うちは もうね
みんな 共同体なんで

家族という。 結束してなくても
結束してるというね…。

むしろ 母と一緒に
生きたくないって

暮らしたくないって
言ってました 大変だから。

マリさんは今 一番
関心持ってるのは なんですか?

私ですか?
日本の食べ物とお風呂ですね。

『徹子の部屋』は

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