こころの時代~宗教・人生~ 遠藤周作没後25年 遺作『深い河』をたどる 後編[字] …の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

こころの時代~宗教・人生~ 遠藤周作没後25年 遺作『深い河』をたどる 後編[字]

遠藤周作が自らの人生を投影した登場人物を交差させ、「日本人にとってのキリスト教」という生涯のテーマの集大成として書き上げた『深い河』。その魅力と思想を探る

詳細情報
番組内容
遠藤周作が「自らの棺に入れてほしい」と願った遺作『深い河』。それは、作家として追い続けた「日本人にとってのキリスト教」というテーマへの最終回答となった。番組後編では、『深い河』でそのテーマをさらに深め、「人間にとっての宗教とは何か」という普遍的視点に至った遠藤周作の宗教多元主義をひもとき、主人公「大津」のモデルとなったカトリック司祭・井上洋治との友情の過程を描きながら、現代に響くメッセージを探る。
出演者
【出演】ノートルダム清心女子大学教授…山根道公,批評家・随筆家…若松英輔,【朗読】加瀬亮

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
福祉 – 社会福祉

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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繰り返し 神への信仰に
疑問をぶつける女 成瀬美津子。

美津子に棄てられ
フランスで神父の道を目指す 大津。

長編小説「深い河」で 遠藤周作は
主人公の男女の葛藤を通して

「日本人にとってのキリスト教」
「人間にとっての宗教」という

生涯のテーマを追い続けました。

遠藤周作が 「深い河」に込めた
「玉ねぎ」の祈りとは何か。

シリーズ後編は ガンジス河に至る大津と
美津子の その後の人生をたどりながら

遠藤周作のラストメッセージを探ります。

♬~

フランス・リヨンでの大津との再会から
4年後

美津子は 見合い結婚した
青年実業家の夫と別れ

インドへの団体ツアーに旅立ちます。

旅先に 美津子が携えてきたのは

リヨンを離れ キリストの聖地
パレスチナに居場所を求めた

大津からの手紙でした。

「ぼくは まだ神父にはなれません」。

大津には モデルがいる。

「深い河」の刊行直後 遠藤周作は
新聞のインタビューで明かしました。

そのモデルとは
宗教を考えるうえで 同じ志を持ち

終生 「戦友」と呼んだ人物でした。

大津と同じく
若くして フランスの修道院で学び

帰国後は 日本に根ざした
キリスト教の在り方を問い続けた

カトリックの司祭です。

井上洋治は
その思いを 若い世代にも伝えようと

「風の家」という会を主宰。

山根道公さんと 若松英輔さんは

共に そこで井上神父の教えを受けました。

大津は 私と山根さんと共に

人生の師だと
言っていいと思うんですけどね

井上洋治っていう人物がいて
このモデルっていう言葉が使われる時に

事実を継承している人が
モデルだっていうふうに

考えられがちだと思うんですけど

大津は その真実っていう
事実とは違う次元において

井上洋治が モデルだって
言うべきなんだと思うんですね。

西洋から受け取った キリスト教の形では
感じとれないところ

そういうものを やはり
捉え直していくっていう使命を

感じているところが
大津と 井上神父と重なるところで

一番 モデルとして投影されてる
ところなのかなと思います。

少し 僕 思い出したことがあって

私 21ぐらいの時ですかね 1年間ぐらい
少し 心を病んだことがあって

そういう時は
「聖書」なんか読んでいても

矛盾するところが
もう気になってしょうがない。

ほとんど 家から出られなくなっちゃう
みたいな時期があったんですけど。

井上神父が
「聖書」の教室を開いて下さって

僕は その場で 本当に一方的に 何十分も
しゃべったんだと思うんですけど

その時に 井上神父が 聴き終わったら
「いや ありがとう。

とても いいお話を
聴かせてもらいました」って。

「でもね 若松君 信仰っていうのは
知ることじゃないんだ」って。

「生きるってことなんだ」って
僕は そこで言われて

その時から
急速に癒え始めるんですよね。

私にとっては 宗教っていうのは
何か知らなきゃいけないことで

深く知るということが
信仰を深く生きることなんだって

ある時まで やっぱり思ってた。

だけども その あの日を境に
私にとって 信仰っていうのは

本当の意味で 生きることに変わったって
言えるんだと思うんですよ。

でも それは 実は 遠藤さんも
ず~っと おっしゃってたことだし

どう生きてくかっていうのが

何か とても大事なテーマのような
感じがするんですよね。

まさに そうですね。

その時に 西洋のキリスト教を
服で例えますよね 洋服という。

例えば
日曜日の礼拝に行く時だけだったら

その洋服でも いいかもしれない。

でも 信仰を生きるっていうのは

日常 生活全てに
浸透して生きることなんだから

その時だけ ちょっと
着ていくとかいうようなものではない。

そうであれば
全てに浸透していくっていう生き方を

これが 遠藤さんと井上神父が
ずっと使命として背負い続けて

そして 私たちに バトンを渡そうと
してくれたことなんだと思いますけど。

遠藤周作と井上洋治が出会ったのは
戦後間もない 1950年。

横浜を出て
フランスに向かう船の中でした。

井上洋治は 当時23歳。

神父の道を志し
フランスの修道院に入るためでした。

遠藤周作は 27歳。

フランスの現代カトリック文学を研究する
留学でした。

2人は 四等船室で寝食を共にし
フランスでの夢を語り合いました。

しかし 留学先のリヨン大学で学ぶうち
遠藤周作は 違和感を覚え始めます。

それは ヨーロッパのキリスト教文化と
日本人として育った自分の乖離でした。

遠藤周作は 井上洋治を訪ねます。

井上は ボルドーの近く
ブリュッセの修道院に入会し

厳しい祈りと
労働の日々を送っていました。

(井上)随分 不便なとこなんですよ。

バスで1時間 歩いて1時間ぐらい
かかるんじゃないかな。

来てくれたわけですね。

井上洋治もまた スコラ哲学から学ぶ
フランスの神学に

自分が抱いてきた 神への思いとは違う
息苦しさを感じ始めていました。

日本をたつ前 そもそも 井上が
神父を志す きっかけとなったのは

「リジュ―の聖テレーズ」という
一人の修道女が記した自叙伝でした。

聖テレーズは
24歳で この世を去るまで

自然を愛し 神の愛は
選ばれた善き人だけでなく

悪人や小さき人にも
あまねく注がれると考えた人でした。

「天主様のお創りになった花は
みんな それぞれに美しく

薔薇の麗しさも 白百合の清らかさも
決して 小さな菫の薫りをなくしたり

雛菊の可愛らしい あどけなさを

失わせるようなことがないということを
悟りました」。

善悪で分け隔てしない神。

人知れず咲く 小さな花あってこその自然。

その全てを包み込む神の愛。

井上洋治は それが 日本の風土にも
溶け込む教えだと考えたのです。

井上の思いに 深く共鳴した遠藤周作は
文学の世界で表現しようと挑み

登場人物の大津に
井上洋治の思想を受け継がせました。

大津が リヨンの修道会を離れた理由を
記した美津子への手紙です。

遠藤さんは 病気になって
3年後に戻りますけれども

そのあと 井上神父は
大体7年半修行して

「自分は
フランス人になることはできない。

やはり日本人として 日本に戻って

日本人として キリスト教を
捉え直していく」っていう

遠藤さんに こう
それを伝えに行くわけですけど。

そのあと 確かに また遠藤文学が
やっぱり変わっていくんですよね。

それまで その西洋キリスト教の
距離感というものが

割と中心に描かれていたところから

それを 埋めていくっていうことに
向かっていくという

その作業を こう2人でやっていきますね。

それで 「戦友」っていう ただの
親しい友人とかっていうのではない。

お互いを支えていきながら
こう 2人がいたから

こう 自分も ここまで
戦ってこれたっていうような

そういう間なんだっていうことで。

何かこう トンネルを 何か別の方向から
掘ってくれてるっていうか。

仲よく いつも 同じ2人で
作業してるというよりも

本当に ある意味では孤独で

一人は 宗教の世界で
一人は 文学の世界でって。

でも あの2人がいたおかげで
宗教と文学っていうのが 本当に

響き合える 何かになったっていうのが

とても 意味が大きいんじゃないかなと
思うんですよね。

この大津の孤独にね
描かれていますけれども

本当に 遠藤さんは
井上神父の孤独を一番よく分かっていた。

それは 長い時間をかけて
やり遂げなければいけない仕事であって

自分たちは この自分の世代だけで
その やれることではない。

次の世代のための
踏み石になれたらいいんだと。

何か その思いで この「風の家」も
始まったという感じですよね。

私なんかも 長く関係させて頂いて

「風」っていうものの
名前の由来ですね。

少し ご紹介頂きたいと思います。

これは 「聖書」の世界の中に出てくる
プネウマ。

「精霊」という
霊というふうに訳されますけども

でも 日本人に 霊 霊といっても
霊に委ねなさいとか言われても

やっぱり そういう実感がない。

ギリシャ語だと「プネウマ」というのが
そのまま「風」という意味もありますから

そういうふうに こう言った方が
日本人としては 実感をもって

その働きを感じることが
できるんではないかという。

風も まあ どこから吹いて
どこに行っているのか分からないし

けれども いろんな人に いろんな形で
それが見えないけれども及んでいて

これは また遠藤さんも
よく言ってるわけですけども

神は どこにいるといっても
見つからないけれども 現代人にとっては。

でも 自分の人生を振り返ってきてみると
自分の人生を導いていった

それは 単なる偶然の結果
今 自分は ここにいるのではない。

この人と 出会ったのではない。

何か背後から 自分をこう導いてきたり
出会わせてくれたものがあるという

それを 日本人は
こう 「風」という言葉で表していたと。

良寛さんにしても 一遍上人にしても。

井上神父は やっぱり「神」という言葉が
分かりにくかったら

「大きな命でいいんです」ということで
やっぱり置き換えて

ちょうど 大津が 美津子に書いてる
手紙の中に出てきますけれども

その中で こういう言葉があります。
それは…

それは 今の 多分 風の話と

何か とても深く通じるところが
あるんだと思うんですよね。

その井上神父が
その「深い河」を読んだ時に

実は その「深い河」っていうものが
主人公なんだっていう お話をなさった。

そうなんですね。 井上神父は
更に その時にですね

この「深い河」を読んだ感想として
まず すぐ これは もう「深い河」

ガンジス河 「深い河」が主人公で
その曼荼羅だなって。

「深い河」曼荼羅だなっていうような。

そうなんですよね。
複数の霊性ということですね。

一つの霊性ではなくて
複数の霊性に またがって

物事を見ていく時の
ある意味での豊かさ。

遠藤さんも 井上神父も 共に 仏教を
とても大事にされたというか。

井上神父も 本当に大事なことだと言って
もともと宗教っていうのは

やっぱり「南無」の心を伝えるっていうのが
宗教の一番大事なところがあるんだって。

「南無」というのは 全てをこう
委ねていくっていうことですね。

自分が 主人公
人生の主人公ではなくて

もっと大きな存在が
命を与えてくれているという

そこに こう委ねていくっていう

そのことが 本当の意味での
平安を与えてくれるし 生きる力

そして 更に言えば 自由なんかも
それによって与えられるんだっていう

井上神父にとっては 特に法然が

イエスの面影を
しのばせる人っていうことで

ですから 宗教家としての生き方

まさに
「南無」の心を生きていた姿としては

法然上人に 一番共感しているというか
敬っていたというところがあります。

結局 仏教も 外来の宗教が日本に入って

時代 時代の中で
仏教を 自分のものとして生きて

それで 目の前で
本当に苦しんでいる人に

その仏教の救いを伝えるっていうために
懸命に生涯を懸けた。

そういう先人がいて
こう それが可能になっていくわけです。

本当に 何百年もかけて 日本人の心に
本当に根づいていったという

そういう作業を
今度 遠藤さんと井上神父は

自分が 縁あったキリスト教という

そこを この目の前で苦しんでいる人に
本当に届けたいと。

仏教が 血肉化されるまでに どれだけの
営みがあったのかっていうことを

やっぱり キリスト教においても
それが やっぱり必要で

まだまだ時間がかかっていくっていうこと
なのかもしれないですね。

内に秘めた孤独感から
見えない何者かを追って

インドまで やって来た美津子。

ツアーガイド 江波に案内され

美津子は
やがて奇怪な女神像の前に立たされます。

遠藤周作は 「深い河」の中で

チャームンダーの姿を見た美津子に
ある言葉を思い起こさせています。

それは 学生時代 大津が祈りを捧げていた
場所 クルトゥルハイムで見た

「聖書」に書かれた一節でした。

遠藤周作は 執筆終盤にさしかかった
日付の「創作日記」に

旧約聖書「イザヤ書」に由来する
この詩編こそが

自分の小説の主題であると
記しています。

今の読んだ箇所というのは

遠藤さんの
イエス観っていうものだけではなくて

この「深い河」という小説の
骨の部分にもなっていくんです。

美津子が このクルトゥルハイムで
初めて これを見ますね。

何で こんなに実感のない
こんな言葉を 大津は信じれるんだろうと。

でも それが だんだん大津の生き方を
見ていくことによって

そして 最後に
こういう神の姿があるんだったら

そこに 本当に実感を持ったものに
これが 美津子がなっていく。

その威厳のない この みすぼらしい姿。

遠藤さんが この言葉を 引用することで
表現してみたいと思うのは

私たちが この世の威厳だと
感じてるものとは違う

真実の威厳っていうものを

イエスは 体現しているってことを
言いたいんだと思うんですね。

とても興味深い構造に
なってるなと思うのは

その言葉の中に 人間が入っていく。

言葉という大きな命の中に 人間が
入っていくような作品っていうのが

この「深い河」の とっても
興味深いところだと思うんですよね。

この作品には
遠藤さん ご本人の声っていうのが

生々しく出てくるっていうことは
ないわけですけど

それでも やっぱり 「この言葉は 一体
誰が語ったの?」っていう場面って

時々 出てきますよね。
そうですね はい。

何者かの声だっていうのが 何か所か
出てくるんだと思うんですけど

僕は やっぱり 作家も参加することを
求められているっていうか

誰が言ったのかっていうことが
あんまり問題じゃなくなる。

今の「イザヤ書」の言葉と とても深く
共振するところだと思うんですけども

「チャームンダー」っていう
ヒンズー教の女神が出てきます。

苦しみの女神ですよね。
そうですね はいはい。

実際には ある場所は
デリーの国立博物館の方ですけど

そこで 実際に置かれている
チャームンダーを見ても

ほんとに 回廊の中の端っこに
ちょっと置かれていて

全然 別な所にあるものを

遠藤さんは ガンジス川のほとりに
あるように 設定しているわけですが

逆に言えば それだけ
遠藤さんの思いが込められている箇所で

それが 一番感じることができますね。

チャームンダーっていうのは
苦しみを取り除く神ではなくて

苦しみを 共に背負っていく神ですよね。

このチャームンダーっていうのは
どんなに大きな苦しみであったとしても

私は いつも横にいるっていう
そういう神なんだと思うんですよね。

この「深い河」っていう作品は
ある意味では

私たちに 簡単な救いっていうものを
描いてない。

私たちは 何かこう苦しいことがあったり
悲しいことがあったりすると

それを 取り除いてくれることを
やっぱり願ってしまう。

だけども やはり
苦しみや悲しみを通じてしか

学びえないことっていうのは
やっぱり たくさんあって

やはり その道を 共に歩んでくれるのが
神だっていう感じも

やっぱり するんですよね。

ガンジス河のほとりの火葬場。

そこには
次々と 死を迎えた人々が運ばれ

身分や階層の区別なく
水面に流されてゆきます。

そこで美津子は
貧しく 身寄りのない人々の遺体を

河に運ぶ行いを続けている
日本人神父がいるという噂を耳にします。

それは 流浪の末
ここに たどりついた大津でした。

捜し回った美津子は とうとう
大津と リヨン以来の再会を果たします。

この時 遠藤周作は

大津の 「日本人の心に合うキリスト教を」
という言葉を 更に先へと推し進め

宗教の壁を越える「玉ねぎ」とは
何かについて 語らせています。

「創作日記」からは その構想の
土台となった本の存在がうかがえます。

神学者ジョン・ヒックの「宗教多元主義」。

「各宗教は 同じ神を 違った文化や象徴で
求めている」という主張でした。

遠藤周作は 日記に

「この衝撃的な本は…
私を圧倒」と書き残しています。

その思想は ガンジス河に遺体を運ぶ
大津に反映されました。

遠藤周作は 大津の薄汚れた寝場所に

彼の行いを支えてきた本を
何冊も置いています。

その一つが マザー・テレサ。

大津と同様 彼女も 祖国の
北マケドニアを離れて インドに暮らし

コルカタに
「死を待つ人々の家」を設立。

臨終に瀕した人を宗教の区別なく受け入れ
寄り添い続けてきました。

更に 「深い河」の中で 大津が一日を終えて
開くのは ガンジーの本でした。

「跪いて しばらく祈った。

それから マハートマ・ガンジーの
語録集を拾いあげて

昨夜の汗で湿っているベッドに
体を横たえた。

そして何度も繰りかえして読んだ箇所に
眼をやりながら 眠りのくるのを待った。

私は ヒンズー教徒として

本能的に すべての宗教が
多かれ少なかれ 真実であると思う。

すべての宗教は 同じ神から発している。

しかし どの宗教も不完全である。

なぜなら それらは不完全な人間によって
我々に伝えられてきたからだ」。

大津が 誰にも顧みられることなく

あの行き倒れの人を
火葬場まで運んでいくって。

そういうふうに働いている
大津というのは

キリストと共に運んでいるって言い方も
できるわけですよね。

それは
実は マザー・テレサも同じであって

僕 マザーも 何か そういうことを
経験なさってたんじゃないのかなと

思うんですけどね。
そうですね。
もう 本当にそうだと思います。

ですから
マザーは いつも言ってたのは

その現代に 現代の中で
一番最悪の病は 孤独だと。

その孤独というのも
誰からも 自分は愛されていない

いてもいなくても同じだと
自分で思ってしまう。

そういうふうに感じられる寂しさ

物質的な貧しさとか 病気とか
それ自体も大変つらいけど

自分とつながってくれる人がいないという
孤独こそ 最悪の病であって

一番 つらいことで
そこに 手を差し伸べていくというのが

マザーの修道院の
活動だったわけですけど。

遠藤さんも全く同じことを
書いてるんですよね。

イエスっていうのが
こう 何か奇跡を行って

どんどん病気を治せるというよりも
病気の人の手を握って

病気の人が ほんとに
この苦しんでいる 孤独でいる その時に

あなたの苦しみを
私も共にしているっていう

それが この「深い河」には込められて。

マザーは ノートルダム清心の 女子大学の
方にも来てもらってるんですけれども

修道院が 大学の中にありますから
そこに泊まられてっていう。

その時に 学生たちが
夜遅かったんですけど 迎えて

話をしてくれたりした。

そしたら やっぱり学生たちは
マザーのところ

ボランティアに カルカッタに行きたいと
そういうふうに マザーに伝えたら

そういう思いを持ってくれるのは
うれしいと。

だけれども 自分の周辺のカルカッタ

周辺で出会う
心がほんとに寂しい そういう人たちに

手を差し伸べてあげれる人に
なってほしいと

マザーは そこで伝えてくれて。

彼女は とても大きな
現代の病ってものも

やっぱり感じてたとも思うんですよね。
そうですね。

今までは 神学というのは やっぱりこう
私たちが知性を使って 作るもんだと

人々は
思い込んできたかもしれないけども

あのマザー・テレサっていう
一人の人物が出てきたおかげで

いや そうではないんだと。

もっと言えば もともと
そうではなかったのだっていうことを

何か 私たちは思い出せたんじゃないかと
思うんですよね。

あと ガンジーなんかは
どうでいらっしゃいますか?

私は あの
ガンジー語録集を読んでると 大津が。

それは…

自分が完全な人間で 完全な宗教を
背負ってるんだと思うことが

宗教の対立 で 自分の方が真実なんだ
ということになってくるけど

自分たちの組織だとか
自分たちというものは

不完全な時代の中で 不完全なものとして
生きてるという謙虚さですよね。

その不完全さっていう謙虚さを
互いが持つことが

互いの寛容さにもなっていく。

これは ほんとに現代において
すごく必要な宗教。

ガンジー自身は よりよく
ヒンズー教徒として 生きるために

イエスの言葉 その「福音書」を

ほんとに
大切にしていくんだということを言った。

そういう ガンジーの姿勢っていうのは

まず
遠藤さん自身が すごく惹かれてるか

自分が もともと持っていた
感じてたものを

それをまた 大津にも託していった
というとこがあるんだと思いますけどね。

ここで とても重要だと思うのは
「宗教多元主義」っていう。
ええ。

遠藤さんが とても影響を受けたと

その「創作日記」で書いてる
ジョン・ヒックという。

彼が考えていたことは
その それぞれの宗教が

相互作用をもたらすことが大事なんだ
ということなんだと思うんです。

で ヒックが言及してる人物なんですけど
ビード・グリフィスという人物がいて。

この人は カトリックの修道士
49歳の時に インドに渡って

インドで生涯を終えたって人なんですけど
その人が とても重要な例えをしていて

その 宗教というのは
こう 手のひらのようなもんなんだ。

で 例えば キリスト教があり
ヒンズー教があり イスラム教があり

仏教があり まあ いろんな宗教があると。

だけども この手のひらに
みんな つながっている。

で つながってるだけではなくて
この5本のものが 一緒に働くことで

物をつかめたり
いろんなことができるんだって。

で 宗教多元主義っていう時に
何もかも一緒だっていうふうに

私たちは やっぱり理解しては
もったいない。

だから その 離れているからこそ
共鳴したり 共振したり

共に働いたりすることが
できるっていうのが

やっぱり 遠藤さんが見つめていた

宗教多元主義ということだと
思うんですよね。

そうですね。
もう ほんとにそうだと思います。

それで 遠藤さん自身が これは
今のガンジーの言葉とも同じですけど

ずっと体験的に感じていたものが

日本の社会の中で
宗教を生きようとしたらですね

やっぱり キリスト教にしか

本当の救いはないとか
というようなことには

絶対 そうは思えないですよね。

やっぱり いろんな信仰を ほんとに誠実に
生きている人たちに出会っていく中で

自分は たまたま母親の縁で
キリスト教になったという。

具体的に
どの宗教に導かれるかっていうのは

また その人の縁があって 導かれていく。

井上神父が
いつも その時に言ってたのは

何か 学問的に知的に こういう
全部同じところに たどりつくんだとか

全部が同じなんだって
自分が どの道も生きないで

どの道も歩かないで いうわけには
できない。

ほんとに自分は選んで どれかの
一つの道しか生きられないんだから

ただ 選んで 同じ一つの道を生きてたら
隣の人が違う道を生きてても

すごく その生き方が尊いものとして
自分も生きてて それが分かると。

「深い河」の最終章。

「彼は醜く威厳もなく」と題された章で

美津子は
ガンジス河の流れに身を委ねます。

その時 火葬場の近くで
叫び声が上がりました。

美津子が駆けつけると

そこには 日本人ツアー客と
インド人の間で起きた

いさかいの仲裁に入って 負傷し

瀕死の重体に陥った
大津が横たわっていました。

美津子自身は その 自分の孤独で
手いっぱいというか 精いっぱいで

その大津の孤独には
関われないというようなところから

スタートしていきながら

最後 この「深い河」の
まさに ガンジス河に入っていく時に

ガンジス河で祈ってる人 一人一人に

その人が背負っている 悲しみがあり
苦しみがあるということに

だんだん どんどん
美津子 開かれていきますね。

「そこのなかに
わたしも まじっています」っていう。

そこに行く時に 美津子は やっぱり
いつも 下に下りていくっていう

自分の中に こう下りて
深い所に下りていくことによって

それに出会っていくという。

今 ほんとに 個がバラバラになって
ほんとに苦しんでいる中にあって

大きなものに包み込まれてる中にある
その個に つながり合っていくというか

開かれていくという
その象徴として示すのには

このガンジス河というのが
一番 体で何かこう

体験させてくれるようなもの
感じさせてくれる

何か そういう場であるという
感じがしますね。

私たちが その 帰っていく場所でも
あるんだろうと思うんですけど。

何か この小説を読んでいると

何か 私たちが生まれてきた場所でもある
という感じがしますよね。

そうですね。

インドの場面で
ある人から見ると 大津っていうのは

とても不幸せな 何かこう 恵まれない人に
見えるかもしれないんですけど

僕はね とっても幸せだったと思うんです。

大津は 最期
「ぼくの人生は……これでいい」と。

それは 普通の次元で見ると
ほんとに惨めな死のように見えても

人生 最期 これでいいと
言えるというのは

やっぱり 幸せな人生だ
ということになりますよね。

ほんとの幸せっていうのは そんな簡単に
周りの人が言えることではない。

その人が 自分が この自分の人生を
これで よかったと言えて

そして もっと大きな存在に
自分の身を委ねていくと。

イエスも
十字架の上で委ねますという最期

大津も そうだったと思いますけど

そういうような人生っていうのが
やっぱ そこにはあったと思いますね。

何か あの キリスト教という宗教は

まあ イエスそのものが ある意味では
とても惨めな死に方をしていく。

で それが この上なく
意味深いことなんだっていうところが

やっぱり そのキリスト教というものが
私たちに 何か問いかけてくる

とても大きな問題なんだと
思うんですよね。

で 私たちが こう
この世で考えてる幸せっていうものを

何かこう ほんとに新しく
塗り替えてくれるような

もう一つの世界の入り口なんだっていう
感じは とても強くするし。

で 大津っていうのは
何かこう 振り返ってみると

生きながら 死につつあったって
感じがしますよね 何かね。

あるいは 生きながら 死につつあることを
願ったっていう

そういうふうにすら 見えてくる。

クリスチャンだった母の
形見のマリア像。

遠藤周作は
この像を 肌身離さず大切にし

自らの病床に持ち込んで
「深い河」の推敲を続けました。

「何という苦しい作業だろう。

主よ 私は疲れました。
もう七十歳に近いのです。

七十歳の身には
こんな小説は あまりに辛い労働です。

しかし 完成させねばならぬ。

マザー・テレサが 私に書いてくれた。

God bless you through your writings」。

「あなたの執筆を通して
神は あなたを祝福されます」。

マザー・テレサから贈られた言葉に
心を奮い立たせ

遠藤周作は 「深い河」を書き上げました。

アメリカ・ジョージタウン大学に
寄贈された 「深い河」の草稿。

その最終ページ 小説の最後の一文が
書き直されていたことが分かりました。

当初 大津の死で
締めくくられていた文章が

「危篤」という表現に
変更されていたのです。

「『もう亡くなりました』という連絡が」
と書いてるのを消して

そして その
「1時間前から危篤です」という

死の予告を 美津子がされるところで
終わるわけですけど

でも よく考えてみると 最初のところが
死の予告なんですよね この作品は。

仕事人間だった磯辺が 妻の死を迎え

そして 妻の死を迎えても
すぐには それが受け入れられない。

それで ガンジス河までも
磯辺は行くようになっていくという。

ですから この作品は
最後が もう一回 最初に戻っていく。

もう一回 この磯辺のような人生を
今度 美津子は この大津に

この危篤になった大津に
どう寄り添っていくのか

どうしていくのか それは全部
私たちの想像に任されますけれども

美津子にとって
大津が どういう存在であるかを

初めて知っていくことになるかも
分かんないですね。 そうですね。

それを また こう繰り返していく。

美津子も この先 どうなるか
分からないってところで

終わるわけなんですけど
そこにこそ 意味があるというか。

この作品は終わりがなくて
円をなして 円環的に動いていく。
ええ。

遠藤さんが たどりついた
永遠というのは

何か そういう姿をしてるんだろうと
思うんですよね。

完成されてる以上の
未完成の力っていうのが あるし

読者が もう そこに
参与せざるをえないというか

読者が作品を支えてくという

何か とっても不思議な作品なんだと
思うんですよね。

この作品に出会って で この作品が
自分の中で育っていくにつれて

完成ということは
何か 作り物なんだってことが

何となく分かってきて。

人間が 本当に何かに向き合った時には

未完成であることを承知で始めるんだと
思うんですよね。

遠藤さんの生涯が そうであるように
井上神父の生涯が そうであるように。

その 未完成に終わるほかないものに
向き合った人間だけが

表現できるものっていうのは
やっぱり あるって思うんですね。

この「深い河」というのは 何かその

やっぱり 答えなんてものを
もう 完全に手放して

で 自分が問いになっていくというような
そういう小説なんだと思うんです。

ですので 私たちに今も問い続けている。

そうですね ですから
ほんとに 今言われたように

そこに 今度
読者の私たちも 結局 入っていって

あなたがまたこういう問題を背負いながら
生きてほしいっていうような

一人一人の河が また そこで始まっていく
というようなことがあるんですよね。

本当に今 その 光を こうね
見失っていく人たちがいて 闇の中にいて。

でも 例えば ガンジス河に行かなければ
そういうものに出会えないとか

何か大きな経験をしなければ
というんではなくて

遠藤さんは 仕事部屋からも
外の 夕日が沈んでいく姿を見て

その夕焼けの中に こうある 町の中で

みんなが 一人一人が悲しみや苦しみを
背負って 精いっぱい生きていると。

その命と つながるような思いで

心が こう締めつけられるような
懐かしさを持ちながら

そして 自分自身は
もう ここから別れていく。

けれども そういう者たちの命を ほんとに
いとおしく思うというような思いを

エッセーで書いてるんですね。

そんな中で この「深い河」は
執筆されているということで。

更に 夕焼けの向こうに
もう 先に帰っていった人たちの

その大切な人… 自分にとって
人たちの声が

聞こえてくるっていうようなことも
語ってるんですね。

何か そういうようなものを 私たちが

わざわざ遠くまで行って
何かに出会うんではなくて

日常の中に 自分の人生の次元に出会う。

こう 自分が深く入っていくと

美津子が入っていったように
他の者とつながって

全部がこう 平等に包まれているという。

そういうところに
本当の宗教の また 力っていうか

大切さがあるということも

また 遠藤さんが
この「深い河」で伝えてくれてると。

そうなんですよね。

私たちの生涯というのは
やっぱり 自分が生きたいようには

生きられないっていうことは
やっぱり 確かなんだと思うんですよね。

生活の次元というのは
やっぱり 私が生きているって

私が生きなくっちゃということだと
思うんですね。

それが 人生の次元になると
主語が 「私」から 「私たち」の方に

少しこう 変わってくる
ということなんだと思うんですね。

井上神父が この
「深い河」の曼荼羅のようだっていうのは

やっぱり これは実は

この「深い河」という作品が
そうだというよりも

私たちが そう生きてるんですよね。

「人間」という言葉が示してるように
人が やっぱり 人間として生きていく

人と人の間で生きていくっていう

何か ほんとに原点に
私たちを立ち戻らせてくれるような

そんな作品なんじゃないのかなと
何か思ったりもいたしました。 はい。

1996年9月29日。

遠藤周作は この世を去りました。

その最期を
妻の順子さんは こう語っています。

ああ 今 この人は光の中へ入ったなと
私も思ったんです。

葬儀や追悼ミサの司祭を務めたのは

遠藤周作の「戦友」 井上洋治神父でした。

日本人にとってのキリスト教
垣根を越えた宗教の本質を求め

共に歩んできた友も
2014年に この世を去り

2人の遺志は
次の世代に受け継がれました。

山根道公さんが教鞭をとる
ノートルダム清心女子大学。

そこに 井上洋治神父が晩年に贈った
一体のマリア像があります。

だいぶ ほんとに こけむしました。

あの まだね 来た当時は…
風雪が だいぶ こうね。

野にある お地蔵様のような
マリア様ですけれども。

ちょうど マリア様の上に
もみじが植えてますけれども

井上神父は 良寛さんの

「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」
という この俳句が もう大好きで。

結局 人生 表だけでなくて
裏も見せながらも 全てを見せて

母なる大地に
こう 迎えられていくっていう

大事な宗教性を ほんとに伝えてくれてる。

そういう姿もまた 学生たちにも
見てもらいたいなと思って。

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