出典:EPGの番組情報
先人たちの底力 知恵泉「武田信玄の“働き方改革”!」[解][字]
“働き方改革”のヒントは戦国時代にあり!?戦国最強とも言われる家臣団を作り上げた武田信玄は、どのように職場環境を整え、人の能力を引き出したのか。その知恵に迫る。
番組内容
現代の“働き方改革”を進めるヒントは、戦国時代にあり!?戦国の世といえば「下剋上」。武士はより良いボスや職場を求め、転職を繰り返していた。そんな時代に、鉄の結束を誇る組織を作ったのが武田信玄だ。その背景には、信玄の働き方改革、“職場環境の改善”があった。「人を使うとは、人の業(能力)を使うこと」。徹底して部下を見続けていた信玄は、人の能力を生かすために、どのような知恵を使ったのか、読み解いていく。
出演者
【出演】山田五郎,川村エミコ,歴史学者…平山優,【アナウンサー】新井秀和ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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キーワード出現数ベスト20
- 信玄
- 家臣
- 武田信玄
- 自分
- 能力
- 部下
- 知恵
- 意見
- 臆病者
- 虎胤
- 時代
- 身分
- 非常
- 優秀
- 裁判官
- 山田
- 仕事
- 主君
- 進言
- 人材
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
24時間 働けますか?
そんな時代もありました。
なるほどねえ。 そっか~。
あ~ やっぱ そういうの必要だよなあ。
「居酒屋の働き方改革」。
あの どうしたんですか?
ちょっとね うちの店
新たにアルバイト雇おうかなと思って
ちょっと「働き方改革」とか こういうの
勉強した方がいいかなあと
思ったんですよね。
全然 やっぱ集まんないですか?
そうなんですよ。
やっぱ 今は働きやすい職場じゃないと
人が集まらないですからね。
雇う側も大変ですね。
あっ 先生!
これはこれは 平山先生じゃないですか。
こんばんは。
部下が突然辞めてしまったり
あと なかなか
言うことを聞かないなんてことは
なにも
今に始まった話じゃないんですよね。
もしかして ヒントとなる
先人の方がいらっしゃるんですか?
そうです。
「ジャパニーズビジネスマン」といえば…
長らく勤勉な企業戦士のイメージが
ありましたよね。
でも 働き方改革が進む今
参考になるのは 大きく時代を遡り
群雄割拠の戦国時代!
武士たちは 終身雇用ではなく
「転職」が当たり前。
主君に不満があれば
別の主君に乗り換えます。
出世も年功序列ではありません。
力のある者が上に行く「下克上」。
不安定な時代を生き抜く働き方が
求められていました。
そんな時代に
鉄の結束を誇る組織がありました。
戦国大名 武田信玄率いる
甲斐武田家です。
こちらが 武田二十四将といわれた
伝説の家臣たち。
信玄の「両目の如し」といわれた…
「不死身」といわれた猛将…
有能な家臣ばかりと思われがちです。
でも実は クセが強~い部下も多かった。
すぐカッとなる短気者
訴訟好きのトラブルメーカー
なんと 戦が苦手な臆病者も!
しかし 信玄は
優秀な家臣を集めるのではなく
彼らを「どう生かすか」に心を砕きました。
実は 信玄が家督を継ぐきっかけは
父 信虎と家臣の間の溝にありました。
信虎は 合戦上手ではあったものの
家臣の意見を聞き入れない
いわば ワンマンタイプのリーダー。
クーデターを起こされ
追放されてしまいます。
そんな父に代わって
新たな主君となったのが
信玄だったのです。
信玄は こう語っています。
「人を使うとは 人の能力を
いかに使うかだ」。
信玄は どのようにして
それぞれの部下の能力を見いだし
有能な家臣団に
まとめ上げたのでしょうか。
ヒントとなるのは
家臣が働きやすい環境作り。
その知恵に迫ります。
今回 武田信玄の知恵を読み解くのは…
雑誌編集者として
カメラマン ライター モデルなど
個性豊かなプロをまとめて
人気企画を担当。
40歳で編集長になると
クセの強い部下たちに悪戦苦闘!?
46歳で出版社を退職後は
更に幅広いジャンルの人と組み
番組やプロジェクトを作り上げています。
山田五郎さんと武田信玄。
多様な人材を生かす組織作りとは…
その極意を考えます。
いや~ 武田信玄 興味深いですね。
まさか お父さんを反面教師にして…。
そういうところありますね 間違いなく。
あるんですか。 すごい。
信玄は やっぱり父親と家臣
あるいは父親と自分が対立し
軋轢があって 国が分裂しかけてた
っていうところに
非常に強い危機感を覚えていたわけです。
だけれども そういった中で
どうやって まとめていくか
っていうことに心を砕いた。
すごい興味深い。
あら? え?
「信玄 信玄」言ってるから
呼ばれたのかと思って。
ちょっとちょっと いつの間に。
どうぞ どうぞ どうぞ。
いらっしゃいませ。
どうも こんにちは。 こんにちは。
武田信玄 武田信玄って。
気付きませんでした。
はい 影が薄い男ですからね。
いやいや…!
改めて 評論家の山田五郎さんです。
ようこそ。
よろしくお願いいたします。
(一同)お願いします。
武田信玄。
「武田信玄 信玄」言ってるから
俺かと思って。 えっ 俺か?
はい。
えっ 信玄と山田さん
何か つながりあるんですか?
あっ!
子どもの頃の友達に いまだに
60過ぎても まだ信玄って呼ばれてますよ。
え~!
そこが? それで来て頂いたんですか。
私 子どもの頃
1969年にNHK「大河ドラマ」で
「天と地と」っていう
上杉謙信と武田信玄の
高橋幸治さんが武田信玄やった
あったでしょ?
おかげで あのころの武田っていう名字の
男子の8割は
あだ名 信玄ですよ。
なるほど。
ご縁はあるんですね。
俺も この機会に
勉強させて頂きたいと思いますよ。
そうですね。
実は 今日お越しの
平山先生なんですけれども
先生は研究者の方々で作る「武田氏研究会」
という会の副会長でいらっしゃる。
えっ 武田でもないのに
平山先生なのに武田氏をご研究頂いてる。
そうです。
ありがたいことです。 はい。
信玄っていうのは
組織のリーダーとしては
今の時代
どういうふうに見たらいいんですか?
戦国大名っていうのは
ワンマンというふうに
思われがちなんですけれども
ただ当時から…
…っていう言い方があって これは
中国の古典から来てるんですけれども。
主君とは いわば
家臣という海の上に浮かぶ舟である。
で うまく… なぎとかね
波立たせないようにすれば
うまく安泰に航行できるけど
ひとたび荒れてしまうと
覆されてしまうこともある
というような言い方があるんです。
我が国で言う みこしみたいな…。
ですので いかにして
家臣をうまくまとめ
そして自分の思うとおりに動いてもらうか
っていうのが
これが 上に立つ人間の極意なわけですね。
ですから信玄とか 例えば 毛利元就とか
そういったところを苦労しながら
非常にうまかった人だと思います。
ということで 今日は武田信玄の知恵を
見ていくわけなんですけれども
今日も おすすめメニューを
ご用意いたしました。
何ですか?
こちらでございます。
あ~。
えっと…?
山梨の名物のほうとうに掛けた。
そうなんですよ。
そう! ほら こちらですよ。
じゃあ 「シンゲン歓迎」っていうのは
何になるんですかね? これは?
まあ 武田信玄なんですけれども
このカタカナになってるっていうのが
ちょっとポイントなんですね。
俺は歓迎されてると思って。
もちろん 山田さんは歓迎ですけれども
実は このカタカナの意味は
このあと ちょっと知恵を見ていくと
分かりますので。
あっ そうなんだ。
最初の知恵から
味わっていくことにしましょうか。
意味 分かんないな。
平山先生が分かんないもん。
かつて ここに武田家の領国経営の中心地
躑躅ケ崎館がありました。
信玄は この館に住み
政務も行っていました。
数多くの家臣の中には
どうにも困った人もいたようで。
おやかた様
あやつに お暇をお与え下され!
あんな臆病者
戦の足手まといになりまする!
同僚たちに批判されているのは この男…
こんなエピソードが伝わっています。
筋金入りの臆病者。
武士の本分
戦で役に立たない家臣だったのです。
おやかた様 ワシは間違っておりません!
また お前か。
一方 こちらで
信玄に詰め寄っている この男は…
同僚のちょっとしたミスや
不正を見逃せない
かなり協調性に欠ける家臣です。
また言いがかりか!
言いがかりとは 何じゃ!
おやかた様 曲淵こそ 家中の和を乱す者!
処分すべきは この男です!
何じゃと!
まあまあ… 落ち着いて下され。
仲間内で争っても しかたがありませぬ。
黙れ 臆病者! 槍で勝負するか!?
臆病者にトラブルメーカー。
さて こんな時 信玄どうする?
まずは 臆病者の岩間大蔵左衛門。
信玄は彼に こう命じたといいます。
家中の悪事を内偵し 遠慮なく報告せよ。
もし 隠し事が露見したら
お前を死罪に処する。
はっ。
岩間は死罪になるのを恐れ
熱心に あらゆる情報を聞き出したとか。
臆病という特徴を生かし
新たな役目を与えたのです。
一方 トラブルメーカーの曲淵庄左右衛門。
信玄は 彼に
命じることはありませんでした。
逆に 周りを説得します。
「『優れた大工が どんな材料でも
捨てないように
名君は どんな臣下でも
見捨てない』と
いにしえからいう。
堪忍の二文字を心がけてほしい」。
実は 曲淵は
戦で数々の功績を挙げてきた武将。
欠点があっても
仕事の評価を大切にしたのです。
これを聞いた家臣たちは
皆 自分の本分を全うするよう
覚悟を新たにしたといいます。
なぜ信玄は どんな部下でも
見捨てなかったのでしょうか。
というのはですね ポストが先にあって…
(丸島)戦争に勝ち続ける国をつくるには
優秀な人を抜擢していかなきゃいけない。
で 育てていかないといけない。
ポストに人を当てはめるのではなく
人の能力に応じた仕事を与え 育てる。
そこで 見どころがある若者は
まず側近に取り立てました。
誰かおらぬか。
後に武田四天王となる
高坂弾正も その一人。
農民出身でありながら 足軽大将
海津城代と大出世を果たした高坂も
キャリアのスタートは
信玄の側近 近習。
信玄は 身の回りの世話をさせながら
能力を見抜いていったといわれています。
そして 家臣たちが能力を発揮する
最大の場が 戦。
中でも有名なのは 川中島の合戦。
越後の上杉謙信との間で 合わせて5回
12年余りに及ぶ戦いとして有名ですよね。
この戦の真っただ中でも 「信玄流
家臣の能力を伸ばす」秘策がありました。
それは…
2018年に
新たに見つかった史料があります。
第2次「川中島の合戦」で
手柄を立てた家臣に送った…
「身分を問わず褒めていた」ことが
この書面によって裏付けられました。
「19日の川中島で一戦を遂げた時
首を一つ討ち取ったことは
神妙の至りで感じ入った。
ますます忠信に励んでほしい。 蘆川どの」。
この文書は 蘆川「との」というふうに
平仮名で「との」になってるところですね。
通常ですと
蘆川「何々之守」とか
官途というようなものを付けて
漢字で「殿」と入れるところを
平仮名で名字だけ
ということなんです。
非常に身分が低い そういう人物であった
ということが分かりますし
蘆川という名前を見ると
恐らく現在の山梨県の笛吹市周辺の
地名だと思われるので 晴信と一緒に
川中島までやって来たんでしょうね。
で 非常に軽輩の身分であるけれども
こういう身分の者に対しても…
しかも この感状は
手柄を立てた7月19日
その当日に発行したことが分かります。
活躍したら 身分を問わず 即座に褒める。
家臣のモチベーションを高めることも
能力を発揮しやすい
環境作りの一つだったのです。
よう働いてくれた。
人を使うとは 人の能力を使うこと。
家臣を常に見続けていた信玄だからこそ
成しえた 働き方改革です。
ねえ。
ポストに当てはめるんじゃなくて
そういう仕事 役割を作るって
何か すごいですよね。
今に生かせそうというか 通じますよね。
そうですよね。
問題が起きたらすぐ解決するっていうのが
すごい得意な方だったんですか?
そうですね。 信玄は とにかく
さっきVTRに出てきましたけど
戦で功績があった人は すぐに呼び出して
その日のうちに褒美をやる。
感状もね その日のうちでしたし。
いや 部下としてはうれしいです。
本陣に必ず持っていく品物のリスト
っていうのが伝わってて それは…
で その身分と功績のランクに応じて
すぐに差し上げるものをね
「これをやろう これをやろう」。
で 雑兵でも頑張った人間には
自分の手で こう甲州金を三すくいやった
っていうふうにいわれていて
やっぱり当日 「よし 頑張れた!」
っていうふうに思ってる人間は
興奮してるうちに主君に呼び出されて
褒美を与えられたら
それは感動するわけですよね。
ここが やっぱり人の心をつかむのが
非常にうまいというふうに思いますね。
今で言う 終身雇用とかではなく
本当 歩合制っていうのが そのまま
戦国時代にやってたってことですもんね。
さっきの感状なんかも あれが
後々の戦功証明っていいますかね。
ただもらうだけでも うれしいですもんね。
一筆で そう喜んでもらえるなら
安いもんですよ。
ここの知恵が「人を見捨てず 見続けよ!」
ということでしたが
山田さんも かつて雑誌の編集長だった頃
っていうのは 上に立つ立場ですから。
いや 上に立ててなかったですからね 俺。
いやいや… そうなんですか?
俺が一番ダメな上司でした。 ハハハハ。
まあ いろんなのいますよ。
特に若者情報誌とかやってたらね。
何て言うんですか
困った部下っていうのは?
いや ひととおりいますよね。 それはね。
お金にだらしない人 時間にだらしない人
お酒にだらしない人
異性関係にだらしない人。
えっ どうやって まとめてたんですか?
まと… まらないですよ。
まとまらない?
まとまらないですよ。
じゃあ どう進めていったんですか?
信玄と同じと言ったら畏れ多いけど
それは やっぱり1個いいとこあれば
そこでやるしかないですよね。
大体 全部そうですよね。 仕事ってね。
え~!
なるほど。 それは すごいですね。
雑誌が どんどん
売れ行きが伸びてる時と
逆に落ちてる時とじゃ 違うんですよね。
あ~ なるほど。
え~ 何か 恋人のと似てますね。
似てますか?
恋人に対してとかとね。
だから どんどん行ってる時は やっぱり
ヒットを打つやつの方がいいわけですよ。
3打数1安打だったら
1安打を評価してもらえるんですよ。
だけど 守りの局面になってくると
3打数1安打だと2回凡退してるでしょ?
この2回の凡退の方
言われちゃうんですよ。
なるほどね。
どうですか 川村さん
これまで いろんなところで
何て言うんですか
「この人 ちょっと困ったな」みたいな
経験とかって?
あります。
私 大学の時 演劇やってたんですけど
初めて… まだ10代で
初めて脚本と演出をさせてもらうことが
あったんですけど
その時 役者さんに
やりたいことを伝える時に
皆さん 全然違うタイプだったし
学年も全然 先輩もいたし
同じ学年の人もいたし
どうしたら伝わるかってなって困って
ある人には 私が こう何か 例えて伝える
「こういう感じでやってほしいんです」。
でも ある人には 私がやってみせて
「こういう感じ」つって
もう その場 演じて伝える。 ある人は
私が いくら言っても伝わらないから
その人が尊敬する先輩の名前を出して
「何々の先輩が そう言ってたよ」つって
言って伝えるっていったら
結構みんな生き生きとやってくれて
私が求めていたところにたどりつくことが
できたみたいなのがあるんで
何か 伝え方って
その時 すっごい大事だなっていうのは
大学生の時に学びましたね。
見てないと できないですよね。
「人を見てないとできない」って
その辺り 部下を生かして
よさを見つけてあげようって
こう 信玄が考えるようになった
その背景っていうのは
どういうことなんですかね?
信玄は 幼い時から非常に優秀で。
で 優秀であったがために
父親から鼻につくというふうに思われて
だんだんと疎まれ始めたっていうふうに
いわれてるんですね。
なので信玄は ある時から
自分をおっちょこちょいに見せたり
ちょっと抜けたようなお芝居をして
あまり目立たないように
逆に弟を… 弟も優秀だったんですけど
弟の次郎 後の信繁を立ててやって。
そうすると弟が 父親は
かわいいもんですから 信玄よりも。
そうすると
そっちの方に目が行くわけですよね。
そうすると必然的に家臣たちも
今まで御曹司様って言ってたのに
そっちの方に目向いて
向こうの方をおだてるようになる。
けれども 家臣の中には「いや あれは
絶対に芝居だ」っていうふうに
ちゃんと分かっていてくれる人もいる。
そういう苦労の中で
この人は自分をどう思ってるのかとか
そういった人を見たり
判断したりするっていう
そういうプロセスが培われてたのかな
という気もするんですね。
小さい頃から
ある意味 人の目を気にしながら
いろいろな目を 見る目を養っていた。
一歩間違うと死ぬ時代ですからね。
そうですよね。
信玄 お坊ちゃんじゃないですよ 実は。
やっぱり 親との確執とか
家臣との確執もありましたので。
ああ~。
じゃあ お二人は 信玄のように
人を見る目があるのかどうなのか。
ない。 自慢じゃないけど。
ない ない。
クイズをご用意いたしました。
クイズ?
そんな店なの? ここ。
クイズ居酒屋なの?
居酒屋なのにクイズが出るっていうね。
実は こちらなんですけれども
これ 「武田二十四将図」
原 虎胤という家臣。 名前が読めない。
もう どこまでが名字だか分かんない。
原 虎胤。
「鬼美濃」なんて呼ばれてまして いろいろ
恐れられているぐらいの人だったと。
顔 怖いもん。
そうなんですよ。 名前を聞くだけでも
敵が逃げていくっていうね。
虎胤だもん。
実は信玄 戦がない時に
この原 虎胤に ある意外な仕事を命じた
ということなんですが
それは一体 何でしょうかと。 3択です。
まあ 刀さばきが
うまいですから
料理もうまいんじゃないかと
「料理人」。
バッサバッサ 人を斬るの
得意じゃないかと「裁判官」。
怖いですからね みんなビクビクして
いろんな情報漏らしちゃうんじゃないかと
「スパイ」じゃないかと。
どれだと思いますか?
え~? どれもありそうですね。
(笑い声)
まあ 2番じゃないかな。
おっ 山田さんは「裁判官」。
川村さんは?
私は やっぱり怖い顔とともに
腕もよかったと思うので「料理人」。
クッキングで発揮したんじゃないかしら。
なるほど なるほど。
また戦では また生かすという。
ほうほう ほうほう…。
さあ じゃあ 答えが出そろったところで
正解は 平山先生お願いいたします。
正解は2番の「裁判官」になります。
山田さん 大正解。
やっぱ 怖いから?
この人の言うことを聞く?
実は…
ということが買われて それで…
というところを見込まれて裁判官
ということになったとされています。
実際 当時は
検察と裁判官が合わさったような。
訴え出てきた者同士の対決の場。
お互いの事情をよく聞いて
更に周辺の証言者の話もよく聞いて。
ですから 武勇で知られてる
名足軽大将とされた虎胤の意外な一面を
今に伝えてるというふうに思いますね。
さっきの 74回訴えたやつとかは
この人に…。
まあ そうかもしんないですね。
虎胤に判決を出されると。
で ほとんどダメだったと。
(笑い声)
じっとしてろって言っても
じっとしてないですから そういう人はね。
こうして 誰もが能力を発揮できる
場作りをしてきた信玄なんですけれども
とはいえ 何と言っても
下克上の戦国時代ですからね
能力をどうまとめて
一枚岩にするのかっていうのが
なかなか難しかったようなんです。
働きやすい理想の職場…
とはいえ 血気盛んな武士たち。
多様な人材が共に働くということは
衝突も多いはず。
そのことを裏付けるのが
かの有名な「喧嘩両成敗」です。
お前らは ここに座っていれば
ええんじゃ!
1547年 信玄が制定した分国法
「甲州法度之次第」。
その第17条に
「喧嘩両成敗」が定められています。
当時は もめ事は武力も辞さず
当事者同士で解決する
「自力救済」が一般的でした。
そのため
個人の喧嘩が 村や地域を巻き込み
領国の安定を損ねる
内乱にまで発展することも。
喧嘩を防ぐために
明文化しなくてはいけないほど
組織を束ねるのは
難しいことだったのです。
そこで 信玄が大事にしたのは…。
信玄を支えた優秀な家臣たちも
席次一つで大もめ。
その方ら! 何をもめておる。
互いのメンツや利害で衝突し
ワンチームの意識は薄いものでした。
私の席であることは間違いない!
そこで信玄が
組織運営で大切にしていたのが…
毎年12月に 翌年の軍事行動を決める
最も重要な国の方針も
合議で決められていました。
これに乗じて
越後へ進軍するのはいかがか?
だが北条は 我が武田の援軍を
求めているとの情報が入っておる。
尾張は どうだ?
それぞれ
どこを攻めるべきか主張する家臣たち。
活発な議論が行われています。
一方 信玄は ほとんど口を挟みません。
そこには 信玄の
あるねらいがあったといいます。
一番重要な家臣たちが
そろって話し合う場なので
そこに参加した人たちの中では…
というのが武田信玄なので
ある意味では
ベンチャーに近いかもしれませんね。
誰もが「意見が言える」チーム作り。
それを可能にしたのは 家臣たちに
ある程度の裁量を与えたこと。
織田 徳川 上杉 北条など
地域ごとに責任者を決め
それぞれに
情報収集や分析をさせていました。
こうした議論は
連帯感を高めるだけでなく
利害や考え方の違う家臣同士が
相手を認める場となったと考えられます。
信玄は イエスマンや忖度も嫌いました。
異なる意見を持つ家臣の重要さを
こんな言葉で語っています。
「庭には 桜 柳 楓 松の
4種類の木を植えるのが重要だ。
春は 桜が鮮やかに花開き
その後 柳が緑に映える。
秋になれば 楓が紅葉し
冬が来て 全て消えた時にこそ
常に変わらぬ松の緑が姿を現す。
これと同様で
同じ気質の侍ばかりを好むのは
大きな誤りだ」。
さまざまな意見を持つ部下たちが
自由に発言できる環境作り。
それこそが組織を強くする。
武田の家臣団は
強固な一枚岩となっていきます。
(喚声)
更に信玄は 領国の経営でも
領民たちが働きやすい
国づくりを目指しました。
その一つが 国の法律の制定。
あの「喧嘩両成敗」も定めた…
土地の利用や税金のルール
懲罰の対象などを細かく定め
争い事を減らし
安定した世を目指したのです。
そして驚くべきは 最後の条文です。
全ての人々に
批判の自由を許していたのです。
人の意見に耳を傾けることは
自らを戒めることにもつながる。
「相手を認め 自分を見つめる!」
そこには
多様な人材がワンチームになるための
知恵があったのです。
というね。 どうですか?
いや すごいですね 信玄さんね。
今でも使えるような
こういう考え方っていうのを
もう戦国時代にされてたんですね。
ねえ 多様な人材を生かすなんて
今 組織で言われてることだったり
しますもんね。
これ 先生ね 重臣会議って最終決断は
信玄が下す… やっぱり。
重臣会議のやり方も
先ほどVにありましたけれど
まず ただ単に
話し合わせるんではなくて
何を根拠に そういう主張をするのか
っていうことを
徹底した情報収集を
各自に求めてるんですよ。
それと同時に 信玄自身も
ばく大な諜報網があるわけですよね。
全部知ってるんですね。 ええ 知ってる。
だけど 見て
見守るんですね。
信玄が一番データ持ってるんだったら
信玄自身は はなから
腹案はあるわけですよね 恐らく。
でも その中でも やっぱり会議を開いて
みんなに意見を言わせる。
一応 言わせておかないとっていうの
ありますし
さっきの あれじゃないですけど…
そうですね。 そして ここの知恵が
「相手を認め 自分を見つめる!」
ということなわけですよね。
さっきから やっぱ
イケイケのベンチャー状態だから
まあ そういうとこには
多分 すごくいいと思うけど
もう 会議開いても何にも言わない会議
多いですからね 我が国は。
部署に。
職場にいない?
はい。 するとね みんな
俺の悪口で結束してくれるんですよ。
ほ~う。
それは意図的に?
意図的だったり 単に…。
たまたま いなかったり?
はい。 単に いたくなかったりなんだけど。
そういうところもありますよ。
何か そんなんじゃなくて
みんな こう風通しよく
開けっぴろげで
「よくなるようにいこうぜ!」みたいに
なんないんですかね?
なんないね。 なんないんだ。
うん。
いや もう多分 日本中
それで苦労してると思うよ。 本当に。
日本中の中間管理職が
それで苦労してると思うんだ。
してほしいよ。 本当に
そうすればいいのにと思うんだけど。
実はね 武田信玄の死因っていうのは
膈っていう ものを食べても
胃腸が詰まってしまっていて
戻してしまう病気だというふうに
「日葡辞書」っていう史料に
出てくるんですけど
これ 今で言うと胃がんなんですよ。
それで「甲陽軍艦」には
当時 信玄の診察をした
医者の板坂法印という人が これは…
つまり気を 神経つかい過ぎて。
ストレスだ。
そうです。 それで胃をやられ
それがこうじて この病になったんだと
診断したとあるんです。
じゃあ ものすごくいろいろ考えて
されてたんですね。
でも リーダーって… 分かんないですけど
私 いろいろな人を見てるとね。
もう いちいち全部に反応しちゃってたら
とてもじゃないけど もたない
っていうところがあると思いますよ。
ある程度 鈍感。
なるほど。
あ~ なるほどね。
いや 俺 さっきの臆病な人の役がいいな。
(笑い声)
生かしてもらえるっていうね。
いいですよね。
私も それ…。
スパイする スパイ…。 はい。
ちょっと戻っちゃいますけど
「喧嘩両成敗」って
私 普通の何か言葉
ただの言葉だと思ってたんですけど
まさか法律だったとは。
はい。
しかも信玄は さっき自分をも
裁いて下さいって
言ってたじゃないですか。 自分は
立場としては 上にあるにもかかわらず
おんなじ立場だよっていうふうにも
見て取れるというか
差し出してるっていうのも
何か すごいなと思ったんですけど。
一番末尾に その言葉が書かれている
「甲州法度」は
それがあるがゆえですね…
というふうに推定されているんです。
さっきの法度のとこ 百姓の年貢がどうの
こうのって書いてあったんですけども
あれは じゃあ 農民には直接…?
農民も同じです。 知られているので。
なので農民も 年貢は納めなさい。
で 年貢納めたのにもかかわらず
更に要求してくるようだったら
それは私が領主を成敗するとか処分する。
細かく書いてる。
だけど 全く年貢納めないのに
文句を言ったり滞納したりするのは
それは許されないっていうふうに
必ずしも 例えば 領主だけ甘く
農民に厳しくっていうわけではなく…
細かい人なんだね。 雑な人じゃない。
でも 信玄は 何でこんなに
家臣だったり領民のことを
よく分かってたんですかね?
まず信玄は 家臣に対しては大変に
おしゃべり好きなところがあったようで
とにかく小姓とか奥近習って
常に身の回りにいる若者たちには
暇があると いろんな話しかけをして
課題を与えて 討論をさせてみたり
あるいは 自分が思うところを
語ってみたりっていうことをして
それで家臣とのコミュニケーションを
とってる
ということが分かってるんですよね。
だから 自分のことも成敗していいって
書いてたけど
そんなことはならないって
もう分かってるぐらい
コミュニケーションをとってたっていう。
まあ そうですね。
領民からの訴えとか 裁判の場に
突然 姿を現して
実際に何を訴えてるかっていうのを聞いた
とかっていう記録も残ってるんです。
実は その過程で
後に重臣になる高坂弾正は
抜擢されることになるんですよ。
へえ~。
自分の父親の遺産を巡って
訴訟になって
採決の場で 結局 高坂弾正は
若き高坂は負けてしまうんです。
ところが その様子を見ていて
彼は なかなか面白いやつだ。
あの意見の
堂々の述べっぷりといい
そして 負けっぷりといい
っていうことで
農民出身なのに
小姓に入れられるんですよね。
へえ~。
信玄は お前に役割を与える。
それは何かというと 信玄の行いとか
考え方に間違ったことがあったら
堂々と批判して構わない。
絶対に罰しないって言って。
すばらしい。
そうすると信玄の作戦に
「あれは悪手です」っていうふうに
高坂弾正がただ一人言ってのけたとかって
逸話が「甲陽軍艦」の中にあるんですよ。
へえ~。
すごい。
すばらしいリーダーですね 信玄は。
まあ そういう…
人材を発掘したり。
そういうことですね。
もっと長生きしてもらいたかった
っていうのありますよね。
武田信玄が長生きしたら
どうなったのかなって時々思います 私も。
ただ あれなんですけど
メニューの「シンゲン」がカタカナの理由
私 ちょっと まだ分からないんですけど。
俺も分かんない。
分かりませんでした?
はい。
信玄といったら やっぱり いろんな進言を
聞いてきたじゃないですか。
あ~。
いろんな人からの進言 大歓迎ですよと。
うわ~ それか!
「シンゲン歓迎!」ということで。
聞いてたよってこと
だったんですね。 なんだ。
このお店 しょうゆ差し
ちゃんと立てた方がいいよ。
(笑い声)
進言。
進言してみた。 それね
4つ そこに全部入れるの無理がある。
そうですね ちょっとギューギューですね。
爪ようじ出すと ちょうどいい。
細かいところから
ちょっと直すようにします。
聞いていった方がいいですね。
進言してみました。
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