出典:EPGの番組情報
NHKスペシャル「見えた 何が 永遠が~立花隆 最後の旅~」[字]
去年の4月、「知の巨人」と呼ばれた立花隆さんが亡くなった。「人間とはなにか」を生涯問い続けた立花さん。その問いに答えはでたのか。ディレクターが最後の思索をたどる
番組内容
去年の4月、「知の巨人」と言われた立花隆さんが亡くなった。宇宙、分子生物学、がんなど様々な領域を渡り歩き、「人間とはなにか」という問いに向き合い続けた生涯だった。立花さんは死に際して、膨大な蔵書や資料を全て捨てて欲しいと言い残していた。知の巨人は、なぜ「無」に帰ろうとしたのか。また「人間とは何か」という問いに答えはでたのか。17年間ともに番組を制作してきたディレクターが、最後の思索の旅を追う。ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
その人は 骨つぼに入って
膨大な本に囲まれた
長年の仕事場にいました。
立花 隆さん。
「知の巨人」と言われた
伝説のジャーナリストです。
1年前の今日 亡くなりました。
この17年 私は立花さんと
何度となく番組を制作し
思索の現場に
立ち会ってきました。
あらゆる分野に興味を持ち
膨大な本や資料を読み込み
事実を 徹底的に追究しようとしたのが
立花さんでした。
しかし 亡くなって半年後
立花さんの知の集積である本は
跡形もなく消えていました。
♬~
(岡田)いや~ ちょっと
びっくりというかショックですね。
(岡田)ちょっと現実とは
思えないような感じがありますね。
一体なぜ 立花さんは
全てを無にしたのか?
生涯をかけて
何を知ろうとしていたのか。
(立花)ある意味で こう 何て言うの?
やっぱり生きるって面白いですよね。
分からないから
面白いっていうことがあるわけで。
やっぱり
こう 人間という存在は もっと豊かで
そう簡単に こうだと言えないから
だから そこに面白さがあるんだという
そういう気がします。
立花 隆の最後の思索を
私は知りたいと思いました。
おはようございます。
おはようございます。
立花さんとの思い出の中で
私にとって最も忘れ難い記憶。
それは 2007年
がんが見つかった立花さんから
呼び出された日のことです。
膀胱がんと診断された立花さんは
すぐに 全てを撮影するように
私に伝えました。
再発の確率は8割。
膀胱を全て摘出する可能性すら指摘された
立花さん。
全く動揺せず 手術の様子を見続けました。
いや あの 何か あの…
深刻な自分の病すら興味の対象にする。
それが 立花さんでした。
実は 立花さんは 亡くなる前
驚くべきことを言い残していました。
ふざけて言ってんじゃないんですよ。
本気で 野菜ゴミと一緒に捨ててと
ずっと言ってたんですよ。
だからそれは 法律上できないって言って。
本当に 本気で言ってたんですよ。
財産といったら
本しかないんですよ 本人。
いわゆる もう ぜいたく品とか
全然ないわけですよね。
本当に びっくりするぐらい
そういうのは質素だったんですよ。
(岡田)これ 残すとか そういう考えは…?
(菊入)本人 全くないです。
「絶対」がついていました。 絶対に。
なぜ立花さんは 知の集積を
そして 自らを無にしようとしたのか。
理由を知りたいと考えていた私に
ご遺族は
未整理の資料が入った
100箱以上の段ボールを託してくれました。
そこには 立花さんの思索の跡をたどれる
メモや音声が 多数残されていました。
更に その中に
私の名が記された文書も見つかりました。
タイトルは「人間の現在」。
過去から未来までをふかんし
人間の進化について考察した原稿でした。
「人間全体が一体となって思考する
超進化」。
これは
全てを無にしたことと関係があるのか。
私は こうした資料と
共に取材した17年間の映像記録をもとに
立花さんが残した最後の宿題に
挑むことにしました。
資料の中で 最も古い時代のものは
田中角栄元首相に関する資料でした。
膨大な公開資料を駆使して
金権政治の実態を暴き
時の権力者を退陣に追い込んだ
伝説の記事。
戦後ジャーナリズムの金字塔とも呼ばれ
立花さんは
10年以上にわたって追究を続け
10冊以上の本を書きました。
しかし 残された音声テープの中に
この取材について語った
意外な言葉が見つかりました。
立花さんが
本当に探し求めていたものは何か。
傍らで見ていた編集者がいます。
文藝春秋 元社長の平尾隆弘さん。
立花さんは 最晩年まで
知の領域を広げ続け
人間とは何かを
つかもうとしたといいます。
あの
人類っていうことがコアになってるから。
人間への興味から
いかに死ぬかっていうことと
いかに生きるかっていうことが
等価っていうか
そういうふうになってんだって
思ったことはあるんですけど。
立花さんを見ていると 知にはね
知っていうものには限界がないと。
それを
教えてくれたのが 立花さんなんですよ。
だから分からないということに対して
その分からないことを
はっきりさせるっていうかね。
そこのところの関心って
すごい強かったと思う。
生涯で100冊以上を執筆した立花さん。
その著作は
あらゆる分野に及んでいます。
地球環境と宇宙の違いとは何か。
宇宙で 人間の精神は
どんな影響を受けるのか。
ヒトとサルとの違いは
どこにあるのか。
ノーベル医学生理学賞を受賞した
科学者を訪ね
分子生物学の視点から
生命と物質の違いも
探ろうとしました。
なぜこれほど多岐にわたって
取材を続けたのか。
平尾さんは 立花さんが
最後までこだわり続けていたのは
見当識という考え方だったと言います。
やっぱり見当識っていう言葉に代表される
人間がどっから来て 今どこにいて
ええ… どこに行くのかっていうことが
ひと言で言うと
そういうことだと思うんですけど。
全体をふかんする
もう一つの見当識ということを核に
どこがどこにあって 俺は 今
この見当識の この部分をやってるんだと。
見当識。 それは
自分が誰で 今どこにいて
今がいつなのかを
把握する能力を示す
医学用語です。
これを 人類全体に当てはめ
自分たちは何者か
宇宙や世界は いつ どのように始まり
未来はどうなるのかを
探ろうとしていたといいます。
見当識を探った象徴的なメモが
見つかりました。
南米のアマゾンについての思索です。
アマゾンへの旅の映像が
残されていました。
未開のインディオの村を訪ね
人類と文明の関係を
探ろうとしていたのです。
♬~(歌声)
その~
酋長さんは 一体 人間というのは
そもそも 何のために生きているんだと
お考えですか?
1か月にわたって 立花さんに同行した
カメラマンに会うことができました。
佐々木芳郎さんです。
これはインディオ。 これは
何で インディオを撮ったかいうと
もともと インディオの村に
取材に行くということは
なかったんですよ 予定には 全く。
立花さんは 自然の循環の中で生きる
インディオの人々に
強く魅せられていたといいます。
南米のインディオは
自然の もう与えられたものだけの
自分らの食いぶちの分だけを
取って食べて
何のストレスも感じなくやってる社会で。
どっちが 人間にとって幸せなんかと。
その旅について記した未完の原稿。
立花さんは こうつづっていました。
人間は どこから来て 今どこにいて
どこに行くのか。
それは同時に
さまざまな境界を探ることに
つながっていったと
平尾さんは指摘します。
あの人 境界っていうのに
生と死って境界じゃないですか。
それから
地球と宇宙っていうのは境界ですよね。
それから 人間とサルも境界ですよね。
で そこのところが
一体どうなってんだっていうのは
そういう関心って
すごい強かったと思う。
人間とは何かを探るために調べ続けた
さまざまな境界。
立花さんは
そうした哲学的な問いの答えを
最晩年まで探求していたというのです。
見当識を追究し続けた立花さんが
膨大な本や資料を
集積するために作ったのが
仕事場 通称 猫ビルでした。
本を買っては書庫を増やしていた
立花さんが作った 念願の城でした。
(平尾)要するにね
彼の猫ビルに象徴されるような
資料の山 蔵書の山。
10万冊とも20万冊とも言われている
あの蔵書。
あれはね
立花 隆の脳内地図とパラレルなんだよ。
つまり 本っていうのは
立花 隆の脳内の細胞とおんなじ。
見当識を探る立花さんには
書いてみたいものがあったといいます。
私が立花さんと共に過ごしたのは
晩年の17年間。
正月2日から仕事場にやって来た
立花さん。
1年365日 常に膨大な書籍を楽しむように
読み込んでいました。
この日は なぜか古墳の勉強に
取りかかっていました。
科学を分かりやすく伝えたいという私に
さまざまなことを教えてくれました。
いや 本当に 本当に。
そう だからね いわゆるね…
これほど貪欲に
知を収集した立花さんが
なぜ最後に無になるという
選択をしたのか。
託された資料の中に
晩年に行われた がんや死に関する講演が
多数見つかりました。
そこには立花さんの死生観が
色濃く出ているように感じられました。
私は 立花さんと共に行った
がんや死に関する取材の映像を
見直してみることにしました。
がんを取材し始めたのは
立花さんが67歳の頃。
がんと闘った多くの友人を
亡くしていました。
この日も 田中角栄元首相の取材で
長年 共に闘った
筑紫哲也さんの訃報が届きました。
いや もう それは
普通のつきあいじゃないんです。
だから もう本当にショックで…。
それで 去年から
こういう筑紫哲也っていうね
やっぱり 戦後 日本が生んだ最大の
ジャーナリストだと思うんですよね。
その…。
いや だから 本当にショックですね。
それでも 立花さんは
自ら患うがんの治療法には興味を見せず
世界中を飛び回り
がんの正体そのものに迫ることに
こだわったのです。
パリの研究者のもとで
立花さんが注目した
がんが進行するメカニズムです。
白いがん細胞の周りに集まっている
緑色のものは
体を守る免疫細胞の一種です。
実は がん細胞は免疫細胞を使うことで
進行していました。
がん細胞は 生命が発生する仕組みや
新陳代謝の仕組み
傷をふさぐ仕組みなどを利用して
体をむしばんでいました。
立花さんが出した結論でした。
ありとあらゆる手段を自ら作り出して
その困難を突破していく
がんの能力というのが
その ものすごい
ありとあらゆる困難な状況の中で
生命というものが生き抜いてきて
今日の この生命全盛時代みたいな
そういう時代を生き抜いた
生命の歴史そのものが
その がんの強さに
反映しているということですね。
自然の一部である 人間の中で
必然的に がんは生まれる。
人間とがんに境界はないのではないか。
がんというのは やっぱりさ
半分自分で 半分エイリアンなんだよね。
そこが ものすごく
がんという病気の独特なとこで
だから がんをやっつけようと
思ってる時に
エイリアンの部分だけをやっつけられれば
それはいいんだけれども
半分自分なんですよね。
がんというのは
考えていけばいくほどね
何か 人間ってのは一体何だとかね
生命とは何だとか
そういう いろんなこと
考えさせられますよね。
更に晩年になって 立花さんは
「ヒトは死ぬ時どうなるか」
という興味を深めていきます。
立花さんは 死ぬ間際の人々の体験が
科学的に説明できるか
世界中の脳科学者に
執拗に話を聞いて回りました。
立花さんが出した結論は…
…ということでした。
このころから
自分をゴミとして捨て去ってほしい
というようになった立花さん。
一方で 無に帰ることについては
更に深い意味があったことを示す
取材がありました。
鳥取県にあるホスピスで
末期がんの女性に
死を迎える時にどうするかを
尋ねた時の映像です。
その時は もう 家族 周囲の方に
ありがとうございましたと。
私は もう学歴も教養もありません。
ただ ありがとうだけが言葉の一つです。
感謝の気持ちが一つです。
(医師)それを述べて
この世を去る時が来たら去る。
ありがとう さよならっつって
みんなに お別れします。
それができれば幸せだと思います。
立花さんは この取材のあと
印象的な言葉を残していました。
人間は不死ではなく
死すべき運命にあるということです。
しかし 人は 自分が死すべき運命に
あるということを自覚した途端
その運命を乗り越えることが
できるのではないかとも思いました。
自分は弱い人間だけれども
周囲に支えられて こうして
ここまで生きてくることができた。
その周囲の人に対して 最後に
ありがとうのひと言を言いたい
という言葉です。
人間の限りある命は
単独であるわけではなく
いくつもの限りある命に支えられて
限りある時間を過ごしていきます。
それは周囲に支えられて存在するという
意味において
いのち連環体という
大きな輪っかの一部でもあります。
そして そういう連環体が連なって
大いなる いのち連続体を成している
そういうふうに見ることが
できると思います。
周囲に支えられて生きる いのち
連環体の一部としての人間。
その いのち連環体が連続することで
つながってきた 人類の歴史。
立花さんは 私たちがふだん知覚しない
大きな時間を見ていたのではないかと
思いました。
(一同)明けましておめでとうございます。
立花さんが言い残したことで もう一つ
理解できなかったことがありました。
口堅いよね。
(笑い声)
ありがとうございます。
今年も よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
立花さんが知の膨大な集積を
死後手放すことにした理由は何なのか。
託された資料には 立花さんが
知をできるだけ深く広く学び
統合することの大事さを訴える
音声記録が残されていました。
長年 編集者として つきあいがあった
平尾隆弘さんは
立花さんは最後まで
学び続けていたといいます。
「平尾君 俺はもともと勉強好きで
勉強が仕事だって言ってきたけど
一番勉強してるのは今なんだよ」って
言ってたから。
あの… 一番勉強してるってすごいですね。
ちょっとね
どれくらい勉強してんだろうね。
ず~っと勉強してんだって
言ってたもんね。
立花さんは 誰かがたどりついた知を
集積するのではなく
人間一人一人が学び 高めてゆくことに
意味を見いだしていたのではないか。
古くから交流があり
亡くなる直前に面会した 安福謙二さん。
立花さんは 知に関しても
自分は 連続体の一つであると
考えていたのではないかと指摘しました。
すごい驚いたことありますけど。
それは 彼の死生観にも
つながってる感じがします。
要するに 葬式も要らない
戒名も要らないって言い切る姿と
非常に近くて。
自分という そのものも
宇宙の一つの瞬間… 生きる。
だから 宇宙の時間から考えれば
ほんの瞬間的な動きでしか
ないじゃないですか。
だから その一要素にすぎないっていう
意味で言えば
彼は その一要素の中で
全て一体となっていたい
っていうことかもしれないね。
永遠とも思える
宇宙の時間から考えれば
人生は 一瞬にすぎない。
私は その言葉から
死を巡る取材の時に起きた
ある出来事に思い当たりました。
その日 立花さんは 珍しく
自分の考えが私に伝わっていないと
いらだちを あらわにしていました。
見えた 何が 永遠が。
それ言っても 全然通じないから
すごく言ったかいがないけど。
(岡田)ごめんなさい。
俺の本 読んでないでしょ 大体…。
「見えた 何が 永遠が」。
立花さんが口にしたのは
40代の時に行った旅のことを書いた本の
一節でした。
立花さんが
自ら最も重要な著作の一つとした
「エーゲ 永遠回帰の海」です。
8, 000キロに及ぶエーゲ海の遺跡巡りの
旅の末に書かれました。
旅に同行した
カメラマンの須田慎太郎さんです。
須田さんは 立花さんの この時の
突き詰めるような取材姿勢を
今でも覚えていました。
立花 隆は
命懸けで仕事をする人だから
ちょっとでも時間があったら
それを押して
次に行きたいって考えるから。
どんどん どんどん 先に進むだけ。
それは 遺跡だけを ひたすら巡る旅。
トルコから始まり ギリシャへ。
遺跡には 紀元前の文明の跡が
刻まれていました。
立花さんは
何かの直感に駆り立てられるように
遺跡を見て回ったといいます。
そして 数千年前に作られた遺跡に
身を置くことで
人間の営みと
それを超える何かを
感じ取ろうとしていたといいます。
時間的な流れとか
もっと大きな話で言うと
宇宙みたいなものが
感じられるんじゃないのかなと。
その宇宙の その先へと思う。
遺跡が その宇宙の入り口にも
あったのかもしれないと。
膨大な知と それに対して
限りある生を生きるしかない
人間という存在。
知も 人の命も
果てしない時間の中に従属する。
その旅を 本にまとめるまでに
立花さんは 20年を要したといいます。
立花さんが入院したのは おととしの春。
全身の状態が悪くなっていましたが
全ての検査を拒否したといいます。
何度も 「もういい」と。
検査も必要ないということで
ちょっと 私自身 意外だったです。
私も うかがい知れないところでは
ありますけれども。
しかし いろんなことを
体験したいという思いは
非常に強かったように思います。
そういう意味では
ご自身の死というものも
客観視されていたと。
そして 去年4月30日。
静かに息を引き取りました。
亡くなる少し前
立花さんは 家族に
やりたいことは やり切れたと
告げたといいます。
私は 立花さんが
いのち連続体の一部として
永遠の中に戻ったのだと思えました。
立花さんの思索をたどった取材の最後。
私の名が記された原稿を
もう一度 読み返しました。
そこには 20世紀を代表する進化生物学者
テイヤール・ド・シャルダンの唱えた
新たな進化論が記されていました。
それは
あらゆる分野を学んだ立花さんが
万物の歴史は 全て進化の歴史だと
語る言葉から始まっていました。
ビッグバンで始まった宇宙は
素粒子を生み 原子となり
物質へと進化しました。
それは 星を生み 生命を生みました。
その進化の果てに
脳を発達させ 生まれた人類。
その次の進化の舞台こそ
「知」だといいます。
人類の知は 今後
相互に影響し合い 更に複雑化。
個々の人の意識が
くもの巣のように絡み合います。
それにより
人類全体が より高次の意識を持ち
次のステージに立つと
立花さんは記していました。
立花さんが 最後に夢みたのは
一人一人が自ら学び より高い知を求め
集積していくこと。
そして 人類全体が一体となって
より高い次元の思考ができるようになる
次の進化だったのでしょう。
永遠に続く知の循環の中で
自分が
次の進化の一部に貢献できたとしたら
無になることは むしろ 本望だ…。
そう思っていたのではないか。
この日 友人たちが訪れたのは
立花さんが眠る大樹。
立花さんは 光の中にいました。
すごい人だね。
立花さん 全て無にしたことは
知ることに限界はないと伝え続けた
あなたの最後の決意だったのですね。
ある数値を読むほかないんですよ。
でも 論理的に そうだと思わない?
果てしない知の世界の高みに
人間が どこまでたどりつき
どう進化していくのか。
そのために
人間が どう生きて どう死ぬのか。
それこそが
私たちに残した宿題なのだと。
(拍手)
今 学校の教科書に書いてあることだけが
正しいわけじゃなくて
そういう感じで 全部 物事を考える。
これから 1, 000年 1万年先は
何を基本的に考えればいいのかみたいな
そういう基本的な知識 含めて
実は 人間って まだまだ知らないことが
多すぎるということなんです。
それで えっと… 僕がですね
この君らみたいな人たちと話して
面白いと思うのはですね
要するに えっと 日本だけじゃなくて
地球全体っていうか
全ての未来を決めるのは
君らの世代です。
お願いします。
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