ファミリーヒストリー▽北村有起哉 人気俳優誕生 運命のパズルを紐(ひも)解く[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

ファミリーヒストリー▽北村有起哉 人気俳優誕生 運命のパズルを紐(ひも)解く[解][字]

父は名優・北村和夫。若き日に杉村春子の指導に号泣!?曽祖父は何と孫文や宮崎滔天らの革命運動を監視。母方祖母には料亭をたちまち繁盛させる才覚あり。先祖はあの偉人?

番組内容
多彩な役を演じ分け、映画や舞台でひっぱりだことなっている俳優・北村有起哉。父は文学座の名優・北村和夫である。北村家の曽祖父は特別高等警察に勤め、孫文を支援する革命運動を監視していたことが判明。父和夫と今村昌平は同級生。若き日号泣した秘話も。母方祖父は戦争を境に人生が激変。祖母が佐賀や博多で次々と店を成功させ家族を支えた。その祖母が出た代田家の先祖は太田道灌につながるという言い伝えも。検証の結果は?
出演者
【ゲスト】北村有起哉,【司会】今田耕司,小郷知子,【語り】余貴美子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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  16. 出会
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  18. 当時
  19. 舞台
  20. 北村利吉

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

NHK
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いやいや いやいや いやいや…。

あなた 闇市 行ったことありますか?

俳優…

連続テレビ小説「エール」では

次々と ヒット作を生み出す劇作家を。

きっと このドラマは
彼らに希望を与えます。

よかった。 ね。 やりましょう。

このドラマでは 娘がいる
トランスジェンダー女性の
葛藤を演じるなど

幅広い役に取り組み
大きな共感を集めています。

父は 文学座の名優 北村和夫。

有起哉さんは 昭和49年生まれの48歳。

父と同じ道に進み 今や演技派として
引っ張りだこの俳優になっています。

今日のゲストは 北村有起哉さんです
どうぞ。

(拍手)

よろしくお願いします。
どうも よろしくお願いします。

はい。 ほんとに いろんな役
演じ分けられますけど。

特に NHKさんはねえ なんか…
なんか苦労する役ばっかり来るの。

なんかこう 印象に残るんですよね
北村さんが出てると。

そうですね なんか気が付いたら
そうなってたって感じ。

いや もちろん そういうつもりで
やってるわけじゃないんですけど。

ご自身の「ファミリーヒストリー」
どういう気持ちでしょう 今。

いや~ 親戚づきあいが

僕は 子どもの頃から 割と
たくさん あったんじゃないかなと。

つながりが ずっと?
そうですね。

おじさんから いろんなお話
聞いてたりとかも してたんですけども。

こういうルーツがあるんやとか。
今回 この番組に

出させてもらうにあたって
すごく喜んでいただいて。

あ そうですか。
より はっきりするというね。

そうですね。

♬~

北村家の歴史をたどるため 向かったのは
北村嘉朗さんのお宅。

(取材者)おはようございます。
はい どうもおはようございます。

嘉朗さんは
有起哉のいとこにあたります。

曽祖父・利吉の写真があるといいます。

昭和17年生まれの嘉郎さんは
晩年の利吉と数年間 共に暮らしました。

北村利吉は 慶応元年
金沢で生まれました。

戸籍によると
利吉は

明治25年に 福島県
安積郡郡山町で

齊藤ハルと結婚。

2人の子どもを
授かります。

ハルが亡くなると
明治32年

ハルの妹・悦と再婚。
ははあ!

東京小石川区 現在の文京区に
移り住みます。

明治44年に撮影された 利吉 妻・悦

長男・肇 長女・初井

次女 松代との家族写真。

当時 利吉は 何をして
家族を養っていたのか。

有起哉さんは 父・和夫から
こう聞いていました。

おやじの おじいさん。

利吉さんという方が

特高… まあ
特別高等警察の人だったとか。

明治41年に発行された
「高等警察法提要」によると

高等警察は
国家や社会に
対して

人が起こす危害を
未然に防ぐことが
役割だとあります。

利吉は どんな任務についていたのか
調べると

ある人物との接点が明らかになりました。

明治から大正を生きた 宮崎滔天。

海外を渡り歩き
アジアの興隆を目指した革命運動家です。

一時 日本に亡命した孫文に共感し

中国での革命運動を支援していました。

滔天の生地 熊本県荒尾市にある

宮崎兄弟資料館を訪ねます。

宮崎滔天の記録をまとめた
全集第5巻に

高等刑事
北村利吉の名が記されていました。

孫文は 長く続いた
清王朝の統治を
終わらせて

アジア初の共和国を
打ち立てたいと活動していました。

明治の終わり
日本にも複数の協力者がおり

滔天を同志との連絡窓口に
していたのです。

その滔天宅を
監視していたのが
北村利吉でした。

利吉のことを書き残していたのは

苦労していた滔天の妻 槌子でした。

そこには 監視役とは思えぬ
意外なエピソードが記されていました。

「孫さんが原町の家に
来られてから

小石川の
富坂署から

よく来る
高等刑事は

北村利吉という
人でしたが

しまいには
私共の貧乏を
見兼ねて

来る時には いつでも
土産に茶の袋を提げて来ました。

私共の家には客が来ても
出す茶がなかったのです」。

槌子は 利吉を詠んだ歌を作っています。

高等刑事だった利吉。

一方 妻の悦にも
夫同様 大事な仕事がありました。

小石川の自宅で産婆をしていたのです。

北村家の家族写真には

悦のもとで働く弟子たちも写っています。

そのうちの一人が

大分県豊後高田市出身の安藤ハナ。

悦は 優秀なハナを とても気に入り

大正9年 長男
肇の妻に迎え

2人で産院を
営んでいきます。

東京 多摩市の 大妻女子大学を訪ねます。

(ノック)
≪は~い。 どうぞ。

失礼します。
はい。

大出春江さんによると 当時の産婆は

地域の人から健康相談も受けるなど
頼られる存在でした。

昭和初期 悦は 地域の中で
大事な役割だったといいます。

(大出)恐らく…

昭和2年
肇とハナとの間に生まれたのが

北村和夫。 後の有起哉の父です。

昭和2年。

和夫は 小石川の

東京府女子師範学校附属
小学校に通いました。

同級生になったのが 今村昌平。

後に
数々の名作を作る映画監督になります。

同級生?
すごい。

今村は著書の中で こう書いています。

(泣き声)

クラスの集合写真。

一人
面白い顔をして写っているのが和夫。

学内で名を知られる
ひょうきんな
人気者でした。

この時代に こんなおもしろ写真
絶対ないですもんね。

そうですよね。
めっちゃ怒られる時代 ちゃいます?

しかも 担任の先生の
真後ろにいましたよね 今。

そうですよね。
中央でした。

その利吉さん
曽祖父になるんですけども。

高等警察。 高等警察ですから。
高等刑事っていう。

だから もう ほんまに
アジア全体の なんか革命の計画を

見張ってるってことでしょ。
見張ってた ということですよね。

えらいことやな それ。
多分

それなりの社会活動家として
思想家として

宮崎さんのことを やっぱり認めつつも
その実情を のぞいてしまって。

奥さんも苦労されてるのを 様子を見て

あまりね お世話し過ぎるのも
駄目ですしね。
そうですよね。

めちゃくちゃ難しいですよね。

そこのさじ加減が… あそこで ようかんを
やっぱ つけちゃ駄目なんだろうなとか。

なるほどね お茶ぐらいね。
お茶ぐらいにしとかないと
駄目なんだろうなとか。

こういうこと実際知るとね
やっぱ ちょっと ほっとしますよね。

やっぱり 同じ人間同士なんだなと。

戦前 有起哉の父・和夫が
少年時代を過ごした町です。

和夫が通ったのは 現在の
東京学芸大学附属竹早小学校。

昭和13年発行の「竹早学報」に

小学4年の時の 和夫の日記がありました。

「今日学校から帰って
靖国神社に行こうとしました。

おうちへ帰ったら
お父様が りょこうから
お帰りになりました」。

偉いな~。

このころから 和夫の父・肇は

静岡県三島に単身赴任。

叔母夫婦の
医院の経営を任されていました。

和夫によれば 大勢の患者が来る

地元で評判の医院だったといいます。

医師免許を持たなかった肇は

三島の医院の跡取りとして
和夫に期待します。

しかし 和夫は 医学部を
いくつか受験するも失敗してしまいます。

昭和20年 5月の空襲で

母・ハルが産婆をしていた
小石川の自宅は全焼します。

18歳の和夫は 燃え盛る町を逃げ
九死に一生を得ました。

翌年 和夫は父・肇が医院を経営する
静岡県三島に移り住みます。

三島に開校した 日本大学三島予科に
入学するためです。

医学部に入れず
父・肇は がっかりしました。

しかも 和夫は あることに
夢中になってしまいます。

演劇です。

「日本大学三島学園四十年史」に

和夫が ロシア演劇の傑作

ゴーゴリの「検察官」を
演じた記録がありました。

昭和23年の「日本大学新聞第1号」に
和夫が寄稿した文書が見つかりました。

演劇への強い思いが
書かれています。

「僕等はお互いに 若いジェネレーションの
藝術的熱情を鼓舞し合い

新しい洗練された
創作劇と言うものを作り出し

それを実際に上演して行くことが
最も重大な事ではないかと思う」。

和夫は 早稲田大学で
演劇活動をしていた

友人の 今村昌平の強い勧めもあり
早稲田大学文学部芸術科演劇専攻へ編入。

生涯の俳優仲間となる 加藤 武

小沢昭一たちと出会います。

更に演劇に没入し 生活費なども
つぎ込むようになりました。

「金がなくなると
情けなさそうにして

三島まで
もらいに行きましたね。

もらいに行く回数がふえると
さすがの おふくろも

おやじに聞こえないところで

『これでお母さんの小遣いも
すっかりないのよ そのつもりでね』。

いやあ ほんとに不肖の息子でした」。

このころ 北村家に
意外な出来事がありました。

かつて 高等刑事だった
和夫の祖父・北村利吉が

薬用酒の広告モデルに選ばれたのです。

昭和26年 86歳の時のことです。

広告に出ることになった
いきさつを語ってくれました。

確かに。 効きそうやな。

ひ孫の北村嘉朗さんは
晩年の利吉と暮らしました。

昭和24年 22歳の和夫は

名優 杉村春子が所属する

文学座の研究生になります。

そして4年後
話題作「欲望という名の電車」で

杉村春子の相手役に抜てきされました。

文学座の仲間 加藤 武も
杉村春子から指導を受けました。

「とにかくね 北村ってのは
オカシなヤツなの。

窮地に陥ると『ウワァァァーッ』
って すぐ泣くんだよ。

杉村さんに怒られちゃ泣き

『泣きゃいいってもんじゃないのよ』
って怒られちゃ また泣き。

まぁ よくあんなに涙が出るってくらい。
泣く体質なんだね」。

じゃあ 今夜は私たち2人っきり?

そう 俺とあんたの2人きりだ。

ベッドの下に男を隠してんなら
話は別だぜ。

「欲望という名の電車」は
世界的に話題となっていた戯曲。

その日本版で 和夫は 主人公の妹の
粗暴な夫を見事に演じます。

つまり 人間栓抜きってわけだ。

はは~! 恵みの雨だ!

ひとつ矛を収めて 仲直りの印に
回し飲みといこうじゃないか。 結構。

昭和30年代に入り
和夫は 舞台だけでなく

今村昌平監督の映画にも出演。

その名を多くの人に知られる
俳優となっていきます。

いや~ いかがですか?

いや まず 今村昌平監督とのね
出会いというか。

つながりが ず~っとあるんですね。
つながりが もう ちょっと

考えられないですね 今でいうと。
やっぱり 巻き込まれたり。
そうですね。

刺激 受けたり。 そういう関係性で
作用反作用があって

もまれて 自分
自己が形成されていくんだな。

まさに 今村さんと杉村さんの
出会いっていうのは。

おっきいでしょうね。

何て ぜいたくな出会いなんだろうって
やっぱ思いましたね ええ。

そういうの ご存じでした?
和夫さんが すぐ泣くとか。

うちで そんな めそめそしてるのを
見たことないですけれども。

でも 杉村春子さんには
相当 鍛えられてたっていうのは

もう いろいろ聞いてましたね。

トイレに駆け込んで

「杉村春子のバカ野郎!」って言って
もう全部 筒抜けだったらしいですけど。

聞こえちゃってる。
人間くさいですね。

聞こえるとか考えないんですね お父さん。

昭和44年 和夫は
福岡県での舞台公演中に立ち寄った

博多 中洲の割烹料理店で
1人の女性と出会います。

店を手伝っていた 千々岩希玖子。

後の有起哉の母です。
あら きれい。

一目ぼれした和夫は
たちまち夢中になります。

分かるな~。

有起哉の母・北村希玖子さんです。

その時の思い出を語ってくれました。

昭和45年
2人は結婚します。

幼い有起哉と
手をつないでいるのが

母方の祖父・千々岩精三。

北村家に同居し 地方公演で
留守がちな和夫に代わって

子どもたちの世話をしました。

そうか 公演が
あるから。

有起哉を育てた祖父は
どんな人生を歩んだのか。

千々岩精三は 明治42年
佐賀県佐賀市に生まれました。

千々岩家の戸籍です。

精三は 大正13年
15歳の時 横尾家から

養子として千々岩家に
迎え入れられました。

精三が学んだのは 佐賀中学。

現在の佐賀県立佐賀西高等学校です。

精三の記録が残されていました。

(野村)大正15年発行の
旧制中学校の時の活動の記録になります。

精三は 旧制中学で柔道に打ち込みます。

寒稽古の皆勤者に。

また 校長特別賞に
横尾精三の名が記されています。

一つのことに夢中になる性格でした。

一方で 当時の精三は
複雑な思いも抱えていたといいます。

精三の長男 千々岩良兼さんです。

明治の頃から
千々岩家は 地主として

多くの土地を持っていました。

しかし 跡継ぎに恵まれず
地元の名士 横尾家から

精三を養子として迎え入れたのです。

佐賀中を卒業した精三は

千々岩家が
裕福だったこともあり

東京で暮らし始めます。

そして 昭和5年 二十歳の時

慶應義塾大学に進学しました。

4年生になった精三は 新宿の百貨店で
働く1人の女性に夢中になります。

栃木県出身の代田キイ。

精三の ほれ込みようは相当なものでした。
分かるなあ。

昭和9年 精三は
キイが妊娠したこともあり

慶應大学を中退。
佐賀に戻り キイと結婚します。

精三24歳 キイ21歳の時のことです。

それで…

日中戦争が始まって3年目の 昭和14年。

戦意高揚の
世論に感化され

軍属となった精三は
海南島へ渡ります。

当時 海軍は 海南島を拠点にすれば

中国の武器や物資の
輸入ルートをたたけると考え

島の占領作戦を進めていました。

精三が所属したのは
海軍 第五艦隊情報部。

現地住民からの情報収集などを
担当していました。

神奈川県横須賀市にある
防衛大学校。

海南島についての論文を書いた
相澤 淳教授を訪ねます。

精三は 一般人として
現地の住人と交流し

日本軍への反感を抑える役割も
課せられていました。

小さい袋にルビーを詰めて

ポケット入れて 馬に乗って

部落をず~っと回っていって。
そして部落民と仲良くなる。

軍人が行けば みんな殺されてしまう
わけですよね。 斥候で回れば。

民間人で ず~っと その部落部落を

日本に溶け込ませるような作業を
させられたと。

結局 終戦まで海南島に関わり続けた精三。

実際は き憂でしたが

帰還後 戦犯に問われるのではという
不安に襲われます。

それでも…

もう そりゃあ…

千々岩家の経済を支えたのは
精三の妻 キイ。

佐賀で小さな店を始めます。

福岡に暮らす
精三とキイの次男

千々岩幸生さんを訪ねました。

幸生さんは
母が出す店で 共に働きました。

佐賀の店だけでなく 博多の中洲に出した
かっぽう料理店も成功させたキイ。

すごいな。
出身である代田家には

ある偉人と つながるという
言い伝えがありました。

その人物とは 太田道灌。

室町時代後期に活躍した武将で
江戸城を築城したことで知られます。

言い伝えに基づいた代田家の家系図です。

太田道灌の一族の子孫として
先祖たちの名が記され

祖母のキイ
母の希玖子。

そして
有起哉の名前がありました。

有起哉の親戚
佐藤哲男さん 代田 章さんです。

代田家は
太田一族と本当につながるのか?

先祖の関係を調べています。

代田さんたちは
太田道灌から十八代目の子孫にあたる

太田資暁さんとも
情報交換をしてきました。

代田家と
太田道灌の一族の子孫に共通するのは

代々 水戸徳川家に仕えていたということ。

水戸藩の藩士の系譜を記した
「水府系纂」という史料があります。

その中に こんな記述があります。

「久也
英勝院夫人に仕へ」。

久也とは 代田久也のこと。

代田家に伝わる記録に
最初に登場する人物です。

英勝院とは 道灌の子孫。

水戸徳川家の祖
頼房の養母まで務めた女性です。

仕えた代田家は 信用のおける
近い関係だったと思われます。

同じ水戸藩に仕えた 太田一族と代田家。

婚姻や養子縁組みなど
関係を深めたのか?

可能性は大いにあると考えるのが

十八代目子孫 太田資暁さん。

両家の家紋が同じで

珍しい細桔梗を あしらっていることに

注目しています。

いや もう…

次々と店を成功させ
家族を支えた祖母・キイ。

その才覚の源流が
道灌につながるとすれば

何とも夢のある話です。

太田道灌さん もしかしたら
つながってるかもという。

ええ。 でも 太田道灌さんって

時代でいうと室町時代ですからね。
…の後期みたいですね 室町の後期。

だから 何百年も前ですから
やっぱり ちょっとピンとこないというか。

つながってたら 夢ありますね~。
そうですよね。

でも なんか その~
今 初めてキイさんの

貧しかった時に
お菓子屋さん やってたりとか

そういった話も
今 初めて聞きましたけれども。

あ そうですか。
はい。 あと その

名前を出すと
戦犯になるかもしれないっていう。

やっぱり大変な時代
実は ついこの間まで

大変な時代が
ずっと続いてたんだなっていう。

ちょっと痛感させてもらいましたね。

「花咲くチェリー」。

俳優 北村和夫が
昭和40年の初演から

何十年も
立ち続けた舞台です。

保険会社に勤めながら
いつか独立して

リンゴ園を持ちたいと
夢みている

ジム・チェリーを演じました。

暖炉の前にある火かき棒を
曲げることだけが自慢の中年男。

ほっ! うっ! うう~!

うわ~ すごい!

舞台のラスト。 愛想をつかし
出ていく妻を呼び戻そうと

火かき棒を曲げて見せる 主人公の悲哀。

和夫は この役で
いくつもの演劇賞を受賞しています。

曲がったよ イゾベル ほら! ほらぁ!

東京・信濃町にある文学座。

こんにちは。

俳優 角野卓造さんです。

角野卓造と申します。
どうぞ よろしくお願いします。 いますね。

久しぶり おとうさん。
ハハハハッ。 失礼します。

昭和49年 角野さんは「花咲くチェリー」で
北村和夫と共演しています。

北村さんみたいな人には ほんとに
ピッタリなんだなっていうかね うん。

なんか偉そうなこと言ってるけど
実は すごい女々しいとこもあって。

で 愛きょうもあって。
えばるし 人間的なんですよね とっても。

これは 北村さんが
ものすごい好きな芝居でね。

3回目 3演目だったんです。
抜てきで 息子の役 トム。

何やっても 違う!
ひと言 言って 違う!

ちょっと動いても 違う!
って言うんですよ。

ところがね 幕が開いて 東横劇場で
幕 開いたら分かりました。

お客さんの反応で
全部分かってきます。

お前が ちゃんとやってくれないと
俺の芝居が成立しないんだよって

その思いなんですよ。

その芝居に対する
そういう強~い情熱がね

やっぱり
それを言わしてたんだなっていうのを

後になってから分かりましたね。 ええ。

有起哉が 父と同じ道に
進もうと決めたのは

高校の文化祭で
演劇をやった

18歳の時です。

僕は演出 キャスティングで

かっこいい人を かっこいいやつを
主役に持ってったりとか。

なんか まあ いろいろ
好き勝手やってるうちに

そこで初めて この道 面白いなっていう。

やってみようかなっていうところは
ありましたね。 うん。

役者の道に進むと 父に告げます。

まだ18~19で
ねぇ 何もしてないのに

これから俺も 役者やることにしたから
みたいな感じの

ほんとにシンプルな言葉。

相談も何もなく 俺もやることにした…
したから みたいな。

それに対しても
ああ そうか。

えっ 終わり!?
っていうぐらいの。

父とは違う 独自の道で
下積みを重ねた有起哉。

27歳の時 今村昌平監督の映画に
出演します。

おう! よう聞けよ! 魚とるがにゃ
ルールいうもんがあるがや。

おらっちは 毎年 魚の稚魚 放流しとる。

今村昌平監督の作品を見た
小沢昭一さんが

まあ もう
その3人は大親友ですけど。

おやじのところに電話かけて
映画見たよって言って。

で 君の息子が一番 なんか良かったな
なんてことを言った

言ってしまったらしくて。

それに ほんとに おやじは
カチンときたらしくて。

あんなの まだ ひよっこだ!
みたいな。

えっ 何で そんな
ムキになるんだろうっていう

そのエピソードは
なんか すごい覚えてますね。

やきもちを焼いたっていう
それが もう意外すぎましたね。

俳優として頭角を現した有起哉は
2007年 33歳の時

舞台「欲望という名の電車」に
出演することになります。

かつて父が演じたのと同じ役でした。

有起哉の母・希玖子さん
姉で俳優の由里さんは

当時の和夫の様子を話してくれました。

ちょっとでもね…

う~ん…

2007年5月。

北村和夫は 芝居への情熱を失わぬまま
亡くなります。

俳優としても
父親としても

まっすぐに
人間くさく生きた

80年でした。

一方の有起哉さんは 俳優となって30年。

落語家

悲運の戦国武将。

ユーモラスな刑事。

さまざまな人の
さまざまな人生を演じ続けています。

僕はシャープで すてきだなと思いますね。

あの~ 好きなタイプの俳優ですね。

見たいなと思う。
どんな芝居をするかなと。

結構 あの 直球もあるけど
変化球もやるからね。

そういうところがあるから
面白いですよ。 うん。

違うふうに
なるんじゃないかなって
気がしますけど

こればっかりは分かりませんね。

年取ったら そっくりになるかも
しれないし。 ハハハハハハッ。

有起哉さん自身どうですか? 一緒に
舞台 立ちたかったですか? やっぱり。

今ね やっぱり こう
天国にね いらっしゃるから

共演したいっていうふうに
いう気持ちはありますけども。

もし お元気やったら…。
まだね 健在でいたら

まあ相変わらず こう
意地を張り合ってたかもしれないですね。

違う! って言われてるかも
分からないですね。

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