出典:EPGの番組情報
徹子の部屋 中山秀征[解][字]
~息子4人!賑やか一家の生活が激変!?~中山秀征さんが今日のゲストです。
◇ゲスト
元宝塚トップ娘役だった妻の白城あやかさんと共に、4人の息子を育ててきた中山秀征さんがゲスト。
◇番組内容
今年は大きな変化があった中山家。長男は大学を卒業し俳優デビュー、次男は大学へ進学、高校生の三男と四男は2人揃って4月から海外留学へ。自分たちの道をみつけ、人生の一歩を踏み出した息子たちに頼もしさを感じながらも、少しさみしいと父の顔をのぞかせる。一方で、以前より自分の時間ができ、最近は趣味の書道が再燃。今年は歴史ある書展で受賞も。スタジオにも大きな作品を展示。その力強さに黒柳さんも感心しきりだった…
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
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- 先生
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- 多分
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(黒柳)うわー すごいおいしそう。
すごい それにしても量。
(中山)はい。
4人の息子さんがいらっしゃる。
おたくの食卓は
いつも こんなふうなんですか?
はい。 にぎやかです。
ええー。
今日のお客様は
中山秀征さんでいらっしゃいます。
ワイワイ にぎやかだった
中山家から
2人の息子さんが外国に旅立ち
今年は
生活が一変なさったそうですけど。
色々伺います。
よろしくお願いします。
どうも しばらくでございました。
ご無沙汰しています。
2年ぶりぐらいですかね?
そうですね。 お元気そうで何より。
はい。 徹子さんも お元気そうで。
あなたも お仕事が絶えなくてね
何よりですよね。
ありがとうございます。
どうも どうも。
で 奥様は 元宝塚のトップ娘役で
いらっしゃいます
白城あやかさん… お奇麗な方で。
ありがとうございます。
いいですね。 フフフフ…。
ねえ。 本当。
ちょっと前の写真ですかね。
ハハハハ…。
でも まあ 息子たちは今 4人…。
何歳ぐらいになったんですか?
みんな。
そうなんですよね もう…。
すごい大きい。
もうね あっという間に
こんな大きくなっちゃいまして。
すごいですね。
そうなんですよ。
長男が 今 23歳で。
で 次男が19歳。
そして 三男が高2
そして 四男が高1と。
でも 背 みんな大きいね。
そうなんです。
今 全員 もう 抜かれましたね。
あっ そう。
はい。
僕 結婚する前から
この番組には お世話になって。
独身 そして 結婚して
子供が1人増え 2人増え
4人までいきまして
こんなに大きくなっちゃいました。
びっくりしましたね。
本当 初めは ちっちゃかったのに。
そうなんですよ。
ガチャガチャ ガチャガチャ
していたんですけどね。
でも そのうち2人は
家から出て行った。
そうなんです。 今 三男と四男が
イギリスの方に留学しまして。
イギリス?
はい。 今年の春に旅立ちまして
ちょっと 生活が変わりましたね。
そうですか。 やっぱりね
2人いなくなると そりゃあね。
そうなんですね。 長男と次男は
やっぱり 野球が好きで
高校野球なんかやったり
大学まで野球やったりなんか
していたんですけども
3番目と4番目は
ちょっと 思考が違って
海外っていうのが
ずっとあったんですね。 うん。
だから ちょっと今までの感じとは
雰囲気が変わりましたね。
ずっと さっきの あのね 食事も
量が多かったじゃないですか。
そう。 すごい量。
あんなに いらないわけですよ。
なるほどね。
長男も仕事を始めたりなんか
していますし
次男も大学生ですから
あまり こう
家にいなくなるじゃないですか。
そうすると 夫婦の時間といえば
夫婦の時間なんですけども
意外と2人きりの時間が
増えるんですね。
そうすると 今まで
あれだけの… やっぱり
大量の食材が
必要だったんですけども
今日は
そうめんだけでいいか
みたいな日が…。
「そうだね」なんて言って
あっという間に
終わっちゃうっていう。
なるほどね。
イギリスにいらした2人は
英語は もう
バッチリになったんですかね?
いや これがね
行きたいっていう割には
結構ギリギリまでやっていなくて。
多分 学校の先生も
驚いたと思うんですよ。
フフフフ…。
「えっ お前たちが?」と。
で 去年の暮れぐらいから
結構 急ピッチでやりだして。
で とにかく
英検は2級まで取りたい
っていう思いがあって。
でも 2級まで
取れなかったですけど
準2までは 2人 取って。
すごい。
で なんか 3カ月ぐらいで
一気にやったっていう
感じだったですけどね。
帰ってきた時は もうね
ペラペラでしょうけどもね。
だから 行くまでは 僕も
大丈夫なのかなと思いましたけど。
あっ これ 空港の写真ですけども。
すごい。
これ ちょうど春ですよね 今年の。
なるほどね。
だから どうなんだろう?
大丈夫なのかなっていう。
でも 色々 話を伺っていると
やっぱり 行ってしまって
色んな世界の人たちと
触れ合った方が
言葉も覚えるというようなお話も
伺っていたので。
9月からですよね?
学校 新学期はね。
そうですね。
だから ちょうどいい。
最初 春にインターに行きまして。
それで 秋から…
ちょうど この9月で
正式に
高校の方に入るんですけども。
でも 2人同時にいなくなったら
寂しいでしょ? やっぱり。
そうですね。 特に やっぱり
下2人っていうのが
世代的に
にぎやかな方でもあったので。
なんか 急に
静かになっちゃったなっていう。
でも こうやって海外なんかの写真
送ってくると こう…。
いわゆる
寮で生活しているんですけども。
あっ そう。
部屋にも 他の海外の生徒さんが
いらっしゃるじゃないですか。
そうすると やっぱり
実際 中国のお子さんだったり
ロシアのお子さんだったりとか
世界各国から
来ているわけですよね。
そうすると 感じ方とか
見るものとか
聞く事も
やっぱり この日本でいるのとは
また違う感想があったりとか
するみたいですね。
でも いい事ですよね
そういうの 若いうちにね。
本当ですね。 やっぱり
一方的な考え方だけではなくてね
世界から見た日本であったりとか
世界から見た情勢っていうのは
また違うんだなっていうのを…。
本人たちも
どこまで理解しているかは
あれですけども
色々と感じているみたいですね。
そうですよね。
しかも お友達の間で
そういう事がね
あるわけですものね。
そうなんですね。
そうですか。
でも あなたのところには
一向に連絡が
あまり来ないんだって?
子供たちから。
そうなんですよ。 だから…。
妻には 時々 連絡があったり
するらしいんですけど。
写真とかも 妻からもらう
みたいな状況が多いんですよね。
「えっ? そんな写真
来てたの?」みたいな。
「あれ? 行ってない?」とかって
よく言われて。
あまり僕の方に来ないんですよね。
フフフフ…。
ちょっと寂しいですけどね。
ちょっとね。
で 僕が連絡しても なんか
既読すらなっていない時
あるんですよね。
あっ そうなの? フフフフ…。
ハハハハ…。
元気な証拠といえば
元気な証拠なんでしょうけど。
まあね。
そうなんですよ。
それを読む暇もない
っていうぐらいのね。
実際 僕も ねえ
若くして東京に来た時も
そうだったですけど あまり
両親に連絡するっていう事も
なかったですよね。
うん。
あとですね 多分
僕に用がある時っていうのは
何か送ってほしいとか
そういうものなんですよね。
例えば 日本食が
あまりないじゃないですか。
そうすると
インスタントの麺だったりとか
ご飯とか 今 ねっ チンすれば
大丈夫じゃないですか。
そういうのを送ってほしい。
ああいった時だけ連絡来ますね。
早くしてくれないかなと。
フフフフ…。
小間使ですよね。
小間使? フフフフ…。
奥様は寂しがっていない?
実際ですね すごく やっぱり
寂しくなるのかなって
思ったんですけども
家内はね そんなに
寂しさを感じさせないですね。
自分も 海外っていうのが
好きだったっていう事もあるし
宝塚 辞めてから
ちょっとだけ留学もしていたので。
あっ そうなの。
そういう意味で
感覚がわかるみたいなんですよね。
ただ 子供がいない
っていう事に対しては
一抹の寂しさは
あるんでしょうけれども。
ただ やっぱり
夢に向かっているっていう方のが
期待の方が大きいみたいですね。
ただ 僕の方が寂しいですね。
そうね。
友達がいなくなっちゃった
みたいな。
遊び相手がいなくなっちゃった…。
そうですよね。 話し相手。
僕が なんか 沈んでると 家内が
「どうしたの?」みたいな感じには
なりますよね。
そうよね。 でも ご長男が
4月に俳優デビューをなさった。
そうなんですよね。
おかげさまで
4月にドラマで
デビューさせてもらって。
まさか 同じ道をっていう事を
あまり考えては
なかったんですよね。
芸能界に興味が…。
あら ハンサム。
いえ…。
奥様が奇麗な方だからね。
一番 家内に似ていますかね。
うん。 奇麗。
背 高いの?
180ぐらいですかね。
すごいわね。
はい。
大学まで
野球をやっていたんですけども。
あっ そう。
そうなんです。
よくスッと俳優になりましたね。
そうですね。
だから そういう思いは
あったんだと思うんですよね。
でも やっぱり なかなか
あまり口にする事は
なかったんですけども。
大学卒業前ぐらいから
そんなような方向でいきたい
っていうのを
言いだしましてね。
あなたが勧めた事は
ないんですってね。
僕は勧めた事ないですね。
やっぱり 徹子さん
僕らの世界って
「やったら どうだ?」
っていうのは
なかなか言いづらいですよね。
言えない。
言えないですよね。
やりたいっていうものをね
やめろとは
言えませんけども。
「やりなさい」とはね。
「やりなさい」とは…。
保証がないじゃないですか。
そうです。
だから やりたいっていうのは
かまわないけども
自分で責任が取れるようなね
そういう覚悟がないとできない…。
そうですよね。
仕事であって。
その覚悟が必要だよっていう事は
言いましたけどね。
作品は ご覧になった?
はい。 見させてもらいました。
どんなでした?
照れくさいですよね。
ただ 自分が初めてテレビに出た時
家族で見たんですね。
僕は14歳だったんですけども。
両親と見て。
で 今回 子供がデビューした時
1作目のドラマ 見た時も
家族で たまたま
見る機会がありまして。
なんか 当時の自分を
ちょっと思い出すような
そんな感じだったですかね。
そう。
でも 別に
アドバイスっていうのもなく?
うん…。 なんか でも
気持ちが わかるんですよね。
ああせえ こうせえっていう事は
ないんですけども
多分 一番最初に思うのは
自分が思っているように
動けていないっていう事と…。
なるほどね。
声が違うって
徹子さん 感じるじゃないですか。
そうそうそう。
これって 僕らの世界 多分
皆さん 思ったと思うんですけど。
そう。 私なんか泣いた
こんな声じゃないって。
こんな声じゃないってね。
こんな変な声じゃない…
NHKの機械が壊れているって
私は泣いた。
ハハハハ…。
そんな… すてきな声ですけども。
だから 恐らく 多分 「声が違うと
思っていない?」とかね
「動きが ちょっと違うと
思っているでしょ?」って言って。
それが 違和感なく
できるようになった時が
役者としても
あるいは タレントとしても
自然っていう事なんだよねって。
だから その自然が
一番難しいじゃないですか。
そうですよね。
自分が映像に映っている時と
しゃべっている方の自分が
同じに見えるようになるまでは
やっぱり 時間かかりますよね。
そうですよね。
そんな話は しましたけどね。
なるほどね。
緊張しました 逆に 見ていて。
フフフフ…。 そりゃそう。
緊張するでしょうね やっぱりね。
中山さんの一番最初の出演は
なんだったんですか?
僕は当時のサスペンスドラマ…
火曜サスペンス劇場っていう
ドラマだったんですけど。
生徒役だったんですね。
あっ そう。
はい。 で 本当に
当時 『聖母たちのララバイ』
っていう…。
あなた これだったね。
ほとんどジャニーズっていうね。
いや ジャニーズじゃ
ないんですけども。
この前に 僕
劇団に入っていまして
そこで 火曜サスペンス劇場に
出たりなんかして。
その時は中学生だったんですよ。
で 坊主頭で。 校内暴力が
テーマだったんですけども。
で 犯人を捜し当てて 最後は
クロロホルムを嗅がされて
歩道橋から落とされて
殺されちゃうっていう。
フフ…。 かわいそうね。
エンディングは
僕の遺影だったっていう。
本当に?
そうなんです。 そこに
『聖母たちのララバイ』が流れた…。
フフフフ…。
だから なんていうんですかね。
フルコースの
デビューだったですね。
あの頃 『聖母たちのララバイ』
流行りましたからね。
大ヒットしていましたからね。
そうそうそう。
「さぁ 眠りなさい」って…
僕の遺影ですよね。
そうなの? すごいドラマだわね。
それが… その時は まだ 群馬から
通っていた時だったんですけど。
今の写真は本当に 高校の時で
渡辺プロに入ってから…
東京に来てから
17歳… 16歳 17歳ぐらいですか
これは。
あなた 渡辺プロだもんね。
そうなんです。 はい。
子供たちが
自発的にね やるんなら…。
そうですね。
それぞれの子供たちが…。
同じように育てても やっぱり
道って変わるじゃないですか。
で 長男は
野球を大学までやっていても
やっぱり
どこかに芸能っていう…。
僕もそうですし 家内も
宝塚だったっていう事もあって。
特に家内が『エリザベート』で
何周年… 10周年 20周年と
節目節目では
ガラコンサートなんかしている。
それを見て 長男は一番
スポットライトを浴びている
母親を見て あのステージ…
ああいうステージに立ちたい
って思ったみたいですね。
でも そこはスターだもんね。
そうですね。
息子たちが巣立ち始めた今
趣味が再燃なさいましてですね
書道 随分長く
やっていらっしゃるんですってね。
そうですね。
書道自体は小学校1年から
書いているんですけども。
すごい上手。
ねえ。
ありがとうございます。
歴史ある展覧会でも
賞をお取りになっていらっしゃる。
ねえ。
今 写真に出ていますのは
これは 「独立書道展」の これ
佳作を頂いた作品ですね。
すごいわね。
これ 一応
一般で参加させてもらって。
あっ そうなの。
はい。
「胸懐」って…
胸の懐っていうふうに
書いたんですけど。
先生には ついていらっしゃるの?
先生にも指導して頂いて。
あっ そうなの。
最近… ここ数年 改めて
また やり直している
っていう感じですよね。
これ 「光」ですね。
いいですね。
これも
毎日の書道展なんですけども。
これも 一般で
参加させてもらって。
あっ そうなの。
ねえ。 この「光」の
最後の右の方に…
こういうやつの…。
かすれですかね?
かすれですね。
この辺が すごく
うまくいっていますよね。
これが 徹子さんね…
かすれは
出そうと思っても出なくて。
そうですよね。
筆の運びが本当にうまく…
全部がそろった時に…
墨の減り方とか あと 染み方とか。
それで やったー
っていう感じで出た時に…。
そうですよね。
これ 何十枚 書いても
何時間やっても
駄目な時は駄目なんですよね。
あっ 今 あそこに
いっぱいあるけども。
あんなふうに
随分 いっぱい書いてみるのね。
そうですね。 書いても書いても
ただ 奇麗ならいいっていう事でも
ないですし
やっぱり 勢いがあったり
思いがあったりとか…。
僕が何十枚も書いている横で
リリーちゃんが
ジーッと見ていますけども。
あれ 可愛いね。 犬ね。
はい。 リリーちゃん。
何やってるんだろうなと思って。
早く餌 くれないかなと
思っているんでしょうね。
ねえ。 なんだろうなと
思っているんでしょうね これね。
時間のある時
やっぱり 書くっていう事が
大事ですよね。
やっぱり 書かないと駄目です。
だから 本当に
小学校から やっていて
東京に出てきた時…
高校の時もですね
書道道具は全部 持ってきて。
あっ そう。
で 一応 作品を作って
群馬に送って 添削してもらって
また 先生から
指導をもらっていたんですね。
やっぱり 何十年も
ちょっと やらない時期が…
あんまり まともに
書いていなかったんですけど。
やっぱり
自己流になりすぎていて
なんか あんまりよくないなって
思う時が ここ数年 ありまして。
改めて また 先生に…
青山先生という方に
今 つきまして また一から
やらせて頂いているんですね。
そうですか。
で この作品なんかは…
これは「和」っていう字。
これは薄墨で
書いたものなんですけども。
うまくいっていますよね。
その なんとも…
「和」の左の方の
かすれ具合なんかね。
これが 持っていった時に
流れが こう…。
この位置もね
納得がいくか いかないかで…。
まあ 自分… 己なんですけどね。
自分がいいと言えば
いいんでしょうけど。
まあね。 大きい字の時だと
墨の量とかね 水の量とか
色んなのね…。
そうですね。
この「極」なんかもそうですけども。
やっぱり こういう かすれの…。
上手 とっても。
真ん中に出るなんていうの
なかなかね…。
そうそう そうそうそう。
ならないですよね。
うまくいきましたね それね。
こういう時は
やったー! っていう感じで。
もう 本当に 子供の時も
やっぱり
しつこかったですね 僕ね。
古典を写して 作品なんか
作っていたんですけども。
親が やめろって言うぐらい
書いていましたね。
あっ そうなの。
もう 寝なさいって言うぐらい。
10時間でも
ずっと書き続けちゃうんですよ。
好きなの?
やめられなくなっちゃうんですね。
ハハハハ…。 そうすると
もういいでしょっていうぐらい…。
納得いかないですね。
でも この「極」なんてね
うまくいっていますよね
なんかね。
そうですね。
力強いところとね このかすれと。
丁寧さと勢いと
なんか こう 魂みたいなものが
入った時に
うん これかなっていうのに
やっぱり 3日間ぐらい
かかりますかね。
あっ そうね。
はい。
でも いずれ
やっぱり こう 自分で…。
今 こういう
出展させてもらっていますけど
自分で個展ができるように
作品を たくさん集めて。
集めてね。
今は だから コツコツ作って
いずれ 発表できればな
なんていうふうにね…。
あっ そうですか。
でも この「極」の そのかすれは
本当に…
そんな事 言っちゃなんだけど。
うまくいきましたね。
あっ ありがとうございます。
本当に 俺 これ…
本当に好きな かすれなんですよ
これ。
徹子さんが すごい
そこに食いついてくれるんで
俺も すげえうれしいです。
なかなかね
こういかないんですよ。
これね 筆も やっぱり
そのままじゃなくて
返したりとか…。
そうですよね。
そうなんですよ。
それが うまく返しきれて…。
それから 最初に どのくらい
たっぷり水を浸すかで…。
途中で つけないじゃないですか。
そうそう。 1回で…。
書き出したら一気にいきますんで。
そうそう。
だから やっぱり 最後に
ちょっと足りなくなるぐらいに
つけておかないといけない。
そうなのね。
でも あんまり かすれちゃったら
見えないしっていうね。
はなから そうすると
ここのボテッとした感じが…
入り口が出ないんですよね
墨が弱いと。
そうよね。
でもね これだけ書ければ
随分いいわね。
そうですね。
まだまだ
チャレンジしていきたいし
色んな字体がありますから…。
そうですよね。
まだまだ 本当に 始まったばかり
っていう感じですね。
さて 息子たちが海外へ行って
あなたと奥様と2人で
旅行にも
出かけられるようになった。
そうですね。 なんか 今まで
家内も やっぱり
毎朝 お弁当を作って
で もう ねえ 本当に
朝なんて 一升釜で炊いて
で また 夜 炊いてっていう
本当に 毎日 お弁当…
ずっと ひたすら ご飯作りと
お洗濯とお掃除
っていう感じだったんで。
やっぱり
一段落できたっていう感じが
ちょっと あるみたいですね。
なるほどね。
だから 一緒に旅行 行く機会も
もう 子供たち…。
どこかにいらっしゃいました?
これ ちょっと
軽井沢に行った時なんですけども。
あっ そうなの。
やっぱり 2人で
動けるようになりましたね。
子供の休みの時とか
部活でいないとか
あの子が どうしたとかね
旅行に行っているとか
クラブで
合宿 行っているとかっていうと
みんなで集まるのは じゃあ
どこなんだなんていうのを…
スケジュールを組んで
やっていたんですけど。
今は もう 幸い
みんな いないです…
独立しつつありますので
もう 2人で
じゃあ ちょっと行こうか
っていうのができるように…。
だから 本当に 家内は
結婚して1年目に
長男が生まれていますから…。
ああー もうね。 大変。
こういう旅行なんていうのは
ほとんどした事が…
2人で なかったんですね。
やっぱり
子供がいる生活っていうのが
この二十数年ね…。
そうですよね。
結婚して もう
25年になりますけども。
ほとんどが子供のいる生活で
やっぱり…。
それはそれで
楽しいんですけども。
でもね…
でも 子供たちが大きくなって
手が離れて 夫婦で ちょっと
旅行に行くなんていうのはね
いいものですよね。
そうですね。
…だと思います。
気軽ですよね。
なんか あっ 子供がいないとか
どこ行った? とかね。
そうそう そうそう…。
あっ ベビーカー
置いてきちゃったとかね。
フフフフ…。 そうそう そうそう。
もう 一番多い時は本当
僕は3人ぐらい抱えている時
ありましたから。
そうよね。 4人 いたんじゃね。
そうなんですよね。 ベビーカーも
2人乗りのベビーカー
押していましたから。
あっ そう。
大変でしたね。
家内も そういう時から比べると
だから やっぱり… 結婚して
もう 25年なんですけども。
初めて もしかしたら
自分としての時間が
少しずつ できてきているのかな
っていうので…。
生き生きしていますよ。
いいですよね。
そりゃあね
一番いい時じゃないですかね。
子供が うまく育ってね。
うん。
お若いんだしね。
ねえ。
でも やっぱり なんか
両親が亡くなって
ちょうど七回忌っていう事も
あったので。
この間も
群馬なんかに帰りますとね
やっぱり 改めて 今 子供が
旅立っていくっていうので
一抹の寂しさを
持つじゃないですか。
僕は15歳で 東京に
来ちゃったのを考えると…。
その時の親の…。
そうなんですよ。
親の気持ちが… ああ そうかと。
親になってみるとね… やっぱり
親あっての自分ですし。
やっぱり
親が亡くなってわかったのは
親が喜ぶ顔を見たくて
やっていたんだな
っていうのを感じましたね。
なるほどね。
だから こういうのだって
本当はね…。
そう。 見せてあげたい…。
見せてあげたいでしょ?
でも やっぱり…
あっ これ ちょうど
長男が生まれた時ですね これね。
あっ そう。
父と母 東京に
来てくれた時なんですけども。
この間 母の七回忌
で 年明けたら
父の七回忌なんですけども。
2人が喜ぶ姿を見たかったんだな
っていうのは
つくづく感じましたね。
ねえ。 そうなのね。
だから 亡くなって初めて
あっ そうか
今度は僕が そういう立場に
ならなきゃいけないし
そういう親になろう
っていうふうに
ちょっと 思いましたね。
でも 悪い事をしようと
思わなかったのも
親のおかげっていうとこも
あるんですって?
そうなんですね。
やっぱり 1人で東京に来て
自由… そういう意味では
自由じゃないですか。
決まりがない世界に
行きましたので
一人暮らしでしたから。
そうすると やっぱり
悪い誘いでも 乗ろうと思えば
乗れたかもしれないですね。
ただ 俺は何しに来たんだと。
いつも
立ち止まる瞬間があった時に
やっぱり
両親の顔が浮かびましたね。
あっ そうなの。
はい。
だから そういう子供に
なってほしいなというか
成長してほしいなっていう…。
そのためには
自分が しっかりしないと。
そうですね。
そういう背中を見せないと
いけないんだなっていう…。
でも 大丈夫ですよ。
これだけの書を
お書きになるんですから。
いやいや 本当
まだまだ未熟ですけども。
まあ 本当に 親になるのは
ここからかなと思いますね。
そうですか。
あなたが大変長く
司会を務めていらっしゃる
『タイムショック』。 明日 放送?
そうなんですよ。
2000年から
スタートしましてですね
現在
22年やらせてもらっています。
すごい。
『タイムショック』が ねっ
9月の21日
3時間スペシャルで…。
すごい。
はい。 お届けします。
すごいですね。
3時間スペシャル?
そうなんですよ。
おおー。
「タイムショック!」
〈ベテラン 芸人 キャスターが
頂点を目指し 激突〉
〈過酷な戦いの結末は…〉
私 司会を
やらせてもらっていますけども
やっぱり
解答者のレベルが高いですね。
あっ そう。
今 皆さん 本当に すごい。
もう やっぱり
日々の鍛錬が違いますね。
なるほどね。
いわゆる かつての…
昔の事だけじゃなくて
今の時事ネタも
皆さん 解答しなきゃ
いけないじゃないですか。
昨日 起きた事も
すでに問題になりますから。
あっ そう。
はい。
あなた あそこに座った事
あるんですか?
いや 僕 ないんですよ。
僕ね 座ったらね
絶対 回りますね。
フフフフ…。 ちょっとね。
『タイムショック』の宣伝を
させてもらいながら
なんですけども 僕がやったら
「だいぶショック」ですね。
フフフフ…。 「だいぶショック」。
ハハハハ…。
仕事に励む毎日だけど
これからは
ご自分の家族のためにも
何か やりたいと。
そうですね。 やっぱり 家族が
また 全員でそろって
何かをするっていう時
また来ると思うんですよ。
それぞれ 今は
それぞれの道に進んでますけども。
やっぱり 家族があってこそだと。
一つの中山家として
これからも一丸となって
また そこから旅立っていく
っていう事が
何度も繰り返されていくような
集まれる家庭をね
作っておきたいなと思いますね。
いいですよね。 でも あなたも
よくおやりになりますよね
若い時から一生懸命。
そうですね。
存じ上げておりますが。 フフフ…。
自分も好きな事をやってきて
なんですけども
本当に 子供たちにも好きな事は
どんどんやってほしいですね。
また ぜひ 徹子さんにも
見に来て頂きたいと思います。
拝見させて頂けたら…。
どうも。 中山さんに
今日は おいで頂きました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
『徹子の部屋』は
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