出典:EPGの番組情報
開運!なんでも鑑定団【どっちが高額!?<古伊万里VS鍋島焼>&映画グッズ!】[字]
■日本初VS日本最高峰<焼き物>鑑定対決…高額はどっち!?■幻の美麗<絵はがき>に衝撃値■映画グッズ大会…<ヘプバーン&モンロー>秘宝■<天龍源一郎>のお宝■
詳細情報
番組内容
骨董好きの父が20年ほど前、500万円の大枚を叩いて手に入れたお宝が登場。依頼人は本当にそれほどの価値があるのか半信半疑だが…。驚きの鑑定結果にスタジオ騒然!
出張鑑定は映画グッズ鑑定大会。マリリン・モンローのスゴいお宝に井筒監督もビックリ!
出演者
【MC】今田耕司、福澤朗
【ゲスト】天龍源一郎
【アシスタント】片渕茜(テレビ東京アナウンサー)
【出張鑑定】映画グッズ鑑定大会
【出張レポーター】原口あきまさ
【出張コメンテーター】井筒和幸
【ナレーター】銀河万丈、冨永みーな
鑑定士軍団
中島誠之助(古美術鑑定家)
北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)
安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主)
泉高志(「闘道館」館長)
八木正自(「安土堂書店」代表取締役)
関連情報
【番組公式ホームページ】
www.tv-tokyo.co.jp/kantei/ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
バラエティ – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
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- アメリカ
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- 井筒監督
- 女性
- 図柄
- 大事
- 大鵬
- 当時
- 日本
- シーン
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
(3人)こんばんは。
さぁ 「鑑定団」始まりました。
今週もよろしくお願いします。
ドラマの共演者が
そのまま結婚するとか…。
役は 役ですから。
ガッキーから どなたかに
乗り換えるんですか?
好きな女性。
いやいや 僕はあの…。
ガッキーと 長澤まさみちゃんという
二兎をずっと追ってますから。
あぁ。
あぁ。
マサミ・ナガサワが
ずっと走ってますから。
より いっそう思いが深くなる?
より いっそう。
全部いきますから 今後は。
<本日のゲストは…。
ジャイアント馬場 アントニオ猪木から
ピンフォール勝ちを収めた
唯一の日本人…>
<中学生で 身長180cm
体重80kgと
恵まれた体格を誇り 13歳のとき
横綱・大鵬が所属していた
二所ノ関部屋に入門。
抜群の運動神経と
軽快な突っ張りを武器に
西前頭筆頭まで
上り詰めたものの
1976年 全日本プロレスの
ジャイアント馬場から誘いを受け
プロレスラーに転向。
当時 人気実力ともにトップだった
ジャンボ鶴田とタッグを組み
鶴龍コンビとして
リングに君臨しました。
しかし 更なる高みを目指し
コンビを解消。
阿修羅・原とともに
天龍革命ののろしを上げ
闘争心むき出しのファイトスタイルで
かつてのパートナー ジャンボ鶴田と
数々の名勝負を繰り広げることに。
そして 1989年
三冠ヘビー級選手権で
ついに ピンフォール勝ちを収め
王座を獲得。
全日本プロレスの頂点に立ちました>
< その後は 団体の垣根を越え
あまたのトップレスラーと対戦。
いずれも手に汗握る
激闘ばかりで
プロレス大賞 ベストバウトには
史上最多の9回 選ばれています。
60歳のとき 自らの団体
天龍プロジェクトを立ち上げ
リングに上がり続けましたが
2015年 惜しまれつつ引退。
現在は 長女の紋奈さんが代表
天龍さんが解説を務め
二人三脚で奮闘中です>
天龍源一郎さんです。
よろしくお願いします。
よろしくどうぞ。
ようこそ 「鑑定団」へ。
僕が プロレス中継を始めて
間もない頃
たしか世田谷の道場で
初めてお会いして
飲みに連れていってもらって
もっと飲め もっと飲め。
なんて誘われたんですか?
馬場さんからは。
いちばん覚えてるのはね
お前いくらもらってんだよ
相撲協会でって 給料聞かれて。
これだけですって言ったら
じゃあ倍出すからこいよって。
え~っ 倍出す。
すぐ即決。 即決です。
はい わかりました。
試合で なんか思い出深いのって?
鶴田選手に勝ったやつですね。
あれは やっぱり
思い出ありますよね。
プロレスファンのなかでは やっぱり
ジャンボ最強説っていうのがあって。
確かにね…ありました。
強かったですか?
天龍さんしか 倒せないんじゃ
ないかっていうときやから。
あのハンセンが大喜び。
うお~ってやってましたから。
どんなお気持ちでした?
この野郎 ざまあみろと…。
天龍さんにはね たびたび
この番組からオファーを出してて。
なんで今回 出ていただくことに
なったんですか?
あのね 娘から聞いたんですけど
小橋くんが出て。
小橋建太さん。
数千円って聞いて
これでも出られるんだったら
俺もいいやと思って。
今日こられてるんですよね。
どんなパパでしたか?
皆さんの知ってるままの
天龍源一郎です。
朝7時くらいに帰ってくるし。
夜通し飲んで。
ものすごい
アルコールにつけられた感じの。
そうです。
さぁ ということで
お宝見てみましょうオープン。
さぁ これは?
(天龍)横綱の手形です。
そうですね。
(天龍)それも大鵬さんとか
北の湖とか千代の富士とか
そうそうたる人たち。
うわ すごっ。
これは どういういきさつで?
プロレスに入って しばらくしてから
なんか相撲関係の人から
いただいたんです。
千代の富士関は 十両くらいの
ときにずっと戦ったり
北の湖さんはね 同じ
両国中学校出身というので
親近感を持っていました。
大鵬さんとの思い出って
なんかあったりしますか?
(天龍)今でも
覚えてるんですけど
大鵬さんが
ごはんを食べるとね いつも
しょうゆの
いくら漬けっていうやつを
北海道出身だから
こう いつも食べて
でね 付け人やってると
僕ら下っ端だから
ずっと後ろのほうになるんです。
あぁ そうか。
大鵬さんが いつも美味しそうに
食ってるのを見て
いつか あれを
食ってやろうと思って
しょうゆのいくら漬け…。
そっか。
付け人が パッといなくてしょうゆの
いくら漬けだけが残ったとき
これをバッと盗んでこう食って…。
盗んで食う。
あれが だからうまいと思った
いちばん最初の食い物だった。
天龍さん たいへん
申し訳ないんですけども
とてもいい話なんですが
しょうゆのいくら漬けでなくて
いくらのしょうゆ
漬けだと思います。
そうか そうか。
ご本人の評価額ですが
おいくらでしょう?
20万もあれば
いいかなと思ってます。
娘さん いくらだと思いますか?
100万円くらいかなと。
いい根性してるね。
俺より度胸あるじゃない。
さぁ それではまいりましょう。
オープン ザ プライス。
15万。
あれ。
思いのほか伸びなかったな。
大鵬 北の湖 千代の富士
昭和の三大横綱の手形に
木村庄之助の描いた夢。
まさに夢の三つどもえです。
ただ これほどの
大横綱になると
手形を押す機会というのは
日常的で数があるんですね。
数か。
数が多いんだ。
千代の富士が
現役を引退した頃
平成3年からの3年間が
この二十八代の木村庄之助の
在位期間ですので
その間に押されたものだと
考えられます。
天龍さんが 新弟子時代
付け人をしていたのが横綱大鵬。
そして 天龍さんは
プロレス界の二大横綱である
ジャイアント馬場とアントニオ猪木
2人から ピンフォールをとった
唯一の日本人プロレスラーとして
有名ですけれども
関取時代には この
北の湖にも千代の富士にも
幕内の土俵で勝っている。
これもすごい記録です。
この掛軸を天龍さんが ずっと
大事に持っているというのは
プロレスファン 大相撲ファン
みんなグッときます。
大事になさってください。
いや~ これはだからやっぱり
娘さんにこのまま託してね。
(天龍)そうですね。
時がたてばたつほど 価値は
上がってくると思いますから。
ホントですね。
しかも天龍さん。
小橋建太さんに圧勝しました。
それが 何よりもうれしいです。
小橋 見てるか?
どうも ありがとうございました。
大事になさってください。
<続いては 東京都 板橋区から。
次なる依頼人は ペンキで
椅子の色を塗り直している
こちらのお二人>
<若い頃 デザイン関係の専門学校で
同級生だったお二人は
細かい作業は お手の物。
最近 DIYで家の中の至る所を
手入れしているそうです>
そうそう そう。
<天井を塗った残りのペンキで
タンスも塗り
こちらの部屋は
もとは白かった壁と
クローゼットの扉を全て塗り
テーブルの天板と
床を張り替えました>
< これからも仲よく
楽しんでください。
ところで お宝はなんですか?>
< そのお宝は 1つは祖父が
もう1つは
父が残した焼物でした。
祖父 光男さんは
<父 八郎さんは
17年前に亡くなるまで
それを 「鑑定団」に
出してみようと。
それで
すぐに その場で
応募しました。
どちらの審美眼が正しいのか
番組ではっきりさせたいです。
鑑定 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
<スタジオで拝見しましょう>
依頼人の登場です。
(片渕)東京都からお越しの
ようこそ 「鑑定団」へ。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
すごい リフォームしましたね
でも だいぶ。
ホントにことごとく塗りました。
さすが ちょっとやっぱ
やられてただけあって
全然 素人では
ああは いかないですよね。
お宝 拝見しましょう
お宝オープン。
お~?
お~。
向かって左が
僕がいいと思っています
父が遺した…。
右側が 私が気に入っています
祖父の遺してくれた…。
変わってんな
皿やのに壺が描いてある。
珍しい。
ややこし!
お互いに どのあたりが
いいというふうに
思われてるんですか?
壺のほうなんですが
父親が40年くらい前に
パリの蚤市で
買ってきたものなんです。
タオルにくるんで 飛行機の中に
抱きかかえて
帰ってきたっていう。
そこまで
大事にしてたんだなっていう。
実は蓋なんですけど
あとから作ったものなんです。
親戚の陶芸家の方に
やってもらったらしいんですよ。
有田焼の技術のすごさ
ちょっと感心しまして
いいなと思いました。
は~。
さあ そして奥様のほうの
皿はどうでしょう?
87歳になる母が
子どものころから
菓子鉢として
お客さんが来るたびに
出してたそうなんですね。
もらったものなのか
買ったものかも 母はわからない。
よく わからない
ずっとあるものやから?
祖父の親友だった方が
いらっしゃって。
古美術にすごく精通してる方で
美術館にも ご自身の
集めたコレクションを
寄贈なさってるというような
かなりすごい方だったんですね。
で その方が これいいものだから
大切にしてくださいって
いうふうに言われて 床の間に。
飾るように。
飾るようになったんですか。
そうなんです。
ホントに珍しい柄ですよね。
なんか かわいいな。
僕 奥さん派かもわからへん。
<伊万里焼は 江戸時代初期
肥前・有田で誕生した
日本最初の磁器である。
当初は 技術が
未熟だったため
ほとんどは藍一色の
染付だったが…>
<技術革新が一気に進み
鮮やかな色絵が
作られるようになった。
これが…>
<中国磁器の入手が
困難になった東インド会社は
日本の伊万里焼 なかでも
柿右衛門様式に注目。
その結果 洗練された
柿右衛門様式の名品が
大量にヨーロッパに輸出された。
更に 17世紀末から
18世紀初頭にかけて
沈香壺と呼ばれる
大型の蓋つき壺が
盛んに輸出されたが
これは 中に香木を入れ
来客時に蓋を開けて
香りを楽しむもので
王侯貴族に大いに珍重された。
色絵や 金彩を駆使した
絢爛豪華な
この時代の壺や皿は
<今なお 高い人気を誇っている>
<一方 鍋島藩では
17世紀の中ごろから…>
< これが
<有田から更に奥まった
<優れた陶工を引き抜いて
伊万里焼の技術を結集し
作陶させたが
その
<窯への出入りを制限するため
関所を設けたほどであった>
<鍋島焼には
いくつか種類があるが
その代表が…>
<藍色の呉須で 下絵を描き
赤 黄 緑の3色で
絵付けしたもので
基本的に 金色や銀色は用いない。
文様は 花鳥や山水。
あるいは 幾何学的な更紗文。
更には 身近な草花や野菜を
図案化したものなどがあるが
いずれも 実に見事で
中にはモダンアートのごとき
斬新なデザインもあった。
器の形は ほとんどが木盃形で
大きさは…>
<4種類のみ。
裏には必ず 七宝文や唐草文が
三方に配され
やや高い高台の周りには
櫛歯文などが
寸分の狂いもなく
等間隔に描かれている。
これらの約束事が
厳格に守られているため
鍋島焼は 大名道具らしい
高い美意識と品格を
保っていた>
< と呼ばれる
ゆえんである>
<改めて 依頼品を見てみよう。
一方は…>
<残念ながら 蓋はあとから
作り直したものとのことだが
胴に描かれた 牡丹の文様と
金彩が 実に華やかである>
< もう一方は…>
<直径は21センチ
すなわち7寸で
鍋島焼の規格どおり。
図柄は 七つの壺が描かれた
七壺文。
詳しく調べたところ
鍋島焼には
壺の文様がいくつかあり
七つのほか
五つや三つもあるようだ>
どうですか 自信のほうは。
あります 自信は。
ありますか ご主人どうですか?
はい あります。
今田さんは どう見ます?
俺ね VTR見るまでは
この皿やったんやけどね。
ズバリ 僕はこっちの。
壺ですか。
壺のほうが高いんじゃないかなと。
まずは壺から
いきましょうか ご主人。
ご本人の評価額ですが?
100万円でお願いします。
100万円で まいります
オープン ザ プライス。
お~! 80万!
なかなかです。
なかなか いいものです。
なかなかですよ。
18世紀の前半に作られた
古伊万里の沈香壺
間違いございませんね。
この手はね ほとんど
ヨーロッパへ輸出されたもんですから。
日本では里帰り伊万里と
呼んでおりますね。
里帰り伊万里。
牡丹 菊 桜を描いてございますね。
筆がたいへんに
速いもんですからね。
生命力ってものを感じる
いい壺です。
この蓋 よくできてますね。
ちょっと見ただけでは
わからないくらい
いい仕事しております。
ご主人いかがですか 感想は。
うれしかったです。
そうですね 先攻でなかなか
いい結果が出ましたね。
出ましたね~。
どっちに転がっても
もう番組的には大丈夫ですから。
さあ それじゃあ続いて
奥様のほうの評価額です。
おいくらでしょう?
100万円でお願いいたします。
100万円なら
奥様の勝利になりますけども。
まいりましょう オープン ザ プライス。
あ~ 伸びなかった。
あれれれ…。
よっしゃ!
今田さん 予想しましたもんね。
近現代で有田で作られた
模造品ですね。
これが もしね
17世紀から18世紀にかけての
最盛期の色鍋島でしたらね
5, 000万円して
よろしいでしょうね。
絵が下手なんです。
7個の壺が
散らばっておりますね。
鍋島というものはね
規格品でもって
精緻な文様の極みですからね
こういうことは ないんですよ。
ただね 飾るのには
よろしいんじゃないか
というふうに考えます。
ご夫婦で
伊万里 鍋島論争なさるなんて
うらやましいですよ。
確かにね。
温かみを感じました。
<映画。 それは
愛と涙と笑いの玉手箱。
今宵 あの名シーンが蘇る>
<早速 いってみよう!>
第7回 映画グッズ鑑定大会!
<ゲストコメンテーターは
今日も いろんな映画グッズ
出てくると思いますが。
俺もあってんけどね。
そうですか。
どんなものが ちなみに?
我々の大先輩のサインをね
東京 来たときにもらったの。
< まずは自宅をアメリカの
バーのようにしている梅野さん>
どんな感じになってるんですか?
まず…。
ダーツマシーンも欲しいな。
そのあと アーケードゲームも
欲しいなってことで。
< こちらが そのご自宅。
他にも レコードプレーヤーや
ビールサーバーも置いているので
友達が しょっちゅう遊びにくる>
(原口)これ 家にあるんですか?
楽しそうですね。
これ 遊びに行ったら。
懐かしくないですか 監督 これ。
(井筒)懐かしいね。
僕 去年 撮った映画で
< そのシーンが こちら。
井筒監督の最新作 『無頼』は
現在 順次公開中>
< お宝は…>
<『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は
1985年公開のSF映画。
主演のマイケル・J・フォックスが
乗用車型のタイムマシンを駆使し
過去 現在を行き来する>
< これは撮影の際
スタッフに配られたもので
1985年1月16日から18日
1月21日から23日までの
撮影内容が書き込まれている。
去年 アメリカの
アンティークを扱っている店で
2万5, 000円で購入した>
ふだんは これ だって
(井筒)細かく書かれてるから。
ナイトシューティングをして
そして朝までやるよと。
必死で これ
やってたんでしょうね。
夜 朝 もう別班たてて
A班 B班 C班
びっしり撮らされてますわ。
(原口)この撮影スケジュールは
監督は組まない?
こんなスケジュール
死んでしまうよ。
< その殺人的なスケジュールで
撮影されたシーンがこちら>
(原口)これね! ここの撮影シーン
ナイトですね 確かに 井筒監督。
(井筒)ナイトですね もちろん。
(原口)思い出すわ このシーン。
< もし これが高ければ
売ってしまい…>
使えたらいいなと。
<本人評価額は
期待を込めて15万円。
井筒監督が言うとおり
ほとんどが捨てられてしまい
このように残っているのは
とても珍しいのでは?
果たして結果は?>
ジャカジャン こい! 5万円!
<ダウンするも大健闘!>
でも そんなんだったら…。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は
DVDとか配信とか
常に
ナンバーワンクラスになってますし
映画の関連商品という
ことからいうと
それなりの評価は
していいかなと思います。
穴 開けてあるんで
たぶん バインダーに入ってたと…。
これ1部だけ
作るわけがないんで
スタッフ全員に
渡してあるはずなんですね。
そのうちの1部をどなたかが
売ったんでしょうね。
CAMERAのところに
丸がついてたりするんで
カメラ関係の人から
出たのかもしれない。
<続いては 昔の日本映画が
大好きな鈴木さん>
いちばん
お好きな映画というのは?
京都の大映の昔の作品はいいね。
<実は 映画に関する著作もあり
円谷英二が特撮を担当した映画
『ハワイ・マレー沖海戦』を
考察した本を去年 出版した>
とりあげられて…。
とりあげてもらったんですか?
ええ。
< お宝は 『七人の侍』の
公開当時のポスターである。
1954年公開の 『七人の侍』は
黒澤明監督が
制作に1年以上をかけ
当時としては破格の
2億円の予算を投じた
時代劇巨編で
世界で最も有名な日本映画の
1つである。
このポスターは 三十数年前
映画グッズ専門店で
1万5, 000円で購入した>
行ったら これがあったので。
初任給で買った?
はい。
< あるとき このポスターを目にした
映画好きの友人が…>
もし 手放すんだったら
ひと声かけてくれって
言われました。
えっ!?
「黒沢明監督作品」とある
この 「沢」という字がね
難しい 「澤」じゃないときの
ものなんですよ。
それはね ファンにとっては
ええ価値すんのちゃう?
なるほど!
<本人評価額は
友人の言い値と同じく10万円。
思い出のお宝なので
ずっと手元に
置いておくつもりだが
もちろん高ければ高いほど
うれしい。
果たして結果は?>
(原口)ジャカジャン こい 15万円!
< やった~!>
厳密な意味では
初版ではないんです。
初版と同じ原版を使って作られた
増刷版ということになりまして
当時 二番館 三番館 地方館と
多くの映画館で
上映されてまして
特に 『七人の侍』の場合はすぐ
ポスターが足りなくなったんですね。
それで増刷したんです。
これ どこで
増刷だと わかるんですか?
紙の質が すごく薄いんです。
初版と比べますと。
初版といわれてるものは
ホントに残ってなくて
たまに見ても
すごく状態が悪くて
それでも 30万円以上の
評価になりまして
もし 美品が出てきましたら
100万円くらいには
なるものだと思います。
<続いては アカデミー賞 授賞式を
欠かさず見ている岡田さん>
ずっと テレビで
見てるってことですか?
そうですね。
現場!?
現場に行って
現地の…。
<2月6日から1週間ほど
ハリウッドに滞在し
現地の雰囲気を存分に堪能。
実は このとき
妻を誘ったのだが
断られてしまった。
なぜかというと…>
<授賞式の翌日
会場に行ってみると
片隅に レッドカーペットの切れ端が
捨てられていたので
係員の許可を得て もらってきた>
もしかしたら…。
そういうことですよね。
現場のスタッフしか
踏んでないでしょ これ。
< お宝は
<会員証は 5年前
アメリカのオークションで発見。
1959年 モンローが
アカデミーの会員になった際
発行されたもので
当時の会長 ジョージ・スティーブンスが
モンローを会員に招待する手紙も
ついている。
いくらで落札したかというと…>
60万くらい。
(笑い声)
< こちらの小切手は
後日 別のオークションで落札した>
別に欲しくない…。
(笑い声)
合計で いくらくらいなの?
(笑い声)
(笑い声)
僕ら マリリン・モンローの
世代じゃないから
アンタ 何 着て 寝るの?
つって言われたら
いや 私 シャネルの5番つけて
寝てるのよって言ったんだよね?
(原口)ええ。
それだけしか知らない。
(笑い声)
<本人評価額は
落札額と同じく 100万円。
ぜひとも井筒監督を
ギャフンと言わせたいので
それ以上の高値がつくことを
期待している。
果たして どうなるのか?>
<アメリカのオークションで
100万円で落札した
<果たして 結果は!?>
(原口)ジャカジャン! こい!
< これは すごい!!>
(原口)きましたよ! 120万円。
井筒さん。
(笑い声)
監督に… 井筒監督に
見せなさい もっと。
会員証は ちょっとね
びっくりしましたね。
手紙が ついてますよね。
(原口)はい。
ジョージ・スティーブンス。
アメリカを代表する映画監督で
当時 アカデミーの会長だった。
彼が 自ら書いて
会員になってくれませんかって
いう レターがついてる
貴重なものだと思いますね。
小切手のほう。 バンク オブ アメリカに
口座を持ってたマリリン・モンローが
35ドルで Daws
というお店宛てに
振り出したもの
だと思います。
サインだけするのは 結構
あったりするんですけど
これ 上から下まで
全部 書いてるんで
価値あると思います。
(笑い声)
<続いては 映画グッズコレクターの
喫茶店店主 大森さん>
喫茶店も じゃ もう趣味で
埋まってんじゃないですか?
店じゅう それしかないですね。
< こちらが店内の様子>
(原口)映画好きには
たまらないお店ですね。
そうですね。
いろいろ お客さんとも会話
盛り上がるんじゃないですか?
そうですね。
< なかには こんなものも>
(原口)うわっ!
ホラー映画で実際 使った
小道具なんですけど 生首で。
『悪魔のいけにえ』の3に
出てきたんですよ。
これ 見て ちょっと…。
(原口)いや いるでしょうね。
< お宝は こちら>
(拍手)
<2005年公開の
『奥さまは魔女』は
1960年代にアメリカで放送された
人気ドラマを映画化したもので
普通の恋に憧れる魔女と
落ち目の俳優が織りなす
ロマンチックコメディーである>
< この衣装は 十数年前
映画の撮影現場に
出入りしていたアメリカ人の知人から
10万円で購入した>
どういうシーンで
着られてるんですか?
これ 上は オープニングから
結構 長い間
ずっと着てるんですけど。
へ~っ。
< そのシーンが こちら>
(原口)あっ これ?
そうです。
(原口)あっ これ 着てる!
確かに これだわ。
<スカートは この場面>
(原口)あっ これ? このスカート?
そうです。
<手元に届いたときは
うれしさのあまり…>
匂い かいじゃった。
どんな香りしました?
(笑い声)
ニコールの?
はい。
いや どうかわかんないけど…。
<本人評価額は 今なら
このくらいはするはずと 50万円。
もちろん この衣装も
店に飾っているが
見た目が地味なので お客さんは
あまり関心を持ってくれない。
果たして 結果は!?>
(原口)ジャカジャン! こい!
<ダウンするも
これくらいなら よかった>
ニコール・キッドマンが着た
というふうに考えても
いいんじゃないか
と思いますね。
映画の衣装に関しては
その映画のために
デザインされて作ったかどうか。
(原口)ああ なるほど。
今回の この衣装
タグがついてて市販品だった。
ただ ニコール・キッドマン オーストラリア人で
初めて アカデミー賞もらってますし
アカデミー賞女優が着てたものなんで
評価させていただいて。
なるほど。
<最後は
海外旅行が趣味の牧野さん>
いちばんよかったところ
どこですか?
スペインが好きなんですけど
そのなかでも やっぱり
バスク地方が すごいよかったです。
(原口)どう いいんですか?
食べ物が?
はい。 ホント 三つ星から
もう バルで食べる
何ユーロみたいな 幅も広く
とにかく美味しいんです。
(笑い声)
(笑い声)
< お宝は…>
<叔父のパスポートの
余白に書かれたもの。
1970年から71年にかけて
オランダの駐在員だった叔父は
出張で
ローマ・ジュネーブ間の飛行機に
たびたび搭乗していた。
その際 機内で…>
(原口)えっ!?
<英語が堪能だった
叔父が話しかけると
気さくに答えてくれた。
そして サインを
頼もうと思ったが
叔父は ちょうどよい紙を
持ち合わせていなかった。
そこで…>
って言ったら
書いてくださったそうで。
(原口)へ~っ! そういうのに
応えてくれる方なんですね。
ホントですね。 私も
信じられなかったですけども。
そこに ハートをつかまれた可能性
ありますよね オードリーさんが。
井筒監督
こういうことって あります?
あるでしょう。 僕 なんか…。
(原口)え~っ!?
すごい!!
そのとき 俺
日本の監督だと言う…。
いや そんなん言うてへん。
なんで言うねん? そんな。
<本人評価額は
叔父と相談し 10万円。
海外旅行に よく行くので
いつか自分も
飛行機の席が大スターと
隣同士になることを願っている。
果たして 結果は!?>
(原口)ジャカジャン! こい!
え~っ!!
< やった!>
10万円。
えっ うれしい!
すごいですね。
すご~い!
印刷物の余白などに書かれたサインは
ちょっと マイナス評価に
なる場合が
ほとんどなんですけど
このサインの場合は いつ どこで
どのようにして書かれたか
っていうのが はっきり
わかる状況にあって
サインとしては
一級品のものだと思います。
当時 ヘプバーンは女優業を離れて
ユニセフ活動などを
始めた時期にあたるもので
スイスに住居を持ち
ローマに仕事場を持ってた頃で
状況も ぴったり
合致しますし 将来的に
価値が上がることはあっても
下がることは ありませんので
大事にお持ちください。
(原口)う~わっ!!
<次回も お楽しみに!
続いては 東京都 東久留米市から。
早速 ご自宅にお伺いすると…>
(歌声)
<部屋の一角を占める
ボックスの中で…>
<熱唱しています。
こちらに
まったく気づいていません。
あの… こんにちは!
あっ 気づいた>
どうも。 お待ちしてました。
< こちらが
次なる依頼人…>
< そうだったんですね。
貴志さんが 音楽に目覚めたのは
14歳のとき>
< その思いのまま
<2013年には
友人たちと スリーピースバンド…>
<メジャーデビューを
夢見ていたのですが
方向性の違いで 2年後に解散。
以来 ソロアーティストとして
楽曲の配信を中心に
地道に活動を続け
現在は
<作詞作曲はもちろん
演奏 レコーディングにアレンジ
果ては ジャケットのデザインまで
すべて1人でやっているそうです。
すごいですね>
ファーストアルバム
<完成が待ち遠しいですね。
ところで お宝は何ですか?>
<父 元則さんは大の骨董好きで
絵画や調度品など
さまざまなものを
集めているのですが…>
< しかし 最近
買った金額を聞いてビックリ仰天>
鑑定 よろしくお願いいたします。
< いったい どんなものなのか?
スタジオで拝見しましょう>
依頼人の登場です。
東京都からお越しの
貴志光憲さんです。
ようこそ 「鑑定団」へ。
よろしくどうぞ お願いします。
結構 自宅に
あれ作るの大変じゃないの?
いや ホントにそうなんですよ。
ねぇ。
もろもろで いくらくらい
かかってるんですか?
500くらいいってるんじゃ…。
500!
もう僕
今田さんのファンで めちゃめちゃ。
「ごっつええ感じ」とか
すごい見てたんで。
オーラ ヤバいっしょ?
ヤバいです。
それでは お宝拝見しましょう。
お宝 オープン!
おっ?
これ何?
ヴィンテージの絵はがき 649枚。
20世紀初頭の
アール・ヌーヴォー時代のものが
多いっていうふうに
父からは聞いてます。
その左下辺りのところの
絵はがきが
ミュシャという有名な方のものだと。
描いてる人は
いろんな人が混ざってるんだ。
らしいですね。
お父さん これ
どうやって手に入れたんですか?
20年ほど前に
知り合いの骨董商の方から
2, 000万で購入してくれないかと。
さすがに 2, 000万はちょっと
っていうことで
断ったらしいんです。
で その2年後に
どうしても購入してほしい
ってことで
500万でということで。
1, 500万も安くなったという。
そうか。
まあでも
好きな人は好きなんだろうな。
和もあるんですよね。
日本的なやつも。
あれもいいな。
結構いいかもよ これ。
女性のヌード系のものが…。
あ~ あるね。
今田さんが好きそうなのは…。
でもやっぱり 現代人って
すごいなって思います。
ちょっと
お母さんみたいな感じの。
<世界最初の郵便はがきが
誕生したのは
1869年 オーストリア=ハンガリー帝国に
おいてである。
コレスポンデンツ・カルテと呼ばれた
小さなカードには
あらかじめ
切手が印刷されており
定額で国内のどこにでも
配達されるという
とても便利なものだったため
瞬く間に ヨーロッパ中に広まった。
ほどなく その裏面に
簡単な図柄を印刷したものが
作られるようになった。
これが絵はがきのはじまりである。
当初は
官製はがきしかなかったが
やがて私製絵はがきも
認められるようになると
さまざまな図柄のものが作られた。
美しい女性や 観光地などの風景
人気オペラの一幕や 流行のファッション
はたまた 何気ない生活の一場面。
更に 印刷技術が向上すると
有名人のブロマイドなど
写真入りのものも登場した。
絵はがきは
絵や写真に短い文章を添え
メッセージを伝えるという
それまでにない
まったく新たな通信手段を
確立しただけでなく
その図柄のおもしろさ
美しさから
やがて収集や鑑賞の対象にも
なっていった。
なかでも人気を博したのが
1898年
フランスのシノス社から発売された
ロートレックやミュシャの
有名なポスターを印刷した
絵はがき集である。
これは 単に縮小したのではなく
画家自身が 絵はがきに合うよう
文字やデザインの一部を変えて
絵はがきオリジナルの作品に
仕上げていた。
特に ミュシャは
絵はがきに力を入れており
かつて雑誌に掲載した
シンプルな作品を
絵はがきに作り直した際は
派手に着色し
より豪華にアレンジしている。
サイズも小さく
保管も簡単な絵はがきは
手頃な美術品として広く普及。
各国で絵はがきだけを集めた
展覧会が開かれたり
絵はがき専門の雑誌が
発行されるなど
大流行となった>
<19世紀末から
20世紀初頭にかけては
まさに絵はがきの黄金時代で
この頃のものは 現在
世界中の収集家
垂涎の的となっている。
改めて 依頼品を見てみよう。
ヴィンテージの絵はがき 649枚である。
いずれも 20世紀初頭
いわゆる黄金時代のもの>
< まず目を引くのがミュシャで
その数 37枚。
彼のミューズであった
サラ・ベルナールを特集した雑誌の
表紙絵をはじめ
モエ・エ・シャンドンやジョブといった
企業広告用ポスター
絵はがきオリジナルの図柄も
あるようだ>
<ミュシャと同時期に活躍した
キルヒナーは 30枚。
いかにもアール・ヌーヴォーといった
図柄の他に
日本に材をとったシリーズ
『GEISHA』もあり
実にユニークである。
シノス社が発売した
人気のポスターシリーズは 6枚>
<モノクロの女性のヌード写真は
なんと 238枚>
このためだけに美術さんは この
オリジナルのセット作ってるんですよ。
貴志さん
それだけは忘れずに帰ってね。
特に この番組はすごいよ。
ご本人の評価額ですが
おいくらでしょう?
500万に。
500万で。
それではまいりましょう。
オープン ザ プライス!
850万!
すごい 850万!
すご~い。
うわ~ すごいわ。
すごいですね。
海外の いわゆるヴィンテージポストカードの
オリジナルに間違いありません。
質量ともに すごいコレクションです。
特筆されるのが チェコ生まれの
アルフォンス・ミュシャでしょう。
その芸術性はもちろんですが
日本でも海外でも 今なお
高い人気を誇っております。
37枚あるのは圧巻です。
ミュシャだけで
300万円ほどになります。
キルヒナーの デザイン化した
陽光下の女性を表現したものや
GEISHAシリーズもジャポニズムそのものです。
スイスの装飾芸術家
グラッセのものがあります。
パリ風俗を描いたものでは
スタンランのものや
カザスの女性ドライバー アンリ・ブゥテなど
華やかさや
女性の活動的な一面が表現され
20世紀を迎えた
躍動感が見受けられます。
明治15年に来日し
17年間も風刺絵などを描いた
ビゴーのものが2点入っております。
資料として たいへん
おもしろいものであります。
お父様が500万円で
これを買われたということは
非常にラッキーなことだったと。
これだけの西洋絵はがきコレクションが
日本にあるってことは
非常に貴重なことですので
これからも大事にしてください。
いかがですか?
いや 驚きしかないです。
驚きやね。
お父さんにも報告ですね。
はい。
どうもありがとうございます。
ありがとうございました。
< お宝鑑定希望の方
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