出典:EPGの番組情報
開運!なんでも鑑定団【廃業旅館に陶芸界巨匠作&懐かしマンガ秘宝衝撃値】[字]
■パリを熱狂させた…<ただ1人の日本人画家>作に衝撃鑑定額■アノ文豪も定宿に!廃業旅館で発見…巨匠作<焼き物2点>に驚き値■懐かしマンガ秘宝を一挙鑑定!■
詳細情報
番組内容
長年しまったままになっている、世界的に有名な日本人画家が手がけたという貴重なお宝。祖父が遺した物で、父の代には家の応接間に堂々と飾っていたが、自分が受け継いでからは妻が飾るのを嫌がるためしまったまま。そこでこの際手放して、念願のエーゲ海の島々を回る旅行の資金にしたい。果たして結果は!?
出演者
【MC】今田耕司、福澤朗
【ゲスト】イルカ
【アシスタント】片渕茜(テレビ東京アナウンサー)
【出張鑑定】第10回 まんが大会
【出張リポーター】内山信二
【出張コメンテーター】船越英一郎
【ナレーター】銀河万丈、冨永みーな
鑑定士軍団
中島誠之助(古美術鑑定家)
北原照久(「ブリキのおもちゃ博物館」館長)
安河内眞美(「ギャラリーやすこうち」店主)
山村浩一(「永善堂画廊」代表取締役)
田中大(「思文閣」代表取締役)
関連情報
【番組公式ホームページ】
www.tv-tokyo.co.jp/kantei/ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
バラエティ – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
テキストマイニング結果
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キーワード出現数ベスト20
- フジタ
- 作品
- 万円
- お宝
- イルカ
- 次郎
- 内山
- ホント
- 主人
- オープン
- ジャカジャン
- パリ
- 依頼人
- 河井次郎
- 鑑定団
- 結果
- 最近
- 出品
- 森鴎外
- 当時
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
こんばんは。 さあ 「鑑定団」
始まりました。
今週も よろしくお願いします。
どうぞ お願いします。
田中さんだけが。
田中さんが。
この間 後輩と
しゃべってたらね
今 テレ東が熱いと。
何が熱いねん? って言うたら
女性アナウンサーに
かわいい子が多いと。
森さん。
あ~ はい かわいいです。
田中さん。
かわいいです。
それで 角谷さん。
はい。
この3人がかわいいから
俺 言うといたからね。
いや 茜ちゃん! って言うて。
(笑い声)
めちゃめちゃ かわいいわって
言おう思うてんけど
しぜんに出た言葉が
めちゃくちゃ ええ子やぞって。
< いくつになっても
オーバーオールがお似合いの この方。
シンガーソングライターのイルカさん>
<父は
< しかし 音楽の道に
進むつもりはなく
<趣味のつもりで
このとき ギターケースを持って
ぞろぞろ歩く仲間を見て…>
< と
つぶやいたのがきっかけで
イルカと呼ばれるように
なったそうです。
この頃 出会ったのが…>
<イルカさんの才能にほれ込んだ
神部さんに誘われ
< その翌年…>
<実は この曲 もともと
かぐや姫のオリジナルだったため
当初は かぐや姫のファンが
嫌がるのではと悩んだのですが
作詞・作曲の伊勢正三さんが…>
< と
背中を押してくれたそうです。
すると これが大ヒット。
世代を超えて愛される
代表曲となりました>
<一方 環境問題にも
関心が高かったことから…>
<コンサートや自作の絵本を通して
メッセージを伝えるほか
最近では なんと
着物作りにも挑戦。
絶滅危惧種をデザインした着物で
イベントに出席するなど
環境問題を楽しく わかりやすく
伝える工夫をしています>
<リリースし 全国ツアーも
行っています>
依頼人の登場です。
東京都からお越しの
いやぁ よろしくお願いします。
ようこそ 「鑑定団」へ。
家にあったんですよ
あのさっきの。
もう シングルレコードが。
あら ありがとうございます。
でも 『なごり雪』は
イルカさんのイメージやったんですよ。
もともとは かぐや姫さんから。
そうですね 歌ったら
悪いんじゃないかなってね
やっぱりね。
レコーディングの日まで
吹っ切れなかった私ですから。
いやでも それがなんか
歌声にも出てたんですかね。
なんか 切ないというか。
ああ よかったのかな それが。
1950年生まれってことは
もうね そういったご年齢で。
古希です。
オーバーオールが こんな似合う70代
いないと思いますよ。
そうです これだって ほら
体形カバーには
いちばんいいですから。
イルカさんか石塚さんかですから。
そうですよね。
イルカさんは この 「鑑定団」
いたくこう 楽しんでらっしゃる
ということで。
大好きなんです ホントに。
とにかく その 物自体を
見ることで勉強になる
ということで それがまず
好きなのと
それから 奥さんに内緒の方
多いじゃないですか。
うわってなったときに
いや ご夫婦仲 大丈夫かな
とか思いながら。
イルカさんのお宝 オープン!
うわっ すてき。
どなたの作品ですか?
これはですね 京都でね
日本画家の堀井香坡先生。
どれくらい前の
画家の方なんですか?
明治生まれの方ですね。
舞妓さんの絵をたくさん
描かれてたようで きれいでしょ。
私はね 京都がとても好きで
晩年は 京都で暮らしたい
って言ってですね
大覚寺の裏に
土地を買ってたんですよ。
えっ!?
そこに これを掛けたら
いいんじゃないかって言って
夫が 私に
プレゼントしてくれたものなんですよ。
この絵を?
はい
そのつもりだったんですけど
夫はね 難病になったりして
なかなか そういうわけにも
いかなくて 土地はもうね
お返しする形に…。
あら。
だから 箱に入れて いつか掛ける
ところがと思ったんだけど
なかなか大きいのでね。
いや これはおっきい。
飾るとこなくて
私ら見てもらえへんのやろうか
みたいな。
飾ってくれへんのどすか。
気の毒で だから 本当にすてきな
割烹の旅館さんとかね
掛けてもらえたらいいなって
前々から思ってて
海外の方なんかも これね
ご覧になったら
オゥ~! ってなると思う。
きれい ビューティフル。
すごく ビューティフルです。
ご本人の評価額です。
おいくらですか?
謙虚に 謙虚に
100万ということで。
昨日の夜から
ずっとドキドキして
歌うよりドキドキして…。
オープン ザ プライス!
やった! 150万!
おめでとうございます!
ありがとうございます。
あ~ よかった。
イルカが回った。
ああ よかった よかった。
ホントによかった。
堀井香坡の作品
間違いありません。
昭和60年に 京都の京展という
展覧会に出品された
有名な作品で
題名がですね 『夕床』
鴨川の川床に
来られた舞妓さんだ
という風に思います。
いちばん右の舞妓さんが
襟が赤いっていうのはですね
いちばん若い舞妓さんで
顔の表情を見ても 幼い。
左の舞妓さんは 落ち着いた
白を基調にした
襟になってますけども
その襟になると 少し先輩
うまく描き分けている
ということが言えると思う。
落款にありますとおり
88歳で描かれてる作品。
一般的には 高齢になると
画面も小さくなっていって
これだけの大作を描き切れる
っていうことは少ないですね。
非常に貴重な作品だと思います。
見ていただけるっていうことがね
いちばんね 大切だと思うので
箱の中は かわいそうですね。
ですね。 今日 番組の最後まで
おつきあいいただける…
今日よろしくお願いします。
どうも ありがとうございました。
ありがとうございました。
<続いては 神奈川県 横浜市から。
早速 ご自宅にお伺いすると
お茶の稽古の真っ最中でした。
次なる依頼人は…>
< その後 稽古に励み…>
<現在は
自宅の一室を茶室に改装して
茶道教室を開いています>
今はコロナ禍ですので なかなか
< では
こちらのお弟子さんは?>
< そうでしたか。
勘が鈍らないよう時々
ご主人につきあって
もらっているそうです>
< ご主人いかがですか?>
両方ですね。
< お疲れさまでした。
ところで お宝はなんですか?>
< ご主人の実家
<一見さんお断りの
なじみ客を大事にする旅館で
小説家 谷崎潤一郎が
定宿にしていたことでも
知られています。
しかし
<旅館には
部屋を飾るための骨董が
およそ150点ほど
残されていたそうです。
今回のお宝は
いちばん大きな部屋に
長年 飾ってあったもので…>
結婚当初から いつもとても
すてきなものだなと思って
見ておりました。
< しかし ご主人は…>
客間に私の子どものころから
ずっと置きっぱなし。
< ところが天井裏を
整理していた際…>
鑑定のほど
よろしくお願いいたします。
<果たして その陶芸家とは?
スタジオで拝見しましょう>
依頼人の登場です。
神奈川県からお越しの
ようこそ 「鑑定団」へ。
よろしくどうぞお願いします。
お稽古も勘がやっぱり
やってないと
やっぱり鈍ってきたりとか?
そうですね はい。
しかし ご主人を相手に
ちょっと厳しすぎないですか?
いつも ああいう感じなんですか?
生徒さんには
もっと優しいんでしょ?
生徒さんには 優しいです。
ご主人もきっと
初めてじゃないんでしょうけども。
奥さんに緊張してた…。
そうかもしれませんね はい。
さぁ それでは
お宝拝見したいと思います。
お宝オープン。
ワオ。
お~っ。
河井次郎さんの扁壺と瓶子。
めっちゃ よさそうなんですけど。
開けたときに うわって思った。
オーラが すごいですけどね。
どれくらい前から
あったんですか?
60年以上前から。
えっ。
何も聞いてないんです。
何も聞いていない?
でも
河井次郎さんのお宅と実家は
歩いて15分くらいのところ
なんですね。
ありゃ ご近所さんで
何かのときに
よかったらってなったのかな。
ええですなという感じになって
ひとつどうどす。
ご主人は 今も疑ってるんですか?
ちょっと疑ってるのかな。
あの字が 本人が書かれたのか
どうかっていうの
わからないものですから。
何かでネットで調べて
比べてみたりとかっていうのは
されました?
ちょっとしました。
どうでしたか?
違うんです。
えっ。
まずいな しゃべりすぎた。
<河井次郎は
土と炎の
詩人とうたわれた
稀代の陶芸家である>
< お茶の盛んな土地柄ゆえ
子どものころから茶器や
茶わんに親しみ
中学生にして
陶工になることを決意>
<板谷波山に教えを受けた。
卒業後
<中国 古陶磁を研究。
1万種におよぶ
釉薬の試作に没頭した>
<三彩 青磁 辰砂など
中国の古陶磁にならった
作品を発表すると
彗星の如く現れた
天才と喝采を浴びた。
しかし その評価に相反して
次郎は
思い悩むようになっていく。
技巧を極め 完璧な作品を
作り出すことができても…>
< そんな折 気鋭の美術評論家
柳宗悦が開催した展覧会で
名もなき陶工たちが作った
生活雑器を目にし
大きな衝撃を受けた。
なぜなら そこには
無欲無心で作ったがゆえの
無作為の美が
宿っていたからであった。
以来 次郎は
柳宗悦 濱田庄司らとともに
民藝運動を提唱。
それまでの名声を捨て去り
簡素で力強い作風へと一変した。
それは暮らしのなかでの
実用性と
素朴な美の融合を目指す
使うための用の美であった。
こちらは その代表作>
<温かみのある白地に
鉄 辰砂 呉洲でのびやかに
描かれた草花文は
簡潔ながら
豊かな情感にあふれている。
このころの次郎は 作品に銘を
入れることをやめており
周囲からは 偽物が出回ると
忠告されたが…>
< と まったく
意に介さなかった>
<戦後になると作風は
更なる変貌を遂げた。
手や顔をモチーフにした陶彫。
土を波のように盛り上げた
泥刷毛目。
赤 緑 黒の釉薬が
乱舞する打薬など
それらは 実用の範ちゅうを
超えたものだったが
何物にもとらわれない
次郎の自由な精神のありようを
如実に表している。
生前 人間国宝や文化勲章など
あらゆる栄誉を すべて辞退。
称賛を浴びることに
興味を示さなかった 次郎は
ひたすら美を追い求めた
一陶工として生き…>
<改めて 依頼品を見てみよう。
河井次郎の焼き物 2点である。
高さは それぞれ…>
< どちらも 白地に草花文が
鉄 辰砂 呉洲で描かれている。
素朴で 力強い作風からすると
戦前 民藝時代の作か?>
あの性格から言うて
こんな 次郎ですよ みたいなん
するかな。
この 書いた方が
谷崎先生だったら すごいね。
あの ちょっと飛躍しすぎ。
草花文の入り方が
いかにもですよね これね。
いや いかにも。
この空間に これだけ。
本物以外 やらない描き方。
え~ どっち?
ご本人の評価額です
おいくらでしょう?
2つで 200万。
200万
それでは まいりましょう。
オープン ザ プライス。
やった~! 500万!
500万!
すごい額が つきました!
よっしゃ~!
おめでとうございます。
オーラが ちゃうかった。
河井次郎 47歳
昭和12年 1937年頃の作品ですね。
2点とも 健康的な
すがすがしさが
ございますね。
この 瓶子は たいへん
珍しいんでございます。
私も 初めて
拝見いたしました。
次郎の制作姿勢
っていうものがあるんですよ。
誠実であること 簡素であること
健全であること
更に 自由であること。
それが 形となって ここに
座ってるような作品ですね。
この 箱書きがいいですね。
中身の雰囲気を醸し出すように
凝った筆跡でね。
次郎の情熱が
まさに込められておりますね。
<懐かしのキャラクターが大集合…>
<本日の鑑定士は 北原と長島。
早速 いってみよう!>
第10回 マンガ鑑定大会!
<ゲストコメンテーターは
俳優の船越英一郎さん>
マンガ お好きなんですか?
どっちかっていうと
<実は 大のコレクターで
この番組にも 自慢のマンガグッズで
二度 ご登場いただいている。
まずは 内山くんに会うのを
楽しみにしていた
花光さん>
10年前? 僕 何してました?
いや 本当です いや 本当に…。
そんなわけない!
こうやって。
<実は 花光さん
< これは 障がいのある子ども
専門の施設で
学校に迎えに行って
夕方まで預かり
家に送り届けるというもの。
現在 20名ほどを預かる一方
子どもたちへのメッセージを
絵本にして出版している>
もう ほとんど ないに近いんで
これは…。
皆さんね。
ありがとうございます はい。
いやいや やっぱ そうですよね。
はい。
< お宝は こちら>
(内山)たぶん すごいですよね。
月刊誌です…。
船越さん ちょっと
詳しすぎません?
<20年ほど前
実家の本棚で発見し
初版本なら高いのではと
ネットオークションに出品した。
適当に 6万円でスタートしたところ
すぐに>
< とりあえず 出品を取りやめ
大切に保管している>
もし 買うとしたら
いくらで買います? これ 4冊。
買って また違うとこに
売りますね。
<本人評価額は
期待を込めて 20万円。
絵本の構想は
まだまだ尽きないので
もし高ければ 売って
次の出版資金にするつもり。
果たして 結果は!?>
ジャカジャン!
4, 000円!?
< う~ん 残念>
そうですか。
いちばん最初に 『タイガーマスク』
これ 出されたのは
1969年に出版されました
KCコミックスですね。
きれいな状態で
14冊で 5万円くらいしました。
これは 1970年に 愛蔵版として
出されたものでして
5巻まで
一応 出された本でして
もし 仮に5巻があれば
1万5, 000円でした。
まぁ 当時 ちょっと
売ってしまったほうが
よかったのかなとは思いますが
それでもですね コレクションアイテムとして
みんなが注目されれば
グッと値段は上がる可能性あります。
<続いては…>
歯医者さんということで。
はい。
あっ そうですか。
それ終えて
駆けつけてくれたんですね。
ありがとうございます なんか…。
これを モットーとしております!
4分!?
あと…。
たぶん
< お宝は 子どもの頃に
遊んでいた…>
<特に かわいがってくれたのが
叔母の舅。
血のつながりはないが
本当の孫のように接してくれた>
< これも そのうちの1つ。
叔母の家に
置きっ放しになっていたが
最近50年ぶりに発見。
きれいなままだったので
もし高ければ
売ってしまうつもり。
というのも…>
うち 税金 高いんで…。
そうなんです
安いから なかなかね…。
<本人評価額は
これくらいはしてほしいと5万円。
87歳になる叔母には
思い出の品なのだから
高くても売るなと
くぎを刺されたが
背に腹は かえられない。
果たして結果は?>
ジャカジャン!
8, 000円!
< あちゃ~!>
(船越)ちょっと残念でしたね。
永井豪さん原作で
「少年マガジン」に連載された。
同時期に テレビアニメでも公開されて
子どもだけじゃなくて
大人にも人気があったわけです。
これは タカトクというところが
70年代に作ったもので
ミニソフビですよね 小さいんですよ。
当時 100円から200円くらいで
売られていたものです。
数が多いんですよ。
そのなかでは
デビルマンは高いほうです。
おじいさんとの思い出
それが いちばん大事ですよね。
天国で おじいちゃんも
あぁ よかった よかったと
言ってると思います。
<続いては キックボクシングとオペラが
趣味の高田さん>
<6年前 地元のアマチュアオペラ団
ちちぶオペラから
体格のいい人が必要と頼まれ
エキストラとして出演すると
そのまま正式に団員となった。
現在は8月の公演に向け
稽古の真っ最中とのこと>
せっかくですから ちょっとね
歌声を聴かせていただいたら…。
~
(内山)おぉ~!
お見事!
< お宝は こちら。
山田えいじ
<1巻から5巻までの
表紙原画である。
そのうち3点は
裏表紙までついている>
<『ペスよおをふれ』は
1957年から2年間
雑誌 「なかよし」に連載された
少女マンガで
主人公 ユリと 捨て犬だったペスが
日本中を放浪しながら
人生の荒波を乗り越えていく
壮大な物語。
連載開始の翌年
<作者の山田えいじは
晩年 埼玉の寄居で暮らし
高田さんの父と親しくなったが
2006年に急死。
遺品整理の際
ご家族から譲り受けたとのこと>
それは 忍びないということで…。
<原画はもちろん 単行本も
これだけ古いものなら
きっと珍しいはずと
父が大切にしてきた>
<本人評価額は
謝礼と同じく15万円。
貴重なものとは思うが
サインもなく
ただの古本といえば
それまでだが…。
しかし
<1950年代
空前のブームを起こした
少女マンガ 『ペスよおをふれ』の
単行本と その表紙原画。
果たして結果は?>
(内山)ジャカジャン こい 61万円!
< これは すごい!>
おめでとうございます!
ラジオドラマ化っていうのは
今でいう アニメ化とか
やっぱり実写化みたいなもので
子どもたち 特にですね
女の子には人気のあった
作品になると思います…。
今でこそ原画っていうのは
プレミアがついて
高いイメージしてますが
昔は粗末に扱われたり
捨てられたりして
古いマンガの原画というのは
残ってないので
貴重かと思います。
表紙のみが8万円。
裏表紙まで描かれているもの
これが10万円ずつ。
単行本 これ未完なんですけど
当時8冊しか出てないので
8冊で そろっています。
15万円…。
出てきても1~2冊でして
8冊そろって出てくるのは
珍しいです。
<続いては 最近あるものを
衝動買いしてしまった中嶋さん>
これは?
(内山)エメラルド! ってことは
結構お値段もしますよね。
20万!
あれに弱いんですよね。
<本当なら 今日
身に付けて出演したかったが
別売りのチェーンまでは
手が出なかった>
そのチェーンをそれに付けて…。
じゃないと
身に付けられませんからね。
ポケットにしまっててもね…。
< お宝は こちら!>
結構 大きい!
<『勇者ライディーン』は 1975年に
放送開始されたロボットアニメ。
ロボットの名を子ども雑誌の
読者投票で決めるなど
放送前から大きな注目を集め
ほぼ同時期に マンガ化もされた>
「ライディーン」のキャラクターデザインは
「ガンダム」の
安彦良和先生が作られた
初めての巨大ロボットということに
なりますよね。
<2年前 長野にある
夫の実家を整理した際
古いおもちゃが
たくさん出てきた。
夫は全部捨てると
言ったのだが…>
< で このとき
一緒に持ち帰った
小さな貯金箱20個ほどを
フリマサイトに出品すると
あっという間に 5, 000円で売れた。
更に…>
という問い合わせが
すごく来たんで…。
<以来 他のものは
大切に保管しているが
なかでも このライディーンは
状態がよく
ミサイルも ちゃんと飛ぶ>
ホントだ すごい!
<本人評価額は
ペンダントのチェーン代 3万円。
エメラルドは家族に
ないしょで買ったので
お宝が安ければ ただ散財を
白状しに来ただけになってしまう。
果たして結果は?>
(内山)ジャカジャン! 7万円!
< やった~!>
(船越)おめでとうございます。
ありがとうございます。
ホント? ホント?
『勇者ライディーン』ですね。
架空の古代遺跡から生まれた
ロボットという設定なんですよ。
顔が ツタンカーメンに似ているという。
子どもたち
一緒になって遊びますよね。
盾がなくなったりだとか
黄色い さっきのあれ
秘鳥ミサイルって あれがね
ほとんどなくなっちゃうんですよ。
それから あともう1つ。
体に こういうラインが
あるじゃないですか。
あれ シールが
貼ってあるんですけど
ああいうのもね みんな
取れちゃってるものが多いんです。
箱も ちょっと
上のほうが傷んでるだけで
修復可能です。
超合金が
1, 300円くらいだったとしたら
これ 3, 000円くらい
してたんですよ。
それでもね
年間70万個売れたって。
海外でも すごく人気なんですよ。
この値段から下がるということは
あまりないんで。
<最後は
サイクリングが趣味の
最近 結構ね
自転車乗る方 増えてて。
私は もう
<風を切る爽快さに
すっかりハマってしまい
自転車で日本中を旅して回った>
へえ じゃあ 今日
< お宝は…>
この絵
内山くん。
(内山)はい… あっ! はい!
わかるでしょ?
あの絵ですか!
あのイラストを描かれた
おおば比呂司さん。
<学生時代 歌舞伎座で
大道具のアルバイトをした際
ゴミ捨て場で見つけたもの。
他にも何枚かあったのだが…>
なんといっても…。
あ~ ちょっと なんですかね
そこ食いつきますか。
そっちが
< かろうじて
きれいだったものを
先輩の許可を得て
友人と1枚ずつもらった。
サインの下には 1965年とあるが
詳しいことは
まったくわからない>
<本人評価額は
期待を込めて10万円。
別の1枚をもらった友人に
番組出演の話をしたところ
もうどこにあるかわからないと
言っていた。
果たして 結果は!?>
ジャカジャン!
< よかった~>
おめでとうございます。
おおば比呂司さんはですね
松竹新喜劇のパンフレットや
ポスターなども手がけてたので
深い関わりがあったと思います。
ですので 歌舞伎座でやられた
新喜劇の大道具かポスターか
何かに使われたものだとは
思いますが
ちょっと はっきりと
詳しくはわかりません。
ストーリーマンガではなくて
風刺画のような
1コマのマンガを得意とする方です。
で マンガだけじゃなく パッケージデザインも
数多く手がけてました。
今年で
生誕100周年になるんですが
今なお 多くのところで
見ることができます。
おおば比呂司さんの
名前が知らなくても
そういうパッケージで
見たことがあるっていう方は
多いかと思います。
これだけ大きな絵っていうのは
珍しいです。
(笑い声)
<続いては…>
<早速 ご自宅にお伺いすると
ガイドブックとにらめっこ。
次なる依頼人は…>
< あっ ギリシャですね!>
<美しい景色と
絶品の海の幸に魅了され
帰国後も
たびたび訪れているそうです>
赴任当時
そしたら
みんなが言ってくれました。
これには ビックリしましたね。
< もちろん
戸惑うこともあったそうで>
というふうに言われました。
<早く行けるようになると
いいですね。
ところで…>
私の
<日本における
東洋史研究の第一人者でした。
文豪 森鴎外とも交流があり
文学グループ 新声社をともに結成。
更に 1933年 上皇陛下が
お生まれになった際には
読書の儀に参加しました。
これは…>
<今回のお宝は その次郎さんが
大事にしていた
有名画家の絵で
実は最近
この番組を見ていると…>
っていうので
ビックリしてしまいました。
いったい どれほどの価値が
あるものなのか
気になっています。
どうぞ鑑定のほど
よろしくお願いいたします。
<スタジオで拝見しましょう!>
依頼人の登場です。
神奈川県からお越しの
ようこそ 「鑑定団」へ。
よろしく どうぞ
お願いいたします。
行ってみたくなりました
今の話聞いただけで。
俺んとこ座れよ
俺んのとこ来いよみたいな。
いいですよね。
陽気ですし それから
ちょっと おせっかい。
そこも ちょっと大阪の…。
これ持っていき
みたいな感じでしょ。
もうおなかいっぱい
ええから持っていき。
家で食べたらええがなみたいな。
で 今回のお宝ですけど
おじいさんが持ってたやつでしょ。
絶対すごいもん。
で 10億のあの画家の絵。
あの特番の
最後に出てきたやつですか。
小樽の最後のやつや。
いや めっちゃ楽しみ! だから。
すっごい楽しみ!
さあ それでは お宝 オープン!
さあ 今田さん
作者は どなたでしょう。
知らん。
レオナール・フジタの裸婦図を。
そうだわぁ。
祖父がですね
どのような形で手に入れたか
わからないんですよ 私自身も。
ただ フジタのお父さんが
陸軍の軍医さんだったんですね。
軍医さんの上司が 森鴎外だった。
それで その森鴎外と私の祖父が
一緒に活動してたと。
フジタと森鴎外と祖父 そのなかで
手に入ったんじゃないか
みたいな想像はしております。
という想像。
私が 小学生の頃 我が家の
応接間に飾ってありました。
どう思われました? この絵。
家に女性の裸の絵が
あるってのは…。
わかる。
なんか恥ずかしいっていうと…。
はいはい。 見たいような
見たくないような…。
それは ありました。
今 見たら どうですか?
大人になってから。
表情が なんか すてきだなって
いう感じをしてます。
横に寝てて それを
パッとデッサンしたりとか。
寝息が ホントに当たるような。
そう 聞こえてきそうな。
スースー スースー。
イルカさん どう思いますか?
私は すごく もう
大好きな人なんですよ。
だから パッと今 見たときに
すぐ フジタさんだ! っていう。
シンプルな線で でも 迷いのない線。
すばらしいと思います。
ホントだな。
高額ついたら どうしますか?
ギリシャへ行って…。
やっぱ ギリシャですね。
ああ そうか。
で あの… エーゲ海クルーズを。
うわ~っ!
したいな~と。 ハハハ。
ぜひぜひ 実現させて
いただきたいですね。
< おかっぱ頭に ロイドメガネ。
奇抜な格好で人々の注目を集め
ついたあだ名は…>
< この髪形は 貧しき日々に
自分で散髪したものだが
古代彫刻に似ていたため
大いに気に入り
苦学時代を忘れぬようにと
生涯 続けた。
レオナール・フジタは 1920年代
芸術の都 パリで認められた
唯一の日本人画家である>
<幼い頃から
絵を描くのが好きで
18歳で フランス留学を希望するも
陸軍軍医だった
父の上官 森鴎外から
まずは日本で
学ぶべしと諭され…>
< しかし 主任教授の
黒田清輝と折り合いが悪く
成績は 中の下。
外光派の黒田が嫌った黒を
あえて多用したため
たびたび やり玉に挙げられた。
文展に三たび出品するも
すべて落選し
日本で
まったく評価されないまま
パリに渡ったのは 27歳のとき。
当時 パリのモンパルナスには
若き芸術家の卵が
世界中から集い
まったく新たな
表現を模索していた。
フジタも彼らと交流を重ね
大いに触発されたが
単なる模倣で
終わるつもりは毛頭なく
試行錯誤の末に編みだしたのが
墨と油彩をなじませて描いた
独自の裸婦像であった。
つるりとした官能的な白い肌は
素晴らしき乳白色と
絶賛されたが
それ以上に
パリの人々を驚かせたのは
その細く美しい線。
それまでの西洋画では
肉体の量感を表現することに
重きが置かれたが フジタは
日本画用の
穂先の長い面相筆を用い
平面的かつ装飾的に描いて見せた。
当時 ヨーロッパで大流行していた
浮世絵を ほうふつとさせ
フジタは一躍
画壇のちょうじとなった。
しかし 1929年
世界恐慌が起こると
絵の注文が激減。
フジタは パリを離れ
<ブラジル アルゼンチン メキシコなど
各地で土着の風俗に心を奪われ
そのエネルギーを
貪欲に吸収するなかで画風は一変。
洗練された白い画面は影を潜め
キャンバスには 鮮やかな色彩が
乱舞するようになった。
1933年 日本に凱旋すると
秋田の実業家
平野政吉の求めに応じ
全長20mにおよぶ壁画
『秋田の行事』を
わずか174時間で描き上げた。
第二次世界大戦後は
再び フランスに活躍の場を移すと
積極的に取り組んだのが
キリスト教絵画であった。
それは 西洋美術の
根源といえるテーマで
独特の美しい線と
鮮やかな色彩は
まさに フジタの集大成といえよう>
<改めて 依頼品を見てみよう。
レオナール・フジタのデッサンで 瞳を閉じ
ベッドに横たわる裸婦を描いている。
サインには 1933年と記されており
その年 フジタは…>
< この間
フジタに同行していたのが
4番目の妻 マドレーヌで
詳しく調べたところ
彼女をモデルにしたデッサンや
水彩画を数多く
残していることが判明した。
ウエーブのかかった長い髪からすると
これも マドレーヌか?>
さあ いかがですか?
感激してます。
感激してる?
もし マドレーヌさんだったらとかね。
そうですよ。
日本で描いたのかも
わかんないですし。
(イルカ)そうだったら すてきですね。
< このあと
ご本人の評価額です。
おいくらでしょう?
敬意を表して 300万円。
300万で。 まいりましょう。
オープン ザ プライス!
いや~ いくらくらいだろうか?
あ~っ 1, 000円! まさか…。
残念ながら がん作です。
がん作?
はい。
このネームとか見ちゃうと もう絶対
っていうとこから入っちゃうから。
そう見えてくる。
一見 フジタ風では
あるんですけれども 本物の
フジタの描写に比べると
線が遅く 固く見えてしまう。
こういう筆が遅い作品というのは
何かをまねて
描いている傾向が強いんですね。
調べてみましたら
元となったであろう作品
っていうのを見つけたんで
ご覧ください。
あ~っ…。
本物の作品の
女性の表情っていうのは
優しげで優雅に描かれています。
それと比べて見てしまうと
こわばったような
男性的な表情にも見えてしまう。
対象が浮き出たような 陰影を
つけた ぼかしっていうのも
フジタの特徴なんですが
この依頼品は
腕とか肩回りとか できていない。
本物でしたら 1, 000万円以上は。
ウハッ!!
します。
エーゲ海クルーズは諦めて…。
諦めて…。
で 東京湾の納涼船にでも。
納涼船。
残念でしたけどもね
でも 思い出の品ですからね。
どうも ありがとうございました。
どうも ありがとうございました。
< お宝鑑定希望の方
お宝を売りたい方は
お宝の写真とエピソードを添えて
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どしどしご応募ください。
お待ちしています。
詳しくは番組ホームページを
ご覧ください>
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