出典:EPGの番組情報
こころの時代~宗教・人生~ 無宗教からの扉(5)「不条理を生き抜くために」[字]
遠藤周作や三木清など多くの作家や哲学者に愛読された「歎異抄」。日本人の多くが自らを“無宗教”だとする現代、そのメッセージを、シリーズ6回にわたり読み解く。
詳細情報
番組内容
「歎異抄」が生まれた背景には、戦乱、疫病、飢饉など、人間や社会に襲いかかる不条理に満ちた時代があった。その不条理にどのように向き合っていけばよいのか。「歎異抄」の結文で説かれる「火宅無常」の世界観や、念仏を称えることで生まれるという「無礙の一道」の意味を読み解いてゆく。さらに、本願念仏を支えに生きた僧・良寛や作家・丹羽文雄の生き方などを例に、不条理な世の中を生き抜くための手がかりを探ってゆく。
出演者
【講師】明治学院大学名誉教授宗教学者…阿満利麿,【語り】髙橋美鈴,【朗読】糸井羊司,井上二郎ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
趣味/教育 – 生涯教育・資格
福祉 – 社会福祉
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キーワード出現数ベスト20
- 不条理
- 自分
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- 浄土
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- 良寛
- 宗教
- 信心
- 阿弥陀
- 意味
- 一道
- 無礙
- 持続
- 仏教
- 現実
解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)
♬~
「歎異抄」は 700年以上前の
鎌倉時代に書かれた仏教の古典です。
そこに貫かれているのは
阿弥陀仏の もともとの願い
「本願」に基づく念仏を称えるだけで
すべての人が救われるという
「本願念仏」の思想。
法然によって称えられた その教えは
親鸞らによって受け継がれました。
「歎異抄」は その親鸞の言葉を
門弟となった唯円という人物が
正しく伝えようと書き留めた書です。
「歎異抄」が生まれた背景には
戦乱 疫病 飢饉などが
人間や社会に襲いかかる
不条理に満ちた時代がありました。
現代を生きる 私たちもまた
さまざまな不条理の中にいます。
♬~
シリーズ「歎異抄にであう
~無宗教からの扉~」。
第5回は 「歎異抄」の言葉を手がかりに
不条理な世の中を
生き抜いていくための道を探ります。
♬~
今日は「不条理」ということをテーマに
「歎異抄」を読み解こうと
思いますけれども
「不条理」というのは 要するに
「身に余る難題」ということですね。
自分で考えても考えても
答えが見いだせないような状況。
どの方も 不条理の世界で
もう どっぷり浸かって
満足だという人はいないと思いますね。
何とかして その不条理というものから
逃れようとして
あるいは 何とか それを克服したいと
いろいろ努力をされると思う。
で 不条理に立ち向かう根拠として
「歎異抄」は
どういうふうに教えているかと。
「歎異抄」の結文ですね
終わりの文章を見ていただきますと
その終わりの文章の
真ん中以降にですね
その「聖人のおほせには 善悪のふたつ
総じてもて存知せざるなり」と。
不条理な現実と向き合う時
「歎異抄」は まず 人間の存在そのものの
不確かさを見つめるよう説きます。
「歎異抄」の「結文」に書かれている
親鸞の言葉です。
「親鸞聖人は 『善悪のふたつについては
私は まったく
わきまえるところがありません。
なぜならば 阿弥陀仏が
よいと思われるほどに
よいことを
徹底的に知っているのであればこそ
善を知ったということになるでしょう。
また 阿弥陀仏が
悪いと お知りになるほどに
悪を知り尽くしているのであればこそ
悪を知ったということに
なるでありましょうが
煩悩具足の凡夫と
火宅無常の世界においては
善悪のふたつを含めて
一切が 空言であり
戯言で 真実がないにつけても
ただ念仏だけが真実でおわすのですと
仰せになったのです」。
「煩悩具足の凡夫」
煩悩を いっぱい備えている凡夫。
「火宅無常の世界」
火が燃え盛って 常でない。
「火宅無常の世界は よろづのこと
みなもて空言
戯言 まことあることなきに
ただ念仏のみぞ
まことにて おわしますとこそ
おほせはさふらひしか」という
この煩悩だらけの我々
煩悩だらけということは
自己中心から
免れられないということですね。
その自己中心で しかも
自分たちの暮らしている世界が
このお互いが この自己を
主張し合っているわけですから
そこに 争いが絶えず絶えないわけだし。
しかも 「火宅」っていうのは まあ これは
法華経から出てきている言葉で
その人間が生きている世界というのは
まあ いわば 火事を…
火事に燃え盛っている家の中にいるような
存在だと。 人間はですね。
人間 人は 自分が そういう火事が
燃え盛っている家の中にいるとは
誰も思ってないわけです。
しかし その仏の目から見ると
火宅に見えるということは
つまり 人間が自分の欲望をすべて
お互いに さらけ出し合いながら
衝突し合っているっていう状態が
火宅に見えてくるということ
なんでしょう。
そして 無常ということは
仏教では あらゆるものは無常であって
常なるものは何もないと。
そういう中で
何を手がかりにしたらいいか
なかなか はっきりしないという
そういう世界の中で
しかし それぞれが
自己中心で暮らしている。
そういう人間のあり方を考えると
「よろづのこと みなもて空言
戯言 まことあることがない」と。
こういうことを感じずに
おれなくなってくると。
まことがないということになると
私どもは
生きていけなくなるわけですね。
人は やっぱり どこかで
まことというものがあって
そのまことを 自分は踏まえて
生きているんだということで
安心していけると生きていけるという点が
あると思うんですけれども
このあらゆることが すべて 空言で
戯言で まことがないとなると
それは
ニヒリズムになってしまってですね
ニヒリズムというのは
格好は いいけれども
実際 ニヒリズムの中で
生きるというのは 大変なことですよ。
ですから そういう中で
その何か真実はないかということで
人は 皆 いろいろと
苦労するわけですけれど
この仏教は 念仏だけが まことだと
こういうふうに教えるわけですね。
で 私どもが それぞれ抱えている
不条理というのは
自分だけの目で見ると
大変なことですけれども
そういう不条理に苦しんだ人たちは
もう実に無数にいらっしゃると。
そういう その不条理に苦しんだ人を
手がかりに
自分たちの不条理の問題を
解決していくという
そういうことは
大事な道じゃないかと思うんですね。
一つは 私は あの良寛親子のことを
思うんですね。
良寛は 江戸時代の後期に 越後国
現在の新潟県に生きた僧侶です。
禅僧でありながら 生涯 寺を持たず
子供たちと 日が暮れるまで
まりつきをして遊んだという逸話から
人々から信頼され
愛された人柄が伝わってきます。
しかし 良寛が
その境地に達するまでの人生には
悲しい不条理な体験がありました。
良寛の父親は 山本以南という
越後国 出雲崎の名主でしたが
60歳の時 自ら命を絶ちます。
賄賂政治が横行し
名主の職を奪われそうになったことを
憂えた末の死でした。
俳人としても知られた
以南の一句。
自らの境涯を
はかない蛍に投影しています。
父の非業の死は 良寛にとって
不条理な出来事そのものでした。
出家し 継ぐはずだった名主の家を捨て
放浪していた良寛は
仏教の道を 更に深めてゆきます。
晩年になって残した書や歌からは
「本願念仏」を 大きな心の支えとした
良寛の思いが伝わってきます。
良寛さん親子は 越後の出雲崎の豪商
かつ当時の社会ではその名主をやっていた
そういう おうちの出身者ですね。
名主っていうのは 要するに
当時の幕府権力の末端を担っていて
さまざまな矛盾を解決する現場に
立ち会わなくてはいけないという
そういう職業でもあったわけですね。
ですから 不条理を
目の当たりにするという経験が
しょっちゅうあったんだと思いますね。
(鎌倉)時代としては ちょうど江戸時代の
田沼意次の汚職とか賄賂が横行する時代。
山本以南という
良寛の父親というのは その
田沼意次みたいな権力と
結びついている人たちによって
自分たちが 自分のうちとかですね
名主である その地位さえも
奪われるかもしれないというような中で
非常に こう
筋を通そうとして頑張った人が
その以南という方だったというふうに
僕は聞いております。
この良寛親子を
私が 引き出した理由はですね
組織の末端で その組織を守るために
使われる立場にいる人間が持つ
不条理のことなんですよ。
それはね むごいですよ。
このサラリーマンを経験した人は
皆 お持ちだと思うけれども
末端のサラリーマンは 経営の矛盾を
全部一身に浴びせられますよ。
そういう中で 自分を貫いて生きるって
いうのは 大変なことです それは。
良寛さんは 18歳の時にですね
名主の見習い役を仰せつかるんですね。
ところが 恐らく 3か月ももたないうちに
出家して頭を丸めてしまうんですよ。
そして 良寛と名乗る。
彼が 頭を丸めた年はですね
越後は 天災が続いて
疫病がはやってですね 凶作だらけで
あちこちで
まあ いろんな犯罪が起こると。
その犯罪の時には 死刑に立ち会う
というようなことも
したらしいという話も
あるぐらいなんですね。
要するに 不条理そのものを
この身に染みて感じる
というようなことがあったんでしょう。
そして22歳の時に家を捨てて それから
放浪の暮らしを ずっと続けてですね
ただ良寛はですね わりと若い時に
この「本願念仏」というものと出会って
その「本願念仏」を その自分の
究極的な よりどころにしていた人ですね。
ですから 良寛さんが
自殺に終わらなかったのは
「本願念仏」というものがあったからだ
というふうにも考えられますね。
良寛さんには あの辞世 いろんな句が
辞世の句として伝えられていますけど
その一つは…
こういう歌が残っております。
良寛さんは 一種こう 世を捨てるような
風流な生き方だったというふうに解釈
世の中で
一般的にされていますけれども
やはり その良寛が 非常にこう
自分の愛した句として…
人間には 表も裏もあって 両方見せながら
亡くなっていくのが もみじなんだ
人生なんだっていうようなことを
言っている言葉だと思うんですけれども
それについては あの
先生は いかがお考えでございますか?
恐らくね 彼は 「本願念仏」の本質を
やっぱり つかんでいたと思いますね。
「本願念仏」の本質をつかむと
ありのまま 生き死にができるというか。
だから
「裏を見せ 表を見せ」ということは
その「本願念仏」の支えということが
とても大事。
やはり その 彼が
「本願念仏」という浄土仏教に
強い関心を持っていたというか
その浄土仏教を生きてたわけですよね。
そういう身に余る難題に対して
どのように それを納得していけば
よいのかということで
やっぱり「大きな物語」の役割っていうのは
欠かせないと思うんですね。
この「歎異抄」では
そんな 大きな物語というのは
「無量寿経」という
経典なわけですけれども
「無量寿経」という経典自体がですね
この不条理の真っただ中で
不条理を この克服するための
教えとして説かれていると
そういう一面があるんですね。
「歎異抄」を支える 大きな物語。
阿弥陀仏の本願が生まれた経緯を説く
物語は
「無量寿経」という経典の中にあります。
阿弥陀仏は
もともと 法蔵という名の人間でした。
法蔵は 不条理な現実のただなかで生きる
人間の苦しみを見て
すべての人を あまねく救うという
願を立てます。
それは 戦争や飢饉など
社会の混乱や危機に加えて
人間そのものの存在が衰弱してゆく
「五濁悪世」と呼ばれる世の中で
立てられた願いでした。
自らの願いが実現するまでは
「仏にならない」と誓った法蔵は
長い歳月 修行を重ねて
ついに「阿弥陀仏」になります。
そして得た完全な智慧を駆使して
一切の人々を
不条理から解放する慈悲を実践します。
「南無阿弥陀仏」という念仏は
「阿弥陀仏に帰依します」という意味。
念仏を称えることによって
すべての人が救われる道を示したのが
「本願念仏」です。
「無量寿経」には 「五濁」と呼ばれる
「不条理」そのものは説かれています。
五つの濁りですね。
一つは 時代のひどさ
戦争とか飢饉とか 疫病がはやる。
二つ目は 思想が貧弱化すると。
思考力が劣化をすると。
三つ目は 人の考え方が ますます
自己中心的になっていくと。
もう智慧に欠けること おびただしい。
四つ目はですね
身体と精神の病が深くなると。
特に精神の病が深くなる。
五つ目は 人間の寿命は短くなると。
これは 紀元前後のですね
インド社会の姿が
実は そこに反映していると
言われています。
ですから そういう その「五濁」と呼ばれる
そういう不条理の世界そのものを
この「無量寿経」というのは 説いていて
その教えの要はですね
「無量寿経」の教えの要は
一切衆生が
究極の智慧を手にできる方法
つまり 「行」というものを
工夫して与えたという点です。
それは どういうことかと言いますと
それは 「南無阿弥陀仏」という
名を称えるという方ですね 方法。
阿弥陀は
その「南無阿弥陀仏」になっていて
その「南無阿弥陀仏」を
口にするということは
阿弥陀仏の心が 私どもの心の底に
伝わってくることなんだと。
「本願念仏」で 「信心」が大事だと
阿弥陀仏の本願を信ずるということが
大事で
そして 称名をする
念仏をするということが大事だと
こう言っていることの理由をですね
「信心」という言葉を手がかりに考えると
わりと 分かりやすいと思うんですね。
この普通 世間では「信心」というのは
私が起こす「信心」ですね。
私が 神仏に対して起こす信仰心
それを 普通は
「信心」と言っているわけです。
しかし 私は 「信心」という言葉よりも
「納得する」という
ごく普通の言葉に置き換えた方が
いいと思っているんですね。
つまり 阿弥陀仏の物語を聞いて
納得するということが
この大前提であって 納得するかしないか。
そういう意味の
まあ 「信心」ということがあると。
もう一つ
「本願念仏」で とても大事なことは
「南無阿弥陀仏」を 口に称えると
阿弥陀仏の心は
我々の心の奥底に伝わってくると。
そして 私たちの心の奥底に
「まことの心」を蓄えていくという
そういう考え方ですね。
その まことの心のことを しかも
阿弥陀仏の「まことの心」であるから
親鸞は 「大信心」という言葉を
使うんですね。 「大信心」。
私が 「南無阿弥陀仏」と称える。
その称えた結果 私の中に
阿弥陀仏の心は生きていく。
それは 自覚できないですよ。
阿弥陀仏の心は 私の中で働くって
言ったって 私は 全然分かりません。
な~んにも 分かんない。
ただ 阿弥陀仏の名前を称えることで
私の中に 阿弥陀仏の「まことの心」が
伝わってくる。
そのことを「大信心」と言うんだと。
念仏をすると 私たちの心の中に
まことの心 阿弥陀仏のまことの心が
伝わってくると。
それが 我々を その仏たらしめる
そういう方向に引っ張っていくんだと。
根本的なお話で申し訳ないんですが
阿弥陀仏が 名前になっているという
お話なんですが
「阿弥陀」というのはですね
実は どういう意味があるんでしょうか。
「阿弥陀」というのは 「無量の光」と
「無量の寿命」という意味のようですね。
ですから 無量光 光が無量である
これは何を意味するのか。
これは あの 法然上人が
とてもいい解釈をしておられますけど
普通の光は
物が当たると影ができるでしょ。
それから
光を通さないものがありますね。
ところが 阿弥陀仏の光は影を作らない。
その光を妨げるものは 一切ないと。
つまり 普遍性ですね。
絶対的な普遍性。
つまり 阿弥陀の名の持っている普遍性。
もっと言えば
阿弥陀の本願力の普遍性ですね。
そういうことのシンボルであると。
これは 法然上人は とても強調された。
だから 我々は 念仏だけでいいんだと
こういうふうに言っておられる。
無量寿の方はですね
この寿命が 無量だというわけです。
これは あの有限の寿命しか持っていない
私なんかには よく分からんことですね。
しかし それだけ無量の寿命を
必要とするほど人間の業は深くてですね
もうほんと お手上げなぐらい深いと。
ちょっと我々が努力すれば
克服できるような
そういう人間の業というのは
そんなものじゃない。
そこは やっぱり生命というものは
お互いに 相食みながら
維持してきたわけでしょう 自分の生命を。
相食むことでしか成り立たない
生命の持っている
ある意味では
限界を表しているのかもしれませんね。
「歎異抄」には 念仏を称えることで
人生の不条理に向き合う時に
どのような心の変化が生まれるかを説いた
一節があります。
第七条に現れる
「無礙の一道」という言葉。
身に降りかかる何事にも うろたえ
動じることがない道を示しています。
「阿弥陀仏の名を称する行為 念仏は
何事にも妨げられない
唯一絶対の道 無礙の一道を歩む証です。
そのわけは どういうことかと申せば
信心の行者に対しては
天の神 地の神も 敬って ひれ伏し
魔の世界にあるものも
仏教を否定する異教徒の人々も
妨げをなすことができないからなのです。
罪悪も
その報いを行者の上に表しても
行者の心を
揺り動かすことはできませんし
いかなる善も
念仏に及ぶことがないので
念仏を 無礙の一道と言うのです」。
「念仏は 無碍の一道なり
そのいはれいかんとならば」
その理由は どうかと言えば
「信心の行者には」 信心をしている人
「本願念仏」を信じて
念仏をしている人
「信心の行者には 天神 地祇も敬伏し」
天の神 地の神も敬い
「魔界外道も障礙することなし」。
魔界とか 非仏教的なさまざまな
迷信の世界も妨げになることはないと。
本願を信じて
名号を称える暮らしが始まると
我々の心の中には その「無礙の一道」と
「歎異抄」が言っているような
そういう世界が広がってくると。
ただし 「無礙の一道」といっても
なかなか よく分からんですよ。
というのは「無礙の一道」という言葉は
これは阿弥陀から見た言葉なんでしょう。
阿弥陀仏 阿弥陀目線で見ると
この 何の障りもない。
ですから 人間から言うと
自分は もう差し障りだらけの
暮らしの中にいるんだけど
阿弥陀の名号を 口にするとですね
いささか 自分と自分の暮らしを
まあ いわば客観視するというか
今までよりは 客観視できて
そこに ある種のゆとりが
まあ 生じてくるというふうなことが
まあ 起こるんだと。
そうなるとですね 災いとか不幸とかが
生じてもですね じたばたしなくなる。
ましてやですね その神社 仏閣に詣でて
凶を吉に変えて下さいとか
福を禍に変えて下さいというふうな
祈願をすると
そういうことをしなくても済む
ゆとりというのが
生まれてくるのではないかと。
先生 これ あの
「無礙の一道」と聞くとですね
非常に あの 何ごとにも妨げられないうち
という言葉を聞くとですね
非常に そういうものが手に入るのか
というような気持ちにもなりましたが
先生 先ほど おっしゃったように
それは あくまで
その阿弥陀目線から見た時の
その「無礙の一道」である
そういう理解でしょうか?
ですから 有礙だらけの つまり
差し障りだらけの我々からすれば
私の中では 名号が働くと
そういう有礙だらけだという私が
前よりは
少し よく見えるようになってくると。
差し障り自体は消えない。
それは 絶対消えないです。
だから もう一つ
その我々が宗教について
思い込んでいる間違いの一つは
宗教を信ずると
あるいは 宗教を実践すると
あらゆる差し障りが
姿を消すんじゃないかと。
あるいは そういう苦しみの原因が
全部なくなるのではないかというふうな
まあ 私から言わせれば
錯覚を持ちがちだと思いますね。
しかし 仏教 この「歎異抄」が教えている
「無礙の一道」というのは
そういう差し障りが
消えるということではないんですね。
それを あの
第七条の後半の言葉で言うとですね…
…という言葉ですね。
それぞれが それぞれの縁に従って
身につけてきた罪悪は
必ず 私のこの体の中
私の人生で姿を見せる。
しかし それに感ずる つまり左右される
激しく引きずられると
そういうことはないんだと。
苦しくて嫌だけど もうこれは
そういうものだとして
受け止めることはできると。
それが
ある種の余裕というものでしょうね。
それでね 私は いつも
その話を聞くと 思い起こすのは
「二河白道のたとえ」という話なんですね。
これは あの 中国で善導の話などが
中心に生まれた図柄ですけれども
その どういう図柄かというと
ある人が旅をしていると。
旅をして
西に向かって旅をしているんだけど
そうすると 後ろの方から
盗賊とか猛獣が襲ってくるんですね。
で それから懸命に逃げて
逃げようとしていると
突然 目の前に川が現れてくる。
よく見ると 川幅は100歩ぐらいで
そんなに広い川じゃないんだけど
その右側は もうこの水が
この怒とうのように渦巻いていると。
それで 左側の川はですね
火が渦巻いているというんですね。
その水と川の間に
細い白い道が 一本 通じていて
その白い道を渡ると
向こう岸に着いてですね
後ろから追われている
その災難から逃れることができると。
中国で 浄土仏教を確立した僧侶の一人
善導が説いた「二河白道のたとえ」。
降りかかる災いや 不条理を前に
阿弥陀仏が 私たち人間に対して
どのように救いの手を
差し伸べようとするか 説いた話です。
「川の前にいる旅人に
背後から声が聞こえます。
『この白い道を行きなさい
とどまれば 死ぬだけだ』。
向こう岸からも 声が聞こえます。
『水の河か 火の河に落ちることを
恐れる必要はない。
私が守ってあげるから
早く渡ってきなさい』。
前方の声と後方の声に励まされて
旅人は 河を渡り始めます。
すると今度は
盗賊たちが声をかけてきます。
『危険なところを歩かず
すぐに戻ってこい。
俺たちは
お前に危害を加えるつもりはない』。
しかし 旅人は
盗賊たちの声には 耳を傾けず
不思議な声を信じて
道を渡りきりました。
これが 『二河白道のたとえ』です」。
この旅人が 西に向かって歩むというのは
まあ求道 仏教的な求道ですね。
もうちょっと言うと
浄土に生まれることを願うという
そういう願いに生きる人を
表しているんですね。
で 後ろから この盗賊とか
その野獣が追っかけてくるというのは
自分の 自分の体でありながら
自分の中の さまざまな要素が
私の意思に反して
つまり 熱なんか出してほしくないのに
熱を出すとか
何か あの そんなに
あの飢えなくてもいいのに
猛烈 飢えを主張してくるとか
自分の体の 体のことのシンボルとして
その強盗とか
野獣というのを考えているんですね。
そして 川で こちらと向こうに
区切られているということは
こちらの世界は 今の我々の世界であり
その川の向こう側の世界は これは
浄土の世界だということを意味している。
怒とうのように
渦巻いてる水は何かというと
これは その貪りの心を
象徴しているというんですね。
それに対して あの左側の火は
人間の瞋りというものであると。
つまり 我々の暮らしというのは
貪りと瞋りの せめぎ合いのような中で
かろうじて
人が渡れるだけの白い道があると。
この白い道は 浄土を願う人間の心だと
求道心というものだと
こういう説明をされますけれども。
私は この説明で面白いのは
その川を渡ろう 渡ろうとした時に
旅人はですね その火の方 水の方
いずれにしても
何度 落ちても 何度 落ちても
その向こう岸の
これは 阿弥陀仏ですけど
阿弥陀は 必ず おまえを 自分の浄土に
連れてこいと約束しているんですね。
普通の宗教はですね
この道から落ちるなと。
つまり 火に落ちるな
水に落ちるなと
この白い道を ただひたすら
やってこいというふうに
まあ 教えがちなんですよね。
ところが 浄土仏教はですね
火に落ちても 水に落ちても
何度 落ちようが 私が ちゃんと
また引き上げて連れてくるから
安心して渡ってこいと
こう言っているという。
それは 私たち人間からすれば
どういうことかというと
自分は 特別の何か
あの宗教的な修行をしたりですね
道徳的な この禅を
積み行なうとかという
そういう努力をしなくてもいい
ということですよ。
私が 瞋りに任せて
あるいは 貪りに任せて
でも その念仏という行為だけをすれば
必ず浄土に生まれることはできると。
こういう その
自分のありのままの姿のままで
自分が救われていく道が
あるということを 今 示唆してることが
この二河白道の
面白いところだと思うんですね。
そうしますと
不条理の中で生きている中で
ほんとに その瞋りの方に
行ってしまったりとか
あるいは より貪りのことにいって
それが また
次の不幸を生んでということに
人間なりがちだと思いますけれども
そのことは そのまま進んでいっても
よいのだという。
そうです。 そうだと思います。
そうしないでおこうと思っても
そうなるんですよね 我々は。
瞋りや その恨みや その何ていうか
そういう道に入らない
入る 入ろう 入っちゃいけないんだと
いくら言い聞かせても
そうなっちゃうわけですよね。
ですから そのままでいいと言うんです
それは それで そのままでいいと。
ただ 称名というふうな道を
忘れなければよろしいと。
で 実は流されていってもいいんです。
流されていってもね また全部
拾い上げてくれるんだと思いますね。
だから 法然が
ただ念仏せよとしか言わなかったと。
一切 条件をつけずに ただ念仏せよと。
つまり
火に落ちようが 水に落ちようがね
念仏さえすれば よろしいというのは
そういうことだと思うんですね。
阿満さんは
抗いようのない現実を体験し
「歎異抄」によって救われた
ある人物に注目しています。
阿満さんとも交流があった
作家 丹羽文雄。
人間の内面を
男女の愛憎や家族の葛藤を通して
赤裸々に描き続けました。
その根底にあったのは
生まれ育った家庭に起きた不条理でした。
まだ幼かった頃
母親が 自分を置き去りにして家出。
丹羽は その後も すさんだ生活を送った
母に対する 複雑な感情を抱き続けました。
しかし 彼は 晩年「歎異抄」に
「煩悩の深い悪人こそが救われる」と
説かれていることに 改めて気付き
母の歩んだ人生を
捉え直すことができたと語っています。
丹羽文雄は 三重県のお寺に
生まれた人ですけれども
彼は 4歳の時に
お母さんが家出してしまうんですね。
その理由は その父が
この義理の祖母と関係してしまったと。
それを知って
母は 家を つまり寺を出ていったと。
家を出た母はですね その後
大変な役者狂いの日々を送るし
最後は この人の世話になる
いわゆる 妾暮らしで
終わるというふうなことになって
晩年に丹羽さんは この母を引き取って
世話をしようとするんですけれども
母親はですね 彼が引き取った家の近くに
田んぼがあったんですけども
その田んぼにですね
かかしがあったんですが
そのかかしは 死んだカラスを
ぶら下げて作った かかしなんですね。
その鳥よけのために田んぼの真ん中に
立てられた そのかかしに
母親は 毎朝ですね
このお供え物を持って出かけていって
その かかしに
手を合わせて念仏をすると。
その念仏の声が 風に乗って
その丹羽文雄の耳に聞こえてきてですね
丹羽文雄は もう どうしていいか
分かんなくなってしまう
というようなことが
あったそうであります。
しかし 晩年に たまたま しょっちゅう
昔から親しんでいた「歎異抄」はですね
土蔵の中に入って 目に入って
ぱっと開けたらですね
こういう不条理に
苦しむ人間のために
「歎異抄」というのは書かれているんだ
というふうに 自分で理解してですね
気持ちが やっと安らかになったと。
実際に 彼の書いたもの
この「佛にひかれて」とかいうところにも
よく書いておられますけど
母は 救われていたんだと。
「この悪人なほ往生す いかにいはんや
善人をや」
母こそが 親鸞の言う往生の正因の資格を
十分に備えていた人間であった。
そうすると 自分が救われていくというか
安堵するようになったと。
丹羽文雄が 「歎異抄」と出会うことで
不条理と向き合う道が開かれたように
阿満さん自身もまた 自らの人生に起こる
不条理を どう受け止めるか
「歎異抄」の中に 探ってきました。
私は その「不条理」の中でも
最も不条理は 私が死ぬということです。
自分が ある日 突然死ぬということは
何ともはや なんと理解していいのか。
これは あの 最大の不条理だと
言っていいと思いますね。
「死」というものを
どうしたら乗り越えていけるのか
自分は 死ねば
その どこへ行くんだろうかと
そういうふうなことについてですね
なかなか決着がつかない。
「死」というのが
あたかも 壁のようになってですね
ここから先 なかなか進めないと
そういう感情を
ずっと まあ 持っていたんですね。
しかし 私が 念仏を続けて
その念仏の中で死んでいくとですね
私は 阿弥陀仏の国に生まれて
仏になるんだと。
念仏の度に 私は浄土に
どんどん どんどん近づいている。
で その そういうふうにして
念仏を受け止めてみると
私自身がですね 私の「死」について
今まで思っていた
この考え方が 大きく変わってきたことに
気が付きました。
それが どういうことかというと
自分の死というのは
何か浄土に至る その道筋の
一つの通過点にしかすぎないと。
この「死」というのは
点になってしまってですね
その一点を過ぎれば
次はもう その阿弥陀の浄土である。
そして その先には
一切衆生を度するという
そういう慈悲の活動の世界があるんだと。
だから そのつながりの中の
一つの出来事だというふうに
自分の「死」をですね
この感ずるようになってきて
もう壁ではなくなりましたね。
それは 念仏ができない間は
「死」は 恐怖でもあるわけですけど
だから ひたすら
死にたくないという思いなんだけど
そういう壁が点になったためにですね
「死」というものに対する
かつてのような恐怖心は
もうなくなったと
言ってもいいと思いますね。
こういうことは
神秘的なことではなくてですね
念仏の暮らしというものを持続している
人は 皆 どこかで感じておられると。
ある その少し古い時代の
お百姓さんはですね
ずっと若い時から この
「本願念仏」の教えを聞いてきた人で
念仏を生きてきた人ですけれども
彼はですね 死ぬ時は さぞかし立派に
死んでいくだろうなというふうに思って
いろいろな人がですね 「どうすれば
安心して死んでいけるのか」なんか
聞くようになったというんですね。
ところが その人はですね…
「持ち前どおり 死ぬしかないし
持ち前どおり死んでいけば それで十分だ」
というふうに 教えたというんですね。
つまり ありのままに
死んでいけばいいんだと。
ありのままに死んでいけば
ふだんのままで死んでいけば
もう死ねば そこは阿弥陀の浄土である
だから もう何の不安もないと。
そういう
仏になる道を歩む中ではですね
「死」という不条理は
私は 力を失うと思いますね。
依然として不条理ですよ
「死」は 不条理だけど
私の中では 力を 今までのような力を
振るうということはないですね。
どういう過去の行為が
死ぬ間際に姿を表してですね
もう ふた目と見られない無残な姿を
人前にさらして死んでいくか
それは分かりませんね。
それでも いいんですよ
それでも かまわない。
それでも かまわないというのが
大きな安心ですよ これは。
一般的に 仏教を深く学んだことのない
無宗教の立場から申し上げますと
その浄土に行くというのが 死ぬことに
イコールだというふうに考えると
僕たちなんかは
傾向としてあると思うんですが
浄土というのは 死ぬことではないと
いうふうに考えてよろしいんでしょうか。
具体的には
死なないと行けないんです。
しかし 「死」で終わりじゃなくて
死ぬことで 「浄らかな土」と
書いてありますね 「浄土」と。
何が浄らかかというと
人間の煩悩は 全部 浄められるという
そういう意味合いですね。
ですから 浄土というのは この世では
いろいろ差し障りのある仏道修行が
一切の差し障りなく
自由に この修行ができて
仏になることができる場所
それが 浄土ですね。
ですから 死ぬためにいく
死んでいくところじゃなく
確かに死んでいくところなんだけど
死んで終わりじゃなくて
そこで その仏になるという
大仕事が待っているわけですね。
それを可能にすると
そういうイメージが
「死」というものを 壁から解放する
一つの役割をするんだと思いますね。
この「本願念仏」の中でですね
浄土に救われる場があるということは
やもすると その現実に起きているですね
不義とか不正あるいは 不公正を
こう放置しても いいんではないか。
そこには 目をつぶって その浄土に
行ったあとに解決すればいいという
やもすると そういった考えに陥る
危険性もあると思うんですが
そのあたりは いかがでしょう。
それは そのとおりで
また そういう意味で その宗教が
イデオロギー的にね 政治によって使われると。
諦めの論理を その強制していくというか
そういう歴史もあるし
現に 宗教が
社会の中で果たしている役割は
そういう一面が やっぱり強いですよ。
ですから 宗教というのは 文字どおり
昔の人の言葉で言えば
アヘンなんですよね。
それは 現実をごまかすための
今さえ 何か納得して生きていければ
社会全体がどうなろうと
かまわないというようなことに陥りがち。
まあ いわば 一つの秩序を
守ろうとする人にとって
それが 有用なアヘンの役割を果たす
ということで使われてきた。
そういうことを知っている人は
絶対に 宗教には近づかない。
無宗教であると
誇りをもって無宗教を選ぶと
こういう人もいるわけですね。
私は 当然だと思う それは。
しかし 持続する精神がないと
社会変革というのは成り立ちませんよ。
思いつきだけじゃ どうしようもない。
ある一代だけじゃ どうしようもない。
そこに持続というものを
この引き出す その場として
宗教というものの価値を
ちゃんと 正当に認めるっていうことが
必要だと思いますね。
「歎異抄」の第一条。
そこには 念仏を称えることが
なぜ 現実の生活を生きてゆくうえでの
救いとなりうるか こう記されています。
「阿弥陀仏の誓いによって
浄土に生まれることができると信じて
阿弥陀仏の指示どおりに
その名を称えようと思い立つ
その決断の時
阿弥陀仏は ただちに感応して
その人を迎えとってくださり
すべての人々を仏とする働きに
参加させておいでなのです」。
阿満さんは この第一条に出てくる
「あづけしめたまふ」という言葉に
不条理な現実に左右されないための
「鍵」があると考えてきました。
この「摂取不捨の利益に
あづけしめたまふなり」という
「あづけしめたまふ」の
「あづく」という言葉ですね。
この「あづく」という言葉は
今までは「被る」と。
ですから 摂取不捨の利益を被ると
そういう受け身的な
この解釈が多かったんですけど
私は ある学者の説にしたがって
「あづく」という言葉は
参加させるという他動詞である。
それに 「しめたまふ」という
最高の尊敬語が くっついていて
その摂取不捨の利益に
念仏者を 参加おさせになると
こういう意味合いなんだと。
私は この解釈が
とても気に入っているんですね。
すべての人を 摂取不捨の利益に
参加させるという阿弥陀仏の事業
そういう事業に参加するということの
中身をですね よくよく検討してみると
一切衆生を度すると。
つまり 生き物の網の総体を救う
ということを仕事にすることができると。
自分の周りで暮らしている人が
苦しい生活をしていたり
瞋り わめき この嘆いていたら
果たして幸せでいることができるのか。
それは あの全部が救われた時に
初めて自分の救済が成立すると。
「無量寿経」の経典の中にですね
「あまねくもろもろの貧苦を救う」という
そういう仕事に
従事できるように なるんだと
書いてある箇所があるんですね。
この貧苦は 文字どおり
精神的 経済的 社会的
私は 貧苦を意味していると思うんですね。
そういう私が申し上げる根拠は
釈尊は 歴史的人物としての釈尊ですね。
釈尊は ゴータマ・シッダールタは
おなかのすいた人には
説教しなかったと言われています。
おなかのすいた人間は
食べたくて食べたくて
そればっかりが 関心がいくから
どんなに いい話を聞いても
それは 分からないんですよね。
心に とどまらない。
だから まずは おなかがくちくなってから
話をということになるんでしょう。
ですから すべての人々に その仏教の教え
慈悲の実践という教えを説くためには
人々が飢えていたら だめなんですよ。
人々が その経済的に
その飢えから解放されるという状態を
まず作るということが
大きな仕事になるんだと思いますね。
あの 社会とか経済とか政治的にもですね
これだけ「五濁」が
非常に こう不条理が起こってる時に
では 私たち一人一人が救われるために
どうしたらいいのかっていう
その現実問題として考えていった時に
先生は どのように
お感じになりますでしょうか?
いわゆる社会科学の視点で 人間社会の
変革ということを考えていくと。
それも立派な道ですよ。
また それは大きな成果を
生むんだろうと思いますね。
しかし これだけの悲惨
そのウクライナの問題すら解決できない。
そして これだけ
コロナで人々が苦しむと。
我々の そのいわゆる
ヒューマニズムの成果として
どれだけの この力が 人々にこの
伝わっていったか 伝わりつつあるか
大変 絶望的ですね。
特に 社会経済が生み出す
不条理ってあるわけですね。
その世界の富を 二十何人か
30人足らずの富豪が
その半分を手にしているとかね
日本の社会で 7人の子どものうち1人が
その飢えに苦しんでいるとかね。
こういう話は
もう まあ いたたまれんですね。
それで そういう社会を変えるために
どういう努力をしたらいいのか。
もう これはね
それは 100年 200年 300年 500年
だって
人間 変わって 代が変わるでしょう。
また 一から
同じ過ちを繰り返すんですよ。
だから 先ほどの「無量寿」というね
そういう発想が生まれてくる根拠は
そういうところにあるんだと思いますね。
だから 私は 社会科学的な変革の
その可能性については期待していますよ。
それは期待するだけでなく自分もそういう
努力をしていかなくちゃいけないと思う。
しかし それが実現するのは
宗教的な信念の この支えがないと
その持続はできないと。
それは 私 一代ではなくて次の世代にも
それは持続してもらわないと困る。
そうでないと 人間の業の
悪業の深さだけが持続されてね
それを克服するための知恵が
寸断されるようではね
それは もう解決は
先へ先へ伸びるだけですよ。
つまり 「本願念仏」というか
宗教が 理想としているというか
宗教の教えが 一番大事なのは
世代を超えて
それが持続されるということですね。
ですから 浄土教というものが
浄土というものを立てて
次の代へ その救済への願望を
持続させていくというね
そういうことを強調しているというのは
大きな意味があると思うんですね。
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