徹子の部屋 追悼・宝田明さん[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 追悼・宝田明さん[字]

宝田明さん追悼特集

◇番組内容
過去の貴重な映像で、宝田明さんを偲びます。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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キーワード出現数ベスト20

  1. 本当
  2. 宝田
  3. 東宝
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  10. 写真屋
  11. 親切
  12. 当時
  13. 野菜
  14. イヤ
  15. ハルピン
  16. 運動
  17. 外食
  18. 今日
  19. 主役
  20. 正座

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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今日のお客様は
歌える映画スターという事で

大変な二枚目で
いらっしゃいまして

ミュージカルにも数多くご出演。

また 想像を本当に絶する
戦争体験を

少年の時代になさって…
お話を伺いまして

胸が潰れる思いでございました。

宝田明さんです。

いらっしゃいませ。
こんにちは。 しばらくでした。

でも いつも お目にかかっても

あなたは こう
きちっとしてらっしゃいますね。

そうでしょうかね?
ええ。

普段 いつも お目にかかる時

いつも こういう格好
してらっしゃるんだけど

普段っていうのは
どういうお召し物なんです?

普段は 割とね 美的感覚が
全くない男なんですね。

ほう。
ええ。

いつも 随分 こう
颯爽とした二枚目

舞台でやってらっしゃるでしょ?
一見 らしくですけどね

やっぱり 幼児体験が あんまり
ほら 豊かな方じゃなかった…

見るもの 聞くものね。

目に映るものが…
どちらかというと。

そういう事…。
うん。

精神的に貧しかったら
これはイヤだけども

うーん… そうじゃなくてね
僕らは どこか こう

アンバランス的なところが
あるんじゃないかな。

今でも どこか 軍靴 履いても
合うみたいなところがあったり

戦闘帽かぶっても
まだ 合うようなとこが

どこかに こう…
部分にはあるような気がしてね。

私なんかはね 私の事 言うと
やはり 少女時代

着るものが
なんにもなかったでしょ?

これから いよいよ こう ちょっと
思春期になりがちの時に…

なりかかりの時に
アメリカの映画見て

レースとか ヒラヒラした
リボンとか見ちゃったの。

それだから 今でも 私 そういう
なんかね ヒラヒラしたのとか

やっぱり それも
満ち足りないものみたい…

今頃になってね
もう ヒラヒラしたり…。

この間ね…
あれ 去年の夏だったかな。

僕の所に… 事務所でね。
あの短いの なんていうの?

ミニスカート?
いやいや 男で。

なんていうの? あれ。
バミューダっていうのかな?

バミューダパンツ? うん。
それにね ちょっと こう…。

大変あでやかなバミューダにね

このぐらいの靴下をはいてね。

それに たまたま ほら ちょっと
飯食いに行こうと思って

白のエナメルの靴が
そこに出てたから

ポッと履いたのよ。

うちの事務所のヤツが
のけぞってね

ひっくり返ってね
なんたる感覚だって

笑い転げて。
それには やはり スニーカーとか

そういうのがいいわけね?
いいんでしょうけどね。

ダメなんですよね。 やっぱり
昭和1桁の男の どこか…

アンバランスなとこが
あるんじゃないかな。

さて 今 さっき 幼児体験って
おっしゃったけれども

この間 あの…
ご自分のお生まれになった…

お育ちになった所…
中国の東北部ですね 今でいう。

東北地方。 トンペイディーファン
って言いますけどね。

そのハルピンまで
行ってきたわけですよ。

もう 三十何年ぶりでしょ?
34年ぶりですかね。

まあ とりあえず その…

学び舎の白梅小学校っていう所
行ってみたわけよ。

いまだに その 馬家溝っていう
小学校の名前になってましてね。

まあ 記憶のままに バーッて
自分の教室 入っていったら

なんと 昔の机…。

例えばね 小刀でもって
ほら… 先生の見てない時に

よく こうやって
こう いたずらして

ここが もう 波打って…
凸凹してるの。

そういう机が
まだ そのままあってね。

自分の机かどうか
わからないんだけど

例えば ナイフで こう
「ハシモトのバカ」とか

そんなの書いてるのがね
刻んでるのが まだ使われて…。

もちろん 廊下なんか もう
すり減って 波打ってますけどね。

全く 生き物の記録に
会ったような気がしたわけだね。

あなたにとっての まあ 故郷…
生まれた所っていうのが

そこだっていう事が はっきりと。

そのあと また 住んでいた所にね
訪ねていったら

もう 朽ち果ててね。
でも ありましたか?

はあー… 厳然としてはあって。
はあ…。

そこは まあ 戦後
ソ連の兵隊が入ってきたりね

いろんな事
あったんですけれども。

トントン トントンって
昔 住んでいた所を

たたきましたらね
お勝手口がポッと開きましてね

「ニーセイヤ?」って言われて。

「ニーセイヤ」っていうのは

「どなた?」っていう
意味なんですよ。

(中国語)

「私 33年前に…」
って言おうと思ったら

バターン! と閉められた。
うーん…。

玄関の方に回って
トントンってやったら

なんか 中にいるんですけど
開けてくれないんですよね。

ですから 昔 住んでた所は

2家族 入ってるわけですね。
あっ そう…。

ええ。
でも そうやって あなたは

お子さんの時
しゃべってらした言葉が

相手の方がしゃべったら
スッと やっぱり 出る?

そうね。
13~14歳まで いましたからね。

まあ… 34年っていうのは
長いですものね。

歴史の大きな流れの中なんかから
見ればね

ほんの1ページ前ぐらいの
事なんですけどね。

1ページもないかも
しれないぐらいだけども

やはり 宝田さんにとってはね…。
ええ。

でも あなたにとっては
本当に もう 口にも…

筆舌に尽くし難い
その… 若い少年の目で

本当に悲惨なものを

そこで ご覧になった土地でも
あるわけでしょ? そこは。

ええー… そうですね。
でも それが 結局 まあ

僕の心の中 グーッと貫いててね

多少 グラグラッとした時も
ありましたよ それは。

役者になる前はね。
ええ。

でも なんとなく
歯を食いしばってきた

1つの心の支えになってる事は
いまだに事実のようですね はい。

明日は 日本…
戦争に負けた日といいますか

終戦の日でございます。
その前の日というのは

どんな状況だったのか
覚えてらっしゃる?

前の日なんて。
はい。 まあ あの…

日ソ不可侵条約を破って

ソ連が 戦車部隊で怒濤のように
押し寄せてきたのが

8月の9日なんですよね。
そうですね。 ええ。

で… ソ連の ちょっと
空襲があったりして

ザワザワして。 それで ええー…

日本から 天皇陛下様が
何かお話しくださるから

ラジオは必ず
もう… 8月の14日からですね

ラジオを なるべく
つけておくようにという

お話がありました。

まあ そんな中でですね
もう あの…。

ええー… 関東軍は
右往左往してるのが

もう すぐ近くの部隊で
わかりましたし

日本の官憲たちは クモの子を
散らすようにいなくなるのが…。

そうですってね。
はい。

もう いち早く
どこかへ行きました。

ハルピンには
特務機関がありまして

そういう所も
もう わかってましたけれども

もう そこも空っぽになってしまう
というような状況の中で

やっぱり 我々 取り残された
その 一般… 民間人が

どうしていいのかと。

お父様は?
父は満鉄… あれでしたからね。

いらっしゃいました? ご一緒に。
ええ 一緒におりました。

お兄様… 一番上のお兄様は
もう 戦死…?

ええ。 日本に帰ってきてから
わかったんですけど

ルソン島で死んだと… 戦死して。

次男は…。
やはり 戦争に…。

ええ 戦争…。
兵隊さんにね。

もう1人の中学生のお兄様は
強制労働で

ソビエトに連れて行かれた…?
ええ。

で 弟さん…?

えーっと… それで私がいて
弟がおります。

お姉様が…。
姉が これが あの…。

北朝鮮?
戦後 北朝鮮の あの…

北満の近くの方に

こう 婦女子が43人ほど
抑留されているというのが

社会党の訪中団…
いや 訪中団じゃありません。

訪韓団がですね 行った時に
初めてわかって。

それは なんか その頃は
お姉様が ちょうど その…

まあ あの…

朝鮮民主主義人民共和国と
いわれていますが

そっちの方へ たまたま
行っていらっしゃる時に

終戦になって もう 家族バラバラ
っていう感じですよね。

まあ その状態で… ええ。

それから 日本に引き揚げて
いらっしゃるんですが

これが なかなか 大変な
引き揚げだったそうですけども。

まあ 子どもたちも大勢いて。
小学校5年生でいらっしゃる…。

5年ですけど
6年の時に引き揚げて

結局 1年ぐらい
向こうに残っておりましたから。

ですから もう 学校も何もなく
寺子屋みたいなとこで

昔 あの… 少し ちょっと

教員をやってたというような
方々のもとにですね

我々 集まって
勉強してたんですけれども。

もう それは… それよりも
日々食べなきゃいけないという。

ですから ハルピンの あの…
一番にぎやかな 秋林辺り出て

私も靴磨き…
ソ連の兵隊の靴磨き やったり

それから 各隊に
シガレット… っつって

そのタバコ売りをやったりですね。
あっ そう…。

でも そういう事は
多少は できたんですか?

日本人の子どもでも。
ええ 子どもですから

まあ 許される…。
子どもだからね。

今だったら その…
今まで関東軍がいた

その兵舎のとこに
ソ連軍がいますから その…

出入りをするとこで こう…
靴磨き やらせてもらって。

そういう…
ソ連の兵隊が抱えてくる

大きな黒パンをですね
半分もらって

それを まあ… 糧にする
というような事をですね。

家族で食べるっていうようなね。
ええ。

あなたが だから
働き手になってた…。

そうですね ええ。
兄もいませんでしたし

父も まあ…

強圧状態みたいに
なってますからね 当時ね もう。

何もかも失ったっていう形でね。

とにかく まあ そういう状態で
日本へ帰ってらしたんですが

まず最初に 博多に着いて

それから 大阪に
いらっしゃったそうですけど。

そこの時に あの…

ぺちゃんこのリュックサック
背負って歩いてる

その辺りのとこで なんか 柿を
おもらいになったんですって?

もう 裸足で
飯ごう2つ ぶら下げて

ここに本籍の ちゃんと入った
名札をつけて

それで もう ぺちゃんこになった
リュックサック担いで

こう 親戚のとこ
訪ねていこうとしたら

踏切 パッと渡ったとこで
果物屋さんがありましてね

そのおばさんが 割烹着 着て

柿の熟したのを 私の飯ごうの中に
3つ入れてくれたんですよ

大きな柿をね。
うわー 親切。

「どこから帰ってきはりましたん」
って聞いた時に

もう それまでの緊張が
全て解き放たれて

もう その親切… 人の親切にね…。

「ハルピンから帰ってきました」
って言うのが もう やっとで

もう ワーワー泣きました
あの時は はい。

のちに その方に
お会いになったんですってね。

ご対面みたいな。
ええ。

ファンの人がね
取り持ってくれて

私が こういう風にして
映画でやるようになって

大阪の北野劇場に…
ショーをやってる時にですね

ファンの集いみたいなとこに
割烹着 着たままの形で

おばさんを
ずっと用意しててくださって。

僕には なんにも言いませんで
「宝田さん ちょっと

目つぶっててくれませんか?」
って言うんで。

それで 「目 開けてください」
って言ったら

うっ! って… 何か気配 感じて。

そのおばさんなんですよ。

だから
なんて ファンの人たちは

ありがたい事を
してくれるのかなと

その時は思いましたけれども。
その親切なおばあ様も

私の いつまで経っても
心の支えとなってた その方も

数年前に亡くなられましてね。
そうですか…。

ご遺族の方からは ご連絡は
時々 いただくんですけども。

でも その方にしても
本当に可哀想だと思って

親切にあげた坊やが
のちに そういうね

歌手におなりになり
俳優になって

「まあ こんな事が」って
きっと お思いになったでしょう。

その時にですね いみじくも…。

東宝の大スターにおなりになった
宝田さんですけど

誰か知ってる人が

東宝で ニューフェイス
っていうのを募集してるって。

それ あの… 高校時代に
ずっと演劇やってましてね

学校に入ってきた
かかりつけの写真屋さんがね

「君 芝居やりたいんだったら

東宝が今 ニューフェイス
募集してるから」って言うんで

「受けてみろ」って言うんで…。

高校で芝居やってる程度でね

そんな 夢の大工場の映画なんて
とんでもないと思ってね。

それで
「いやいや…」って言ったら

「まあ とにかく 履歴書だけ書け」
って言うんで。

でも 写真屋さんだから
わかってたんでしょうね 顔の…。

ところが
どんな写真かっていうと

校庭で撮ったね こんなにきび面の
こんな写真でね。

そうなの。 写真屋さんが
撮ってくれたわけじゃ

なかったの?
…ないんですよ。

「じゃあ もう それを出せ」
って言うんでね。

それで出したら たまたま

第1次 2次 3次
4次 5次と 約半年…。

でも 1次は まあ
写真やなんかで撮られたんだけど

次に 来いっていうので
東宝にいらっしゃったら

詰め襟で しかも 継ぎが当たった
ボロボロだったんですって?

あなた。
そうなんですよ。

学生服だって
つんつるてんでね こう…。

それで 「上着脱いで ちょっと」
って言うから…。

大勢いるでしょ…。

みんなキレイなんですって?
他の人は。

それで 監督さんや
山本嘉次郎や 黒澤明とか…。

審査員がね。
審査員。

岡田茉莉子は いる
青山京子は いるって…

大先輩がいるわけです
東宝の俳優さんたちが。

もう バッと脱いだら
紺の背広…。

学生服の下に紺のセーターが?

継ぎ当てだらけで
とってもイヤだったけど

えーい! もう 俺は引き揚げ者だ。
そんなもん買えませんと

こうやってね… やりましたよ。

そうね。 そしたら
そこで 入る事ができて。

まあ それでね 約6カ月経って
入る事ができたんですけども。

そうですってね。 だけど その時に
もうダメだから

恥ずかしいし
帰ろうと思ってた時に

東宝の入り口にいた守衛さんが…。

あのね もう とにかく

こう ベレー帽をかぶって
マドロスパイプで

スタニスラフスキーの
「近代俳優術」みたいなの抱えてる

そういう芸術家タイプの人が
どんどん入ってくる。

学生でも もう 詰め襟服を着て

バリッとしたヤツが
入ってくるね…。

とても とても こんな…。
女の子はキレイなね。

ええ。 キレイな人が入ってくる…。
とてもかなわないと思ってね

次のバスが来たら渋谷へ帰ろう
次のバスが来たら… っていって

1時間ちょっと そこで…
バス停で待ってたの。

それで ザッと人がいなくなって。
そしたら 守衛さんが

ずっと なんか 「おい!
ちょっと ちょっと…」って。

「君 朝から ずっと
そこで待ってるけど

何しに… 受験に来たんだろ?」
って言うんで

「はい そうです」。
「入らんか!」っつって

ドーンと押されるようにして
入ったのが

まあ きっかけになったというか。

その方が押してくださらなきゃ
今日は なかったかもしれない。

そうですね。 あなたに
お目にかかれなかったかも…。

守衛さん それから

写真屋さんですね
写真屋のおじさんと…。

きっかけというか 大きなあれを
作ってくだすったのはね。

それは もう 遅れて行って
受験番号 見せたら

「なんで こんな遅いんだ!」
っつって

「表で待ってました 怖いから」
って言ったら

みんなに笑われましたけども。
それで 11月3日が

ゴジラの日って… 私ね
文化の日って知ってましたけど

ゴジラの日とは
知らなかったんですけど。

そうですね あの…
それは 撮影っていうか

封切りされた日って…。
上映された日がね。

なんていっても
「今度 お前… 宝田

お前に
主役をさせてやる」って言ったら

もう 胸も張り裂けんばかりの
思いで…。

真っ赤な台本に片仮名で
「ゴジラ」と書かれまして

「これ なんでございますか?」
って言ったら

「これから東宝が作る
空想長編科学映画だ」。

今で言う
サイエンスフィクションですわな。

でも ビックリしますわね。
長編空想科学映画。

何か
よくわかりませんでしたけど

いずれにしても 台本を開くと
一番最初に名前が

キャスティングされてありまして
この役だっていうんで。

それで 初日 セットに入りまして

「新人でございますが
宝田でございます」。

「今度 主役をさせていただきます」
って言ったら

「バカ野郎! 主役はお前じゃない。
ゴジラが主役だ」って言われて

ギャフンとなった思いが
あるんですけどね。

でも 今は もう みんな
いろんな事に慣れてるから

そこに ものがなくても

演技をするのに
慣れてるんですけど

お撮りになる時に
ものが そこになくて

「ゴジラが どのぐらい
大きいんですか?」って聞いて

驚いたんですって?

対象物として 当時 まだ
東京タワーもありませんしね。

ですから
我々の当時の尺度としては

東京駅の あの丸ビル側に
大きなビルがありますが

「あそこでいくと…
丸ビルの高さから比べると

どのぐらいですか?」って言うと

「あれに胸が出るんだ」と。
あれ以上にですね。

「ええー! そんな大きな
怪獣なんですか?」っていう事で

実は 驚いたんですけどね。
そう。

山の所で
みんなで撮った時?

ロケーションで。
そうですね…。

えっと… 伊勢の方に行って

伊勢志摩の方の
あの半島で撮って

山の稜線から
ゴジラが出てくるっていうんで

「じゃあ 目線は どのぐらいに
したらいいですか?」

「あの稜線の上から とにかく
胸が出るぐらいだ」。

「雲が あそこにありますから
あの辺」…。

「あそこを見といてください」
ってうちに…

何度かテストするうちに

雲だって 風とともに
スーッと移動しますから

さっき見てた雲
どこ行ったかしら? と。

同じ形には なってませんから。

そして ラッシュを見たら
みんな 目線がバラバラで ずっと

こう ちぐはぐになっててですね。
笑っちゃいますよね。

でも まあ すごく大きな…

でも それからの大ヒットで。
そうなんですよ。

宝田さん お背が高い。
1メーター80…。

3ぐらいかな…。

そんな方って
当時 いらっしゃらなかったから

そんな大きい方で
歌が歌えて 顔が良くて

芝居がっていうね そういう
ミュージカルスターっていうのは

当時
いらっしゃらなかったんだよね。

本当に なんでも
全部 おやりになれる

っていう感じでしたからね。

でも 奥様が やっぱり ほら
若くていらっしゃるから。

そうですね。
15 年下になりますかね。

ねえ。 だから
やっぱり お若い…。

そうですね。
何かにつけて ちょっと…。

でも 小うるさいですよ。

奥様の教育的指導っていうのが
あるんですって。

まず 「お風呂の温度が高すぎる」。
ハハ…。

そうなんですって?
そうですか…。

もう とにかく お風呂へ入る前に
ちゃんと チェックがある。

私は40…
彼女はね 43度にしてて

僕はね 44度ぐらいがいい…。

えっ! そんな熱いのに入るの?

それまでに
ちょっと冷めてるでしょ?

だから 急いで温めたいと思って
44度ぐらいにするんですよ。

そうすると バーッ! って。

一度 45度に
内緒に しておいたんですけど

それがバレまして
ギャンギャン怒られました。

そうなの? それからね…。
何があるんですか?

「テレビの音が大きすぎる」。

少しずつ 耳がね 遠くなりました。

そうなの?
はい。

特に左 少し難聴になりましたね。

だから ちょっと
テレビの音を上げますでしょ。

そうすると… もう 「うるさい!」。

それから やっぱり ほら
大きい音で聞きたい時も

あるじゃありません?
そういう時あると思うの。

それからね 「犬に おやつを
あげちゃダメって言ってるのに

やるのは どういうのか」って。

「どういうのか」って
これ 愛情の…。

ハハハ…! 表し方ですけど。

やっぱりね もの欲しそうに
ジーッと こう 見られるとね

食べながら 女房の目 盗んで
こう あげるんですよ。

それがね イヤだって。
イヤだって。

それからね
奥様が宝田さんに要望。

「私に隠れて 野菜の煮物を
お鍋に戻さないで」って。

ハハハハ…!
これ 相当 おかしいんだけど。

野菜の煮物…。

捨てるわけにもいかない
やっぱり… 残ってる お鍋に。

だから それに
フッとあけるんですけど。

食べたふりしてるわけでしょ?
そういう事です。

わかります。 でも それ ちゃんと
奥様もわかっていらして

それでね…。
ちくしょう。

グジュグジュってしていれば
わかんないけど

パカッと入れるから…。
あっ そうか! そこだ!

それ 気を付けなきゃ…。
入れて こう 混ぜちゃえば…。

混ぜちゃえばいいんだけどね。
なるほど。

「パカッて入れてるのが
わかります」と。

「そういうの やめて」。
それからね あの…。

まだありますか?
あります ええ。

「外食して 帰ってきて

外食して 帰ってきたよと
言いながら

ああ 腹へったって言って

何か食べさせろって言うのは
やめて」って。

僕らはね 外食でもね
そうですね…。

割と控えめに
食べるもんなんですよ。

あっ 本当に?
ええ。 ハハハハ…!

本当に? うん。

でもね 自分の
意図するものじゃないもの

食べてくると やっぱり
うちに帰って ちょっと…。

それ そうそう…。
ありますでしょ?

ちょっと食べたいっていうのは
あります。

ありますよね。
例えば お呼ばれだったりしたら

なおの事ね。
そうなんですよ。

なんか 気を使ったり
なんか いただいたのかどうか

話しながらっていって
お酒も飲んでますから

そう 量は食べられないっていう。
仲間内で

よし 食おうっていうような
ものじゃない場合はね

うちに帰って ちょっと やっぱり
口に入れたい…。

だけど 奥様としてはね

ああ 今日は外食だと思ってね
すごい気を許してるのに

帰ってきて 「ごはん食べさせて」
って言われるのは

どうも… っていう事ですね。

それから
「もっと運動してほしい」って。

ああ そう…。
運動しない?

いやあ 結構ね 舞台に出てると
やっぱり

2キロぐらい減りますよ。
でも… 普段。

普段?
普段 あんまりやってませんね。

なんか 運動を もうちょっと
してほしいっていう

お気持ちみたいですよ。
最近 おなかが出てきましたから

少し。 ハハハ…!
でも まあ ちっとも

全然お変わりなく
生き生きしていらっしゃるから

それでいいと思うんですけど
私はね。

でも やっぱり
15歳若い奥様にしてみると

やっぱり 長生きしてほしい
っていうね うん。

長生きしなきゃいけませんね。
それは いけませんよ。

だから 熱いお風呂にも入るのも
良くないし

それから 1回 ごはん
表で食べてきたんだったら

もう そのまま寝る。

「もっと なんか食べさせろ」なんて
言わない。

それから 野菜も…。
医者みたいな事 言いますね。

野菜 食べさせたいのに
野菜の煮たのを

お鍋に すぐ 知らないうちに
返したりなんかしないようにって。

お肉がお好きなんですって?

やっぱりね どこか
ここいらの片隅にね

やっぱり こう…。
昔のね わかります。

血が滴るようなステーキに

こうやって
ニンニクをダーッて塗ってね

バリバリ食べたいっていうのが
あるんですよ。

僕ら 肉に飢えてた時代が
ありますからね。

35歳の時に 大変なけが なさって
おみ足を…。

私はね テレビ映画で… ドラマで
シリーズものでね

暮れになってましたけど
寒い時に

アクションを…。
12月でしたね。

パワーシャベルの先に
ぶら下がって

それで 2~3回…
ロープをかけてたんですけども

持ちきれなくて 振り落とされて。

本当に落ちたの?
もう バーンと。

でも 今も 実は 正座が
できないんですって? なんか。

3回 手術しましたけどね
やっぱり 正座 もう 可動する…。

正座ができない。
足が こう組めない。

だから 時代物が
おできにならないんですってね。

そうですね。 それで
普通の現代物でも ちゃんと 畳で

しっかり正座をするっていうのが
できないので。

でも 今でも
階段をトレーニングで

上がったり下がったり…?
そうですね。

やっぱり 筋力が どうしても
こっち 落ちますので。

これ いまだに やっぱり
こっちが細いんですね。

ちょっと VTRで 自宅の階段
上がり下りしていらっしゃるのを

今 ちょっと
撮ったのがありますので

ちょっと ご覧いただきます。
リハビリのつもりでやってる…。

我が家はね 3階なんですよ。
すごいのね。

エレベーターも
付けてないんですけども

これが16段…。
これ 宝田さんです。

16段 16段。

これ ゆっくりゆっくりね。
すごい。 現在84歳ですよ。

階段をスタスタ
上がっていらっしゃいますけど

これ 毎日やってるからでしょうね
きっと。

これで 1日…
事務所が下にありますので

4回ぐらい
上ったり下りたりしますと

大体200段ぐらい…。
そうそうそう 運動になる。

「これで…」

「1日に250段… 150? 200?」

「250段ぐらい
上がるんじゃないかな」

「上がったり下りたりします」

だんだんね やっぱり…

舞台で
多少動く事は いいんですけど

なかなかね 足が こうやって
ひざが特に…。

でも まあ 歩いて…
お歩きになる分には

構わないんですけど。

まあ 今年 僕 84歳ですから

そのうちに米寿がきますし。
そうですよね。

卒寿までいけるかどうか…。
そうそう。 大丈夫 大丈夫。

あと 「白」っていうのも
あるんでしょ? 白寿とかいう。

99歳ね。
そうそう そうそう。

「百」にするのには
1本足りないっていうね。

「百」っていう字の上 棒1本取ると
「白」になりますから。

でも これから どんな夫婦生活を
望んでいらっしゃるんですか?

そうですね…
もう でも 順番のない順番が

そこに迫ってますから…。

でも まだまだ
天寿まで随分ありますからね。

やっぱり
自分に与えられた天職…。

やっぱり 表現をしていく
役者稼業にあれして

しかも やっぱり
体をいといながらね。

でも まあ
それだけ お元気なんだから…。

そうね 生き抜いてきたんですから
ここまでね。 本当にね。

どうも 今日は
ありがとうございました。

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