徹子の部屋 加山雄三[字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

徹子の部屋 加山雄三[字]

~85歳…コンサート活動“引退”の胸中を~加山雄三さんが今日のゲストです。

◇ゲスト
今年でコンサート活動から引退することを発表した加山雄三さんがゲスト。
◇番組内容
3年前に軽度の脳梗塞、2年前に小脳出血を起こしたが歌声は変わらず「生涯現役」を宣言していた加山さん。しかしリハビリを続けるなかで徐々に「幕引き」を考えるようになり、ここにきて歌える時にスパッと辞めることを決断したという。そもそも音楽に親しむキッカケは父・上原謙さん。家にはクラシック好きの父が集めたレコードがあり、息子が音楽に興味があることを感じると中古のピアノを買い音楽の環境を整えてくれたと語る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

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  1. 本当
  2. 一緒
  3. ハハハハ
  4. 奥様
  5. 音楽
  6. お父様
  7. 演歌
  8. 加山
  9. 気持
  10. オルガン
  11. カラオケ
  12. コンサート活動
  13. リハビリ
  14. 一生懸命
  15. 決断
  16. 最後
  17. 自分
  18. 年内
  19. 与作
  20. アイ

解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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(拍手)

「幸せだなァ」

「僕は君といる時が
一番幸せなんだ」

「僕は死ぬまで君を離さないぞ、
いいだろ」

(黒柳)『君といつまでも』
『夜空の星』『旅人よ』など

数々のヒット曲をお出しになって

日頃から 音楽は永遠の親友と
公言していらっしゃる

加山雄三さん。

年内をもって
長年 続けていらした

コンサート活動を
ご卒業という事で

現在の心境を伺います。

ようこそ おいでくださいました。

(加山)よろしくお願いします。
どうも。

『徹子の部屋』が始まった もう
本当に開始してすぐの時から

ご常連でおいでいただいて

家族ぐるみで
仲良くさせていただいております。

はい。

年内で
コンサート活動を引退すると

発表なすった
今のお気持ちはどんな…?

まあ やっぱり

入り口があれば
出口があるっていう事でね

なんか 始まったら
終わりがあって

そのけじめっていうのは
大事だなと思って

もう この辺で やっぱり
やめた方がいいなと思って

自分で決断したんですけど

やっぱ 正しいと思う…。 うん。

やっぱり
やめたくはないんだけど…。

いや 音楽に関してのね
活動するというのは

自分自身は やるけども

ステージの前で
お客さんの前で歌うっていう

それは ちょっと もう 終わり
っていう感じですね。

3年前に軽度の脳梗塞

2年前に小脳出血っていうのを
起こした時も

生涯現役って
思っていらしたんですけど

やっぱり このコンサート活動の
引退っていうのは

いつから考えていらしたの?

それは やっぱり
倒れたあとですよね。

倒れてから 人間には
やっぱり 限度があるんだなと。

それを感じて

その時は もう やめようかなと
思ったけども…。

治って 気が付いた瞬間にね

声出して 歌を歌ったら
歌えるんですよ。

歌えるっていう事に
喜んじゃってね

それは やっぱり
続けようっていう

音楽を続けようって
そういう気になってね。 うん。

そうですか。
はい。 ハハハ…。

言語障害でも
誰かに勇気を与えたい

役に立ちたいっていう思いは
あった…?

ありました。
うん…。

やっぱりね 僕自身が もう

なんか ろれつが回らないな
っていう気持ちもあったしね

それが だんだん だんだん
ちゃんと治ってきた時に

ああ こういう気持ちで

壁にぶつかってる人も
たくさんいるんだろうな。

じゃあ
僕が少しでも元気になってね

やりゃあ 治るんだって
そういう気持ちを

少しでも感じてもらえたらな
という気持ちもあったんですよね。

それで やっぱり
やる気になってね。 うん。

でも ほとんど 今
わかんないぐらいね。

そう?
今 伺ってると。

ありがとうございます。
本当。

本当 そう言っていただけたら
もう 本当ね

ありがたいと思うんだけど。
99パーセント オーケーだって

言われて…。
そうよ。 そんな感じ。

あと1パーセントぐらい
ちょっと…

ちょっと おかしいなって。
99パーセント オーケー。

でも 今 考えると 当時

記憶があいまいなところが
あるんですって? なんか。

うーんとね… それ だんだん
戻ってきてるんですけどね

やっぱ 途切れ途切れになって…。

あの時 どうだったかな? とかね

そんな事あったかな?
っていうような事あるんですよね。

でも それは やっぱり
もう 高齢であるっていう事も

あるからね。
まあね。

しょうがないんじゃないかって
思ったりしますよね。

これまで 『徹子の部屋』でも

何度も
歌声をご披露くださいました

『旅人よ』を
ちょっと聴いてみます。

あっ…。

♬~

うん…。

懐かしいですね。
なんか… うん。

よく歌ってるなと思って。
本当。

弾厚作っていう名前が
出てたけども

もう 皆さん
おわかりだとは思うけども

加山さんの
作曲 作詞をなさる時は

弾厚作になるんですけど。
それ よく覚えていらっしゃる。

それで 「だん」は團伊玖磨さん…。
そうです 尊敬してる…。

作曲家の
團伊玖磨さんの「だん」と

「こうさく」は…。
山田耕筰さんの「こうさく」。

耕筰さん。 両方取って

作曲家としては
弾厚作というのは

この方のお名前でございます。
すみませんけど…。

でも 幼い頃の
音楽が好きになったっていうのは

お父様ですって?

そうね。 おやじの代から
やっぱり 音楽は非常にね…

おやじ 非常に
好きだったんですよね。

3Bといってね
アルバムの…

ベートーヴェン
ブラームス バッハと

このアルバムを
集めてたんですよ。

お母様もいらっしゃるね。
小桜葉子さん。

そうですよ。

お父様 上原謙さんですから
なんといっても。

ハハハ…!
ハハハ…! ねえ。

その音楽好きが…
おやじが クラシック

おふくろは 演歌が
好きだったんです。

あっ そうだったの?
そう。

だから もう それで
僕の子どもの頃はね

抱っこして 寝かすと思って

寝かせるための曲
あるじゃないですか。

子守歌?
子守歌を。

それをね 歌いだすと

ウエーンっていって
泣くんだそうですよ 僕が。

どうして この子は 一体ね
この子守歌が嫌いなんだろうかと。

あれ マイナーのコードをね
大嫌いなんですね。

あっ そうなの?
そう。 それで やめてね

『セント・ルイス・ブルース』をね
かけてやると

すやすや寝るんだそうで…。

へえー! 変わってるね。
変わってる。

だから 音に対して
すごい敏感だなという事だけは…。

ねえ 赤ちゃんの時から。
そう。 見所があったって…。

お父様が しばらくしてから

中古のピアノを
買ってくだすったんですって?

そう。 最初ね
足踏みオルガンだったんですよ。

足踏みオルガン?
そう。 足踏みオルガン。

それを… あったんですよ
うちにね。

で それ あの
まあ 弾いたのも…

うちのおふくろが
弾いてたりなんかしてたけど

もう
サブドミナントもドミナントも

とにかく もう
全部ゴチャゴチャになってて

全然 合ってないんだよ。
それを聴いてて

変だなと思ってたんだけど。
で そのうちに あの…

親戚に のちになった女性が
来た時にね

『バイエル』の74番を
弾いたんですよ

そのオルガンで。

そしたら それを
なんとか覚えさせてくれるってね

わずか
本当 1時間ちょっとでもってね

それを弾けるようにしたと…
僕がなっちゃったんですよ。

加山さんが
弾けるようになったの? すごい。

それで これは
おやじ ちょっと 音楽的に…

ちょっと
才能あると思ったんでしょう。

それで結局
中古のピアノを買ってくれたの。

なるほど なるほど。

音楽環境を
整えてくださったんですってね

お父様がね。
ええ。

だから
おやじっていうのは やっぱり

素晴らしいなと思ってね。
あのおやじがいたから

僕が今でもいるんだなと
思いますけども。

やっぱり
影響っていうのかな

音楽の影響 大きいですね。
そりゃそうですよね。

あと お父様 あれでしょ?

趣味で
楽器もやっていらしたものね。

そう。 昔 あのね あの…
フレンチホルン…。

フレンチホルンって
おっしゃってたね そうそうそう。

それ 大学にね いた頃に。

それ パフォーって あの音がね…。
下手くそだったらしいんでね。

周りで あんまり

評判
良くなかったんでね

やめたらしいんですよ。
あっ そうなの?

そうですか。

お父様に伝えたい事は
ありますか?

そういう事で。
うーん おやじには やっぱり…

今 結局 「おやじに捧げる
ピアノコンチェルト」

っていうのを作曲したんですよ。
そうよね!

そうおっしゃってましたよね?
そう。 全曲作りましたからね。

1楽章 2楽章 3楽章って。

すごい!
そう。 それで それをね

やっぱり もっと大きな所へ
お客さん入れてね。

で ピアノをね 羽田健太郎さんに
弾いてもらってね。

あっ あの時ね。
そう。

♬~

初見を… 聞くのは…
彼ぐらいしかいないですよ。

ハネケン。
そう。

それがね もう 一生懸命…。

「もう書けない」っつってもね
一生懸命… 書いてね

もう 時間かけて
やっと出来上がった。

それをね ちょっと
譜面をね 見て

「こんな感じか?」って…
チャチャチャ チャチャチャ…。

一生懸命 時間かけて書いたのに

一瞬にして弾いてしまうっていう
すごい人だなと思った…。

羽田さんって
すごかったですよね。

羽田さん すごかったと思います。
それで オーケストラをね…。

で うちのおやじをね
ちゃんと見に来さしてね…。

あっ そう!
そう それで その時

演奏したんですよ。 そしたらね
おやじに その譜面をね…

僕が おやじに「上がってこい」って
ステージに上げて

それで渡したんですよ。

そしたら 「ありがとう」って言って
ボロボロ 涙流して。

うわー!

「(拍手)」

(加山)「アイ デディケイト
ディス コンチェルト

トゥ マイ ファザー
ウィズ ラブ フロム ユア サン」

「サンキュー!」

「(拍手)」

もう これで 「ああ…
親孝行はできたな」と思ってね。

うん。
それ すごい 印象に残っててね…。

今 週3日のリハビリを
やってらっしゃるそうですけど

主に どんなリハビリ?

まあ もう 会社の人間と一緒にね

あの… 約1キロ弱だけど歩く。

まずはね 歩くのが一番ですよね。
なるほど。

リハビリって そんな…
こうやってね。

本当だ。
ハハハハ…!

森みたいだけど
これ 東京ですよね。

東京なの? これ。
うん。 割と近くですけど。

ハハハハ…! どこの
おっちゃんかと思ったら…。

ああ 島君だな これ。

あっ そうなのね 右が加山さんね。
そうそう そうそう…。

そう… すごい。 そうですか。

で リハビリは 歩くのと

それから 言語トレーニングも
なさってるでしょ?

ええ。
それは週に やっぱり 1回ね。

ろれつが回らないと まずい…。

ちゃんと 滑舌…
滑舌良く しゃべれるようにって。

そのトレーニングやってますね。

でも それやると
やっぱり 随分違うでしょうね。

そうなんですよ。 本当違いますよ。
ねっ。

だから イヤでも やらないとね。
ハハハハ…!

あと カラオケっていうのも
あるんですって?

えっ?
カラオケ。

あっ カラオケ?

それは しょっちゅう
やってましたからね 昔からね。

で カラオケで得意…
演歌が多いんですよね。

自分の歌は1回も歌った事ない。

そうなの?
ええ。

もう 演歌大好き人間だからね。
演歌 好きなの?

好きなんだよね。 やっぱりいい…。
覚えやすいしね。

歌ってて その演歌で…
例えば あの… なんだ。

人が集まってね こう やる時に
演歌が一番盛り上がるんですよ。

あっ そう…。 あなたが歌うと?

うん みんなね。
例えば どんなの?

いや もう それは
北島三郎さんの曲だとかね

いろんな人の歌…
あの… 歌いますね。

北島三郎さんのも歌うの?

うん。 あれ もう なんか
いっぱいあるんですよ

メニューがね。 うん。

何がいいんだろうな? 俺…。

『与作』。
『与作』?

ああ 『与作』なんかね
歌いましたよ やっぱり うん。

ちょっと歌ってみて。

「与作は木をきる」ってね。
そうそうそう!

「ヘイヘイホー」って…。
そう。

「ヘイヘイホー」。

好きですよ そりゃ。
そうでしょう。

そう。 へえー!
ハハハハ…!

だって やっぱり
誰でも知ってる みんな歌える。

やっぱり いいと思うんですよね。
なるほどね。

それから ご長男と一緒に
絵も描いていらっしゃる?

はい。
うん。

それが今は 一番多いですよ。
あっ これ…。

うまいね。
前から うまかったけど

これまた…。
これ あのね

実際にね
ボラボラ島 行ったんですよ。

ええー!
2回も行きましたよ 女房とね。

で それを思い出しながらね
これ描いたの。

へえ ボラボラ島って
こういう風なとこなの。

こういう所もありますよ。
もう いい景色です 本当 もう。

すごい!
あっ これはね 西伊豆です。

富士山が見えるじゃないですか。

向こうに?
ええ。

すごい 波…。
波 上手だったのね 前からね。

そう。 波 うまいでしょ?
波 うまい! すごい 波 上手。

ガキの頃から
波っぺりで育ったもんね。

そうね。
海っぺりで育ったからね。

そう。 だから 波うまいのね。
ありがとうございます。

この前も そう思ってたけど
波 うまい。

ありがとうございます。

何よりもうれしいのは お食事。
はい。

食べる事 大好きですね。

前だって
お料理も上手だったものね。

そう。 でもね 作らない。
もう やらないね。

あんまりね…

なぜ やらないか。

なぜ 作らないか。

自分で作ると
おいしくなっちゃうんですよ。

おいしいものは油が多いんだよね。

あっ やっぱり。

おなかが出てきたんでね

かみさんに
絶対やめてちょうだいと。

フフフフ…!
やっぱり 食事っていうのは

きちっとね
カロリー計算をして…。

今は自立型ケア付き住宅

っていう所に
いらっしゃるんですって?

奥様と
生活していらっしゃるから

栄養は ちゃんと管理されてる…?

管理されてる。
非常にありがたい…。

あら! あら まあ。
一緒に出ちゃった。

ハハ…! 一緒に出ちゃった。
そうそうそう。

最近 なんだか
もんじゃ焼きっていうのに

ハマってるんですって? ねえ。

それはね うちから 180歩…

あっ 280歩だ。

280歩 歩くと
もんじゃ焼き屋があるの。

本当?
そう。 それで 250歩ぐらい…

250歩ぐらいの所に
焼き肉屋があるのよ。

本当に?
どっちでも行けるんですよ。

それでね
行ってみようっていって

僕はね その もんじゃ焼き…

引っ越して そこへ行ってからね

初めて行ったの。

へえー! これ うまいねって。
どうなって…?

なんか 粉… メリケン粉で
こんな事やるんでしょ?

そうそうそう。 それは
溶いてある… 溶き具合うまいね。

いろんなもの入ってるの。

めんたいこもんじゃっていうの
あってね

めんたいこ 混ぜてね…。
おいしそう。

そう。 それで…
鉄板焼きですよね。

こういうの 持ってるんでしょ?
そうそう。 はがしってやつね。

それを こうやって…

ちょっとずつ取って
こうやってペロッて食べるの。

まあ おいしいですよ。
そう…。

もんじゃ焼き。
もんじゃ焼き。

なんか あれも癖になるんだね。
あっ そう。

定期的に 何日か後に
行かなきゃダメだ…。

そういう…
それぐらいでいいなと思ってね。

じゃあ 今 奥様と一緒に
入っていらっしゃる所の近くに

それがあるの?
ある。 近くにあるんですよ。

いいな。
いいですよ。

食べるんだったら 呼びますよ。
えっ?

一緒に行きますか?
行きますよ 一緒に。

食べたい それ。
ええ。

じゃあ 今度 連絡し合って
行きましょう。

ハハハハ…! やったね! これは。

もんじゃ。 もんじゃ行きましょう。
もんじゃ。

ねえ この間 レコーディング
なすったんですって?

レコーディングやりました。
ねえ。

岩谷時子さんとの最後の曲。
そうそうそう。

岩谷時子さんのね
なんか すごい 詞がたくさん…

長いんですよ。
うん。

だけど それを短く
ちゃんと うまく抜いてね…。

「抜いて」…。
抜いて それで作ったんですよ。

あっ これ 岩谷さんと一緒に。
そうそう。

『海が男にしてくれた』って
いうんですって?

はい。 そうそうそう。

なるほど。
こういう曲です。

そうですか。 いいですよね。

まだまだ いっぱい こういう曲が
あるんですってね。

ハハハハ…。

最後のパフォーマンスに
なりますが

「加山雄三ラストショー
~永遠の若大将~」っていうのが

9月9日 金曜日に

東京国際フォーラムのAで。

それで もう 実は

切符が完売なものですから

全国の映画館でも
生中継でご覧になれますので

全国で

加山雄三さんのラストショーを
ご覧になりたい方…

「永遠の若大将」を
ご覧になりたい方は

映画館にいらっしゃってください。

生中継でいたします。
頑張ります。

コンサートの意気込みは
どうですかね。

もう 最後っていう事になるとね
やっぱりね

力 入るんですよね。
それはそうですよね。

でも 力 あんまり 入れちゃ
まずいなと思いながらね

リラックスして

本当の なんか 心の底でもって
きちっと 本当に

真心っていうものが
相手に伝わるように

一生懸命やれればいいなと
思うんでね。

それが一番だと思うんですよ。

心。 それが大切。

「心」。
うん。 ハハハハ…!

でも 年内で
コンサート活動引退。

まあ 決断 発表。
今 ひと安心ですかね。

うん?
どんな風?

そうね…
複雑な気持ちですけどね。

もっとやりたいっていう気は
あるんだ?

もちろん そうですよ。
そうでしょうよね。

だけども やっぱり

締めくくりっていうのは
大切だと思うし

自分の年もね 85になったらね
やっぱり 先…

うーん… って こう
しぼんでくるのもイヤだと思って

ここで バッと。

なるほどね。
うん…。

それは必要かもしれない。

きちっとやっていこう。

ハハハハ…!
「きちっとやっていこう」。

年内で コンサート活動を
引退なさるっていう事ですけども。

最終的に決断したのは いつ頃?

そうね あの…

もう 今から
1年ぐらい前からね

最後っていうのは 絶対 やっぱり
あるんだなと思ったけども

どういう形にするかっていう事を
考えだしたのは

もう 1年も前から。
ああ そう。

でも 本当に… あっ そうだ
もう やめた方がいいやって

決断出して
それを… 結論出して

みんなに伝えてね
そうするぞ! って。 うん。

それは もう しょうがないです。

割と最近ですよ それね 決めたの。
なるほどね。

まあ 次回は
ちょっと 奥様もお呼びして

いろいろ
お話を伺いたいという風に…。

わかりました。
ありがとうございます。

うれしい…。
思っております。

奥様は 前からそうだけども
いろんな事を決断なさる時に

やっぱり しっかり
していらっしゃる方でしょ?

はい。 もう 素晴らしいです。

ハハ…。
ねえ。

奥様って どういう性格の方?

どうって まあ そうね…。

本当 最高だと思いますね。
うん。

そうよね。
もう これ以上の…

あらゆる面でね 人格的にもね。

だから 人間的に 心が
整ってるって言っちゃ変だけど

何しろ…。

あっ こういう事 僕ね…。

「アイ アム ザ キャプテン」。

「バット マイ ワイフ イズ
ジ アドミラル」。

外国行って それをね
免許証を取る時にね

一緒に行ったんですよね
かみさんと。

そこにいる… いろいろ いる時ね

「アイ アム ザ キャプテン」。

「バット マイ ワイフ イズ
ザ アドミラル」って言って。

「私は船長だけど
この人は提督です」って言ったら

ドーッとウケたんですよ それ。

それ以来 これ やっぱり
こうでなきゃいけないんだなと…。

そうだね。
確信を持ったんです。

でも それは面白いですよ。
外国の方から ご覧になるとね。

そうね。
ああいう小柄な奥様が

あなたのそばにいらっしゃって

あなたが「私は船長ですが
これは提督です」って言って…

「こちらが提督です」って言ったら
みんな ワーッて

アメリカ人は特に笑うと思う。
そうなのね。

日本では ちょっとね それ
言いようがないって思ったね。

そうそう そうそう。 そうですか。

じゃあ 次は 奥様とご一緒に
おいでいただきますので。

はい。 あっ そうですか…。

今のまんまでいらしてください。
わかりました。

フフフフ…!

いい方と結婚できてね。
よかった うん。

子どもも4人も産んでくれてね。
そう。

それがすごいでしょ?
すごい。

もう 信じられない。

『徹子の部屋』は

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