歴史探偵「缶詰は見た 日本近現代史」[解][字]…の番組内容解析まとめ

出典:EPGの番組情報

歴史探偵「缶詰は見た 日本近現代史」[解][字]

戦時中に作られた謎の缶詰が最近発見された。これは何なのか?調査すると意外な使われ方が判明。さらに缶詰は、戦争、外交、経済と日本近現代史に深く関わっていた事も!

番組内容
最近見つかったナゾの缶詰がある。戦時中のもので、開けてみると中身は赤飯。これは何のために作られたものなのか?研究者も頭を悩ませるこの缶詰を番組が独自に徹底調査。すると、ある特別な使い方をされていた事が判明。さらに缶詰は、戦争、外交、経済と日本の近現代に深く関わっていたこともわかってきた。アメリカを席巻したマグロ缶詰、日中外交のウラにあった缶詰コネクション…。缶詰から見た知られざる日本近現代史。
出演者
【出演】佐藤二朗

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行

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解析用ソース(見逃した方はネタバレ注意)

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持ちながら
自分たちの滑りを

やりきってほしいな
というふうに思います。

♬~

2015年。 香川県の蔵から
古い缶詰が見つかりました。

その中身は…。

いきますよ。 オープン!

おおっ!
何ですか?

これ きれいですよ。

なんと 赤飯!

うわ~!

太平洋戦争末期

昭和19年に
作られたものです。

すごい
きれいですよね。

さすがの缶詰だね!
食べられそうです。

でも 何で 戦時中

赤飯を
缶詰にしたのでしょうか?

ほんとですねえ。

戦地に持って…
う~ん… いったのかなあ。

分からないですねえ。

(河原)赤飯ですしね うん。

今回は この…

すると 意外な使われ方が明らかに。

更に缶詰は

近代日本を揺るがした
いくつもの出来事に

深~く関わっていたのです。

「歴史探偵」 缶詰調査 開始です。

♬~

「缶詰は見た」
すごい切り口だね!

調査にあたり
まずは 赤飯缶詰の実物を取り寄せました。

あっ 見えてきました 見えてきました。

こちらですね。 うわ~!

缶詰だ~。

結構 重さありますよ。 ずっしりと。

感覚的に あの トマト缶ぐらいの感じの
重さがあります。

ラベルには ルーツを示す手がかりが…。

「製造者。

廣島市」。

…と書いてあります。

まずは この工場から
調査開始です。

よいしょ よいしょ。 ハァ…。

これは 「工場通覧」。

戦前からの工場の名前や住所が
1年ごとに まとめられたものです。

パン屋があって 製菓があって…
あ~ あった!

缶詰 北海道から書いてありますね。
おお。

缶詰会社が たくさん並んでます。

赤飯缶詰を作った工場は
見つかるのでしょうか?

全部で 24冊の資料を
くまなくチェックします。

いやあ~ 頑張ったね。
頑張りましたよ。

頑張った証しだね この早送り。

すると…。

あった!
あ あった!

これじゃないですか?

あ 合ってますよ 合ってますよ。

ありました。

あ よかったね
見つかって。

ついに
あの工場を発見。

で… あっ!

…って書いてあります。

絶対 これじゃないですか!

まさに。
ほんとだ まさに。

更に 工場の正体に迫る
有力な手がかりがありました。

…という住所です。

早速 現地に向かいます。

缶詰工場は どこにあったのか。

何か いい手がかり ないですかね~。

聞き込み調査を開始。

この町に 昔から住む方を探します。

(玄関チャイム)
≪は~い。

あっ
すみません 突然。 はい。

戦前から ここに住んでいたといいます。

この辺りに。
はい。

昔 缶詰工場がなかったか
調べているんですよ。

ありました?

ここじゃないよ もっと奥。
もっと奥。

あっ 今 スイミングスクールに
なってるところ。

ああ そこが あの なんじゃ
缶詰工場じゃ。

缶詰工場 あったんですか?
こっち側じゃった。

山田さんとこ…。
へ~。

缶詰工場があったよ あそこ。
ああ~。

あっ 戦時中に?
ええ。

教えてもらった場所を訪ねてみると…。

あれ? これ 何だろう。

あっ もしかして これ?
これじゃないですか? プール。

スイミングスクールを発見!

ただ 工場につながる手がかりは
見つかりませんでした。

でも 諦めませんよ。

戦前の地図で確認することに。

そこには… 缶詰の文字が!

しかし 会社の名前は
赤飯缶詰に記されたものと違います。

どういうこと?

とりあえず この缶詰会社を追うことに。

すると 今も京都府で
営業をしていました。

あっ こんにちは~。

何か 事情を知らないか

経営者の竹中史朗さんに
お話を伺います。

赤飯缶詰のことについて
調査をしているんですけれども

何か ご存じのことってありますか?

僕は 初めて見るもんやからね。

なんと 竹中さんの親戚が
赤飯缶詰を作っていました。

この人なんですけど 見えますか?

あっ 見えます。

ついに 製造者を発見!

更に あの

「廣島縣合同罐詰株式會」という名前が。

あっ… お~
まさに。

実は この会社 戦時中

一時的に名前を変えていたのです。

更に 当時の映像も
竹中さんからゲット!

確かに
缶詰 作ってますねぇ。

うわ~ すごいすごい。
あら~。

さあ いよいよ核心に迫ります。

何か 戦争でも…

これ1体で…

なるほど。

お祝いに使われた可能性も
大いにありそうです。

♬~(ラッパ)

そこで 戦時中の映像を隅々までチェック。
すると…。

ありました!

は~ よく見つけたね。

敵の船を沈めた祝いとして食べていたと
紹介されていました。

あら~。
食べてますね~。

いや~
ほんとだね~。

赤飯缶詰は 兵士たちに つかの間の
休息を与えるため 作られたのです。

更に調査を進めると 缶詰は

世界の戦争で 重要な役割を
果たしていたことが見えてきました。

次の調査の舞台は アメリカです。

これは 大戦中に
アメリカ軍が生産していた缶詰です。

「肉と豆の煮込み」といった主食の他に…。

ビスケットや お菓子 コーヒーなどの

嗜好品もありました。

カロリーや 栄養バランスが計算された
メニューです。

アメリカは 缶詰の供給を
最重要項目の一つとして考えていました。

戦地に送った食糧は
4年間で 9億食。

最前線で戦う兵士たちの胃袋を
確実に満たしていたのです。

一方の日本。

缶詰を取り巻く状況は
アメリカとは逆でした。

理由は 鉄不足です。

船や飛行機の生産が
優先され

缶詰の容器が
十分に作れなくなってしまいます。

そのため
多くの缶詰工場が廃業。

国内有数の生産量を誇った
広島県では

8割以上の工場が
生産中止に追い込まれました。

缶詰が 当時の状況と相まって
軍隊に巻き込まれていってしまったと。

日本は 缶詰だけでなく

食糧調達全般について 軽視していたと
考える人もいます。

軍や政府の記録を
独自に調査してきました。

(海野)これは 11月1日の日の

大本営政府連絡会議
という会議ですけども。

日米開戦の およそ1か月前に開かれた
会議の記録です。

ここに なりますけれども…

…ということが書いてあります。

かなり楽観的な見通しが
報告されています。

しかも この発言をした人物は

食糧問題の専門家ではありませんでした。

日本と アメリカ。

遠く離れた地で戦うための
準備の差があったことを

缶詰は教えてくれました。

はい。 「缶詰は見た!
戦争の裏側」でしたけれども

赤飯缶詰の調査 いかがでした?

いや~ 赤飯缶詰なるものがある
ってことも知らなかったし

その 何かね 敵を倒したとか
そういう時の お祝い事でっていう

そのメンタルのね 兵士たちの
こう癒やしになってたっていうのは

なるほどなと思いましたけどねえ。
(河合)はい そうですよね。

あの 日本軍の缶詰の中にはですね

結構ですね あの
梨とか桃なんか

フルーツ缶を送ってるっていう
そういう記録も残ってまして。

ああ~。 こう 今で言う…

…っていうのも 当然 戦争では
大事だろうからね。 そうなんですね。

それだけ癒やしが大切だった
ということなんですが

所長 これが 今回 調査した
赤飯缶詰 本物になります。
お~お~お~。

これまで なぜ戦地に
送られたかというのは

謎に
包まれていたんですよ。

それを 今回の調査で
明らかにすることができました。

ねえ さっきの よく見つけましたよね。
ねえ ほんと そうなんですよ。

その過去の映像から。 ほんとね 赤飯を
うれしそうに食べてましたもんね。

はい。

中川さん。

ちょっと待って下さい。
思い出して下さって。

すごいリサーチャーですね。
そうなんですよ。

で 見てみたら
「あれ 赤飯じゃん!」ってなって

もう みんなで大喜び。
いやあ~!

ただ 先ほど
あの調査にもありましたけれども

戦地で食べられている その食糧
まあ 缶詰については

日本とアメリカ
かなり大きな差がありましたよね。

あ そこね。 そうだね。

やっぱり 缶詰だけじゃなくて
全体的に その 食べ物を送る…

う~ん。

ですから まあ 特に
太平洋で戦争が始まると

まあ 「現地調達」といって
現地で何とかしろとか

あと 「現地自活」という
やり方があって

現地で畑を耕して 作物を育てて
そこから食糧を得ろっていう。
はあ~。

兵士のモチベーションも
やっぱり 下がってくるわけですよね。

しかし 缶詰から まあ今 太平洋戦争が
何か今 ちょっと かいま見えましたけど

それ以上 缶詰が何だっていうんですか。

いや 奥深いんですよ 缶詰。
そうなんですか。

今日 あの ずらっと ここにも
あるんですけれども。
ええ ええ。

ほんと 日本の缶詰 種類 多いですよね。
すごい。 まさに多種多様。

はい。 で これ いつから
作られ始めたかといいますと…

で 一気に花形産業になったと。

で 缶詰を見ていきますと
その 日本の成長とともに巻き起こる…

また どんどん主張してくるね。

ということで 続いて見ていくのは
こちらの缶詰です。

さあ ラベルを見て下さい。

まあ 牛ですけど
「SUKIYAKI」って書いてありますね。 はい。

これは… 芸者ですか?
そう。

実は この缶詰には 日本の壮大な計画が
込められていたんですよ。

いちいち 言うことが

今日 大げさじゃないですか?
いやいやいや。

ということで 続いて見ていくのは
太平洋戦争から 時代を遡りまして…。

あっ もう今
やりたいこと 分かりましたけども。

はい 明治です。
くっつくんだ。

そこまでは
ちょっと 予想できませんでした。

日本が 缶詰に託した野望とは?

それが分かる缶詰が
最近 発掘されました。

えっ 何だろう 何だろう?

缶のフタであるとか
そういったものも出てますし

缶そのものっていうのも あります。
あっ ホントですね。 形 残ってますね。

この缶詰が発掘されたのは

広島平和記念資料館の
真下。

明治から大正にかけての

巨大缶詰工場が
見つかったのです。

東西に 60メートル。

最新鋭の生産ラインが並んでいたと
考えられます。

実は ここ…

その秘密に迫る手がかりが 缶のフタに。

この辺りに 何か見えませんか?

あ あ あ あ あ あ
あ 何だか模様があります。
はい。

えっ 何だろう?
何の形に見えますか?

何だか 扇のような形…。
ああ。

刻印された 扇形のマーク。

缶詰を作った会社の商標です。

このマークを調べてみると… ありました。

この会社を
経営していたのは

加藤多市という
人物でした。

彼が 販売先として目をつけたのは
国内だけでなく

ハワイや フィリピンのマニラ。

つまり 巨大工場では

海外向けの缶詰が
作られていたのです。

どこか興奮するところはありますよね
やっぱり。

平和公園の一画が 世界への輸出をする

缶詰の製造業者さんがいたっていうのは

ひとつ 今回の調査で明らかにできて
よかったことかなと思います。

それが

日本が缶詰に託した野望でした。

大量の外貨を獲得し

大国の仲間入りを目指したのです。

その第一歩として選ばれたのが
フランス パリの万国博覧会。

日本は サケの缶詰を出品。

海外の人々の お口に
合うのか?

試食会が開かれました。

結果は…
上々でした。

この万博をきっかけに 日本は
海外への本格的な輸出を開始します。

昭和に入ると 缶詰の勢いは加速します。

静岡県では
アメリカという

一大市場を狙う缶詰が
開発されました。

中身は マグロです。

大量に水揚げされ

余った魚を
缶詰にしました。

今 私もよく食うけど ツナ。

これが アメリカで
記録的な大ヒット。

開発から4年後には

年間 およそ70万箱を
輸出。

右肩上がりの成長を
遂げていきます。

うわ~ すごいね!

勢いに乗った日本製の缶詰。

最盛期には 全米で消費される
マグロ缶詰の3分の1を占めるほどに。

しかし…

日本の
缶詰に対して

大規模な
反対運動が

起こりました。

アメリカで マグロ缶詰を作っていた
カリフォルニアの経済を

圧迫しすぎたのです。

この事態に
大統領のフーバーは

日本からの輸入を
制限し

自国産業の保護に動きます。

しかも この時は
世界恐慌の真っただ中。

自国の経済を守るために
輸入を制限する動きは

各国に広がっていきました。

自由な貿易から 閉鎖的な貿易へ。

世界は 経済的に
分断の道を進んでいきます。

驚くね。 マグロ缶詰から まあ 何か世界の
経済情勢まで見えてくるとは驚きですね。

はい。
しかし これ あの~ 日本の缶詰は
何で こんなに

もう 今 見たら 右…
何かもう こ こ こんなんなってたけど。

3年で バーッ いってたけど
何で こんな売れたんですかね?

まあ それは やっぱり
おいしさと安さですね。

当時の調査によりますと
日本産の あの マグロの缶詰は

アメリカのものよりも 3割ほど
安かったそうなんですね。
なるほどね。

で しかも販売する国によって
使う こう 油の種類を変えたりとか。

そういうとこですよ 日本のきめ細かさ。
はい。 そういうところ

受けたそうですね。
なるほどね~。

ところで河合先生 この缶詰が直面した
世界の分断ですけれど

これ どんどん
進んでいってしまうんですよね?

(河合)そうなんですね。 当時…

これ あの 「保護貿易」とか 「保護主義」
っていうふうに言うんですけど

そういうことが まあ 他の国にも
どんどん広がっていって

まあ 結果としてですね ほんとに…

大国同士が衝突する…

缶詰 すごいね。 マグロの缶詰だけが
要因じゃなかったんだろうけど

それに象徴される その保護貿易が
結局 まあ分断とか各国の対立を深める

一つの要因になったっていうことで言うと
缶詰すげえって思いながら見ましたけど。

でもね 所長 実は…

なるほど。
その一つが こちらでございます。 これが。

ほう。 「FUKUJINZUKE」と書いてあります。
そうなんです。 ローマ字で。

またこれローマ字で書かれてるってことは
海外から わざわざ取り寄せました。

あ~ 海外?
そうなんですよ。 あ~。

もともとは
日本発祥のブランドが作ったもので

今 アメリカで売られてるんですね。 お~。
で そもそも…

…という背景があるんです。
その 要するに

日本の味を懐かしんでもらうためとか。
そうです。 まさに おっしゃるとおり。

なるほどね~。
はい。

じゃあ
いきますよ。

は~い。
福神漬です。

まさに!
まあ でも 非常に…

ほんとですよね~。

そんな移民なんて大して行ってないだろう
と思うかもしれませんが

大正時代にはハワイの人口の4割ぐらいが
実は 日本人移民になるくらい。 そうか。

はい。 で その後 北米のね カナダとか
アメリカ合衆国なんかに行って

で そのまま
あの 定住する方たちも たくさんいて。

そうすると 他の現地の方たちも 「何か
おいしそうだな」っていうことで 実は…

う~ん 広がりました!
いや~ そうか。

缶詰 やべえな!
(笑い声)

…ということで
次の缶詰調査の舞台は こちらです。

まだあんの。 まだ缶詰で行くのか。

はい。
何だい? これ。

私 ちょっと使ったことなくて。
いや あなた できんの? 頑張りますよ。

はい。
ほっ!

いや~ もう違う。

全然 駄目出ししたい。 ちょっと
石橋くん 代わりなさい 私に。

代わってほしい!

さあ ということで…。
差し替えております!

皆さん ここはもう駄目です。
差し替えております。

「し~」ってやっても
駄目です。

さっ 見てて下さいよ。
何が 「さっ」だ。 うん。

はい。 続いて見るのは 昭和です。

歴史的な ある出来事に
缶詰は 一役買っていたんです。

1972年に行われた
日本と中国の国交正常化。

実は そのウラにも
缶詰が関わっていました。

その名は 高碕達之助。

戦前から 缶詰の容器を作る会社を経営。

業界全体をまとめていた人物です。

なぜ 缶詰会社の経営者が 外交交渉で
活躍することに なったのでしょうか。

はじめまして。
よろしくお願いいたします。

よろしくお願いします。 こんにちは。
歴史探偵の石橋と申します。

村上と申します。
(2人)よろしくお願いいたします。

戦後外交の研究者です。

案内してくれたのは
高碕が設立した缶詰専門の大学。

ここに 缶詰と外交の関係が分かる
手がかりが あるそうです。

ちょっと ご案内さして頂いて
よろしいでしょうか。 何でしょう?

宝物?
宝物です。

書庫の奥深くに入っていくと…。

おっ!
これです!

(笑い声)

これ ただの段ボールでは
ありませんでした。

村上さんの言うとおり お宝が…。

おお…!
はい 古い感じですね。

ああ 色が変わっていて。
はい はい。

戦前に 高碕が海外の要人から
受け取った手紙です。

ここに… え~
レターヘッドが入っております。 あっ!

ありました。

ハーバート・フーバーと書いてありますね。
そうですね はい。

アメリカ大統領と
やり取りをしていたんですか。

そうなんですね。 はい。
えっ!

2人の関係は とても親密なものでした。

実業家出身のフーバーから
ビジネスの手ほどきを受けるほど。

実は 高碕

20代から
缶詰の技術を学ぶため アメリカに留学。

缶詰を通して 人脈を築いていました。

それは 中国にも。

戦時中から 満州で 缶の材料となる
鉄の生産に関わっていたのです。

高碕は 国際的な人脈

いわば 「缶詰コネクション」で

戦後の日本を大きく変えていきます。

高碕が
取り組んだのは

当時 関係が
途絶えていた
中国と

正式な貿易を
始めること。

しかし その実現には
大きな問題がありました。

大国同士の激しい
対立があったのです。

アメリカを中心とする資本主義陣営と
ソ連や中国の共産主義陣営の争い。

いわゆる 「東西冷戦」です。

日本は アメリカの手前
簡単に中国と交渉できません。

そこで 両陣営に顔が利く
高碕の出番となったのです。

そうか! 両方に利くんだね。
はい。

「缶詰コネクション」です。
「缶詰コネクション」。

高碕は この難問を
どう解決しようとしたのか?

本人のスケジュール帳に
詳細な情報が残されていました。

う~ん
こういうのも ちゃんと残ってんだ。

中国との交渉を前に
高碕は ある行動に出ます。

あら!
ここ見て下さい。

急に 「アメリカ行」とありますね。
ええ。

資本主義陣営を率いるアメリカを
訪問していました。

え~ どういった人物と会ってるかって
いうのが この一覧表に載っております。

あ~ 国務次官とか。
はい。 高官ですね。

もう かなり分刻みで。
そうですね。

目的は 「中国との貿易を認める」という
言質を取ること。

その相手となったのが
後に大統領となるケネディ上院議員や

下院の有力議員 マコーマックです。

詳細なやり取りが 高碕の自叙伝に
残されていました。

高碕は 単刀直入に
自分の思いを伝えていました。

実は この姿勢

缶詰作りで
学んだものでした。

(村上)裏表のない
やっぱり誠実さが

結局 最後は勝つんだっていうことを
言っていまして。

高碕の訴えに マコーマックの反応は…。

返事は 否定的なものでした。

しかし マコーマックは
最後に 意外な ひと言を言いました。

立場上 はっきりと ものを言えない

マコーマック 精いっぱいの表現でした。

よくとし 高碕は ついに 中国との交渉に
乗り出します。

首相の 周 恩来を訪ね

日中関係の改善を
図りたいと申し入れます。

しかし双方は 真っ向から対立しました。

当時 中国が主張したのは
「政経不可分」という原則。

政治的な問題を解決せずには
経済交流をしないというもの。

一方の日本は
「政経分離」。

政治と経済を
切り離し

まずは貿易を
進めよう
という考えです。

両者の溝は かなり深いものでした。

そんな ある日のこと
高碕は 中国の産業を視察。

周 恩来から誘いを受けてのことでした。

意見を求められた
高碕は こう伝えました。

正直に伝える。

高碕の信念からくる言葉でした。

それに対し 周 恩来は…。

2人の間に 信頼関係が生まれました。

1962年 日本と中国は
経済交流を深める覚書を締結。

両国の政府が
認める貿易が

始まったのです。

その2年後 高碕は亡くなります。

日本と中国との国交が回復。

その年 両国を結ぶ直行便が就航しました。

そこには 再び中国の地に降り立つ
高碕の遺影がありました。

高碕達之助。

缶詰で 世界を
動かした男です。

いやあ~ 私 見入ってしまいました
今のVTR。

特に やっぱり
缶詰は中身が見えないから

だからこそ 正直さが大切だっていうね。

その正直さが
もう 文化とか いろんなことが違う

アメリカにも中国にも通じたというのがね
すごい何か いい話だなと思って

私 見入ってしまいました。
(河合)そうですね。

まあ あの 日中国交正常化には
いろんな人が関わってるんで

彼だけではないんですけど
でも やっぱり…

それはもう間違いないと思うんですね。
なるほど。

高碕さんが あくまで 先方の事情も
考慮したうえで っていうふうに

さっき おっしゃってたけど そのうえでの
何か緻密な正直さみたいな感じがね

何か やっぱり
功を奏したような気がするから

やっぱり すごい人だったんだと思います。
そうですね はい。

おい 缶詰 すごいじゃないか!
ほんとに もう。

ほんとに 近現代の
あらゆる大きな出来事に

缶詰が関わっていたっていうことが
分かりましたよね。 (河合)そうですね。

あと やっぱり あの 僕が思うのは

缶詰って 近代化の
象徴じゃないかなと思うんですね。

明治維新が起こって
日本 一生懸命 頑張って

やがて 大国になっていくじゃないですか。

缶詰も ほんとに
明治から新しく入ってきた

まあ あの~ 仕組みで
それを まあ どんどんどんどん輸出して

また こう大きくね
なっていくっていうことですね。

そういう日本の近代化と まあ

歩を共に進めてきたっていう感じ
ありますね 缶詰。 (河合)そうですね。

常に 「缶詰は歴史を見ていた」という
言い方も できるのかなと思うんですけど。

いやあ~ まさに「缶詰は見た」ですね。
ねえ。

ここまで缶詰…。
どうでした? ごめんなさい。

私 いや 正直言うとですね

今日 石橋亜紗探偵がですね 「所長 今日
缶詰で行きます」とかって言うから

歴史番組で そんな
この1回 まるまる1時間弱を

そんな缶詰で もつのかと思ったけど
もう 大変失礼しました 石橋探偵。

やった! (拍手)
いやあ~。

まあ でもですね あの~
まあ この今回の番組のね 副所長ね

一番の収穫はですね
平成生まれの石橋探偵がですね

缶の開け方が分かったという。
そこですか! これが一番の…。

練習しておきます。
練習しといて下さいよ。

はい。 失礼いたしました。

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